第18話 怜先輩の家族
怜先輩は、おつまみのイカの塩辛を一気に頬張り、ハイボールの缶を開けて流し込む。一呼吸してから、ため息をつく。
「当時、妹はボーイッシュで誰とでも分け隔てなく接する弟みたいな娘だった。成績優秀で スポーツも万能。中学一年の頃から陸上部のエースとして活躍してて、完璧超人だった」
「今と大分違いますね」
「そうだろ?正直、私は弟みたいな妹が羨ましかったし、あぁなりたかった。だから、あの子が中二の時に『いじめられているから助けて』って電話が来たときは信じられなかった」
怜先輩は、空になったハイボールの缶をギュッと潰してゴミ箱へ投げつける。
「私はあの子を過信してた。その時、就活で忙しくて構ってあげられなかったし、プレッシャーで荒れてたんだ