5、第一王子、ガイゼル・グレイシア。

 第一王子のガイゼルが、座りながら頬杖をつき、ニヤリと笑った。


「おい、シルヴァン。偉そうにその態度は何だ? なにか勘違いをしていないか? お前はただの、元勇者だぞ。国を救った英雄? そんなものは、とうの昔の話だろう」


 俺は真っ直ぐに彼を見返す。こいつが上から目線なのは今に始まったことじゃない。腹は立つが、俺にも後ろめたいところがある。


 ガイゼルは、聖女であり王妃だったアリシアの実子ではなかった。彼女はなかなか子宝に恵まれず、オルランド国王の側室から生まれた子供がガイゼルだ。


 その後もアリシアには男子が授からなかったから、そのままガイゼルが王位継承の最有力候補になった。アリシアもその現実を受け入れて、むしろ積極的に彼に愛情を注いでいた。


 しかし、それがいけなかった。周りが甘やかしすぎたのだろう、幼い頃から王子の性格は、どんどん我儘に、傲慢になっていった。あるとき見かねた王宮の教育係が俺に剣術の指南を依頼した。アリシアからも頼まれ、俺は引き受けることにした。


 まだ少年だったガイゼルには才能はあったが性格が大雑把で、地道な稽古が大嫌いだった。基礎をしっかり教えようとすると、すぐに泣き出して木刀を投げ捨てる。


 最後には「こんなの僕には必要ない!」って叫んで逃げ出した。そうして俺の指南役としての役目は、あっけなく終わってしまった。教え方が悪かったのか、と反省したものだ。


――その数年後、辛い出来事が起きた。アリシア王妃が亡くなった。



 彼女の死は、俺の責任だった。俺は彼女を救えなかった自責の念に苛まれて、何もできなくなり無気力になった。国葬にも参加できず、部屋に引きこもり、酒を浴びるように飲み続けた。


 あれは、雨の降る寒い日だった。ようやく俺は彼女の墓を訪れた。これで共に戦った大切な人を二人も失ってしまった。二人とも、俺の責任だった。俺はひざまずき墓を抱えて泣き出した。大雨が俺の声をかき消してくれる。俺もアリシアの元へ行きたかった。


 俺はいったい何のために戦ってきたのか分からなかった。俺がなにかを救ったのなら、誰か俺を救ってくれ。それができないなら、どうか俺を殺してくれ。泣きながら俺は何度も懇願した。


「アリシアを殺したのは、お前なのか?」


 振り向くと、あの頃より少し成長をしたガイゼルが立っていた。


「ああ、そうだ……」


 俺は声を絞り出し答える。すると王子は、激しい勢いで殴りかかってきた。


「なぜアリシアを見殺しにした!」、と何度も叫びながら。


 俺は何度も殴られ、蹴られ、泥の上で横たわった。一言も返せないまま、彼の憎しみを受け続けた。ガイゼルは実母より、アリシアによく甘えていた。王位継承という立場の幼い彼にとって、分け隔てなく人と接するアリシアの優しさは、心を許せる相手だったのだろう。


 あの日からガイゼル王子の中で、「シルヴァンはアリシアを奪った仇」という思いが根付いたのかもしれない。そして俺も否定せずに、ずっと負い目を感じたまま過ごしてきた。


 ガイゼルが実力不足なのに騎士団の総隊長になっても、黙って見過ごしてきたのも、その罪悪感があったからだ。彼が俺をどれだけ馬鹿にしても、どうでもいいと思っていた。自分の罰に対して責められ続けるほうが俺も楽だった。


 しかし今回は違う。第一王女が関係している。彼女は、アリシアが最後に残した宝物だ。第一王女を守ることはアリシアとの約束であり、俺に残された最後の使命でもある。



「ガイゼル殿下、王女アイリス・グレイシア様をどうされたのか、教えてもらおうか」


「おい。その態度、不敬罪にあたると思わないのか?」


 彼は鼻で笑い腕を組んで俺を見下ろした。


「ずいぶんと、ひねくれて育ったものだな……」


 思わず漏らした独り言に、ガイゼルの眉が動く。


「シルヴァン……。貴様には剣闘会の不正に、王女誘拐の容疑までかかっていることを理解しているのか?」


 第一騎士団の隊長を使った酒場での安っぽい挑発。仕組まれた剣闘会での茶番。そして、第一王女誘拐の容疑。つまり、俺が邪魔で殺したくて仕方がないのだろう。それは何故か?


 ガイゼルにとって、俺が憎くて、邪魔だからだ。


「俺は、アイリス様を誘拐などしていない!」


 そう叫ぶと剣の柄に手をかけ、いつでも抜けるように構える。感情に任せて突っ込むつもりはない。向こうが本気で捕まえようとするなら、いつでも戦える覚悟だった。


「この男を国家反逆罪で拘束しろ! 抵抗するなら、その場で斬り捨てろ!」


 ガイゼルは椅子から立ち上がって、大きく手を横に振り兵士たちに命令をした。


――その時、背後から強い声が響き渡った。



「みんな、聞いてください! 私は第五騎士団の隊長、アーシャ・ヴァーミリオン! 先生が王女を誘拐するはずがないことは、分かっているはずです! 先代の王妃様の想いと王女様を、彼がどれほど大切にしてきたか。この城にいる誰もが知っているはずです!」


 振り向くとアーシャが息を切らして立っていた。その姿を見た瞬間に、俺の血の気が引いた。第一王子ガイゼルに逆らえばただでは済まない。最悪の場合、反逆罪で処刑される。


「アーシャ、今すぐ下がるんだ! お前まで巻き込まれることはない!」


「先生、止めないでください! 私の言葉を聞いてください!」


 俺はアーシャに近づいて掴もうとしたが、彼女はその手を振り払った。そして真剣な表情で周りの騎士たちを見回した。


「さあ、みんな! 私たちは誇り高きグレイシア国の騎士団です! 先生の潔白が分かるなら、私と一緒に立ち上がってください!」


 もちろん、誰も動かない。王座の間に重苦しい沈黙だけが広がる。どこかで小さく息を飲む音が聞こえ、空気が張り詰める。アーシャの赤い髪が小刻みに震えていた。


「誰が貴様らに味方するというのだ? この国に背くということが、どういう意味か分かっているのかな?」


 ガイゼルが冷笑しながら言った。その側ではオルランド王が玉座に深く座り込み、目を伏せている。この場を収めようとする気配など、微塵も感じられなかった。


 すると落ち着いた声が、並んでいる騎士団から聞こえた。


「申し訳ありませんが、ガイゼル殿下。我々騎士団は、今日の出来事を『何も見聞きしなかった』ことにさせていただきます」


 声の主を見ると、イザーク・アシュヴァリーだった。騎士団の総副隊長で、額には歴戦の戦士を思わせる深い傷跡がある。彼は生粋の騎士であり、実力だけで成り上がった傑物だ。団員からの支持も熱い。


 遠い昔に魔王討伐の途中まで共に戦った仲間だ。年齢も俺とあまり変わらず、現役の騎士としては最年長。そんな彼が口を挟むなんて、並大抵の覚悟ではない。


「……おい、貴様。何と言った?」


 ガイゼルが顔を歪めて問い返す。イザークは直立不動の姿勢のまま前だけを見つめ、広間に響く太い声で話す。


「騎士にとって、誇りは何より大切なものです。シルヴァン・クロフォード殿は救国の英雄。本日の剣闘会での戦いも、相手が未熟だっただけで不正はありません。それに第一王女様が城の北東、『白狼の塔』に幽閉されていることも、ここにいる多くの者が知っています.」


 その言葉にガイゼルの怒りが爆発した。顔を真っ赤にして、拳を握りしめる。


「貴様ら! 俺の命令が聞こえないのか!? 次期国王である俺に、逆らうというのか!」


 王子の威圧に、騎士たちは誰一人、動かない。


 俺がイザークを見ると、彼も俺に気づいたのか前を見たまま口元を微笑ませた。もしかするとガイゼルの陰謀に先んじて、騎士たちと口裏を合わせていたのかもしれない。俺にはこの歴戦の騎士こそが真の勇者に思えた。


 一触即発の空気が漂う中、ガイゼルは突然、玉座の後ろに手を伸ばした。そこから取り出したのは、漆黒の槍だった。どこかで見たことがある……。


「まさか……! 魔槍ゲイボルグ……?!」


 俺は思わず声を上げた。これは昔、魔族が持っていた呪われた魔槍の類。持ち主の負の感情を増幅させ、血と命を喰らって凶悪な力を発揮する。あまりに危険なため聖女アリシアと一緒に城の地下深くに封印したはずのものだ。


 人間が扱えば、周りまで巻き込んで破滅に向かう。実際その不吉な魔力は王の間を揺るがすほどで、騎士たちは一斉に後ずさった。


 ガイゼルの目には殺気が宿り、口元が不気味に歪む。俺は後ろにいるアーシャを見た。うかつに彼女が飛び出せば、この魔槍の餌食になりかねない。


 しかし彼女は猛々しく叫んだ。


「先生、ここは私に任せてください! ガイゼル殿下は私が相手をします!」


「止まれ! お前じゃ勝てない。危険すぎる!」


 彼女は俺の声など聞こえないかのように前に出た。


「私は騎士団隊長として、王女様を守る義務があります! いくらガイゼル殿下でも、間違っていることは正さなくてはいけません!」


 アーシャの言葉に、ガイゼルの顔が怒りで歪んだ。


「生意気な、口をっ……!」


 魔槍から放たれる黒い波動が、さらに強まった。


「先生、今のうちに王女様を助けに行って!」


「お前はこの魔槍の恐ろしさを知らない」


「でも……!」


「いいか、アーシャ。この槍は持ち主の心を蝕んでいく。今のガイゼルには、理性なんて残っていないかもしれない」


 その言葉を聞いた瞬間、ガイゼルが狂ったように笑い出した。


「理性? そんなもの、とうの昔に捨てたさ。あの方を奪った貴様を……今こそ、この手で殺してやる!」


 ガイゼルの魔槍が大きく振り下ろされ、槍先から放たれた闇の波動がアーシャへ襲いかかる。


「しまった……!」


 俺は咄嗟にアーシャを突き飛ばした。


「キャアアアア!」


 禍々しい闇が彼女の左肩をかすめ、革の肩当てを吹き飛ばした。切り裂かれた生地から血がにじみ出て、アーシャは痛みに声を上げている。あと一歩遅ければ致命傷になっていたはずだ。


「誰も近づくな!」


 俺は大声で叫び、歯を食いしばる。俺がアーシャにもっと真面目に剣を教えてやれていれば……。その後悔を押し殺すように、剣に手をかける。


「貴様のことは、昔から気に入らなかった……! 『勇者』だの『英雄』だの、全部大衆を欺くための見せかけだろう!」


 ガイゼルが魔槍を構えたまま、一歩ずつ近づいてくる。槍からは空間を歪むほどの闇がうねり出し、その波動が王の間全体を揺るがしていく。


「その通りかもしれないな……。結局、俺は何も守れなかった。お前のことも含めてな……。俺が死ぬのは構わなかったんだ。でもな、アリシアとの約束を果たすまでは別だ。お前にとっても大切だったはずの人が、最後に俺に守れと頼んでくれたからな」


 ガイゼルの表情が凍りつく。


「あの人の名前を、貴様が口に出すな!」


 怒りの叫びとともに、槍が何度も大きく振り抜かれる。幾重もの闇の波動が押し寄せてくる。俺はその単調さに呆れ、哀しみさえこみ上げてきた。こんなものは目を瞑っても避けられる。


 かつて魔族が振るっていたゲイボルグの恐ろしさとは、まるで違う。ただ無駄に打ち付け、絨毯や床を傷つけ、えぐるだけだ。


 シャンデリアの光に照らされた赤い繊維が舞い散り、まるで血の雪が風に舞うような光景を作り出していた。


 素人のような槍の振り方だから軌道も分かりやすい。俺はステップを踏み、右や左に少し体を移動するだけで簡単にかわす。


 次第にガイゼルの息が荒くなり、動きも遅くなってきた。鍛錬していないから体力もなく疲れが出たのだろう。魔槍の闇は強いが、使えば使うほど精神力も削っていく。


「はぁ……はぁ……。この老いぼれが! いつもふざけてばかりで……!」


 肩で息をしながら、ガイゼルが俺を睨みつける。素晴らしい才能を持ちながら、まともに学ぼうとしなかった男の末路が、こんな形で現れるとは。何とも苦い気分だった。


「……お前に剣術を教えてやれなかったことが、俺の後悔でもある。最後に、俺の剣を見せてやる。よく見ておくんだな」


 俺は深く息を吸い込んだ。薄く目を閉じ過集中をして、身体の内側からオーラが沸き上がっていく。やがて俺にしか見えない赤いオーラが身体を覆い、溢れ出す。熱気と共に、圧倒的な力に高揚感さえ覚える。


 勇者だけが使える異能。世界を救った最強の切り札。自らの生命エネルギーを糧として、人間の限界を超える技の名は――


「ガイゼル、よく見ておけ。これが『理力』と呼ばれる勇者の力だ」


「死ねええ!」


 ガイゼルが魔槍を振り上げ、俺に闇の波動を放つ。赤いオーラをまとった俺の剣は、たやすく波動を切り裂いた。焦った彼は何度も魔槍を振るって闇を放つが、俺が軽く剣を振り続けるだけで闇が霧散する。


「そんな馬鹿な……ゲイボルグの力が……」


 ガイゼルは怯えた瞳で、後ずさりした。その隙を狙って俺は一瞬で間合いをつめた。突き出された槍を下から剣で弾き上げる。


 火花が散り、ガイゼルの両腕が大きく跳ね上がる。魔槍が後ろへ吹き飛び、壁に突き刺さった。


「え……?」


 ガイゼルは間抜けな声を漏らして固まった。


「戦場だったら、今の一撃でお前の命は終わっていた。分かるか?」


 目の前で剣を突きつけながら、俺は冷たく言い放った。


 ガイゼルの顔は恐怖に染まり、その場にへたり込んでガクガクと震え出した。

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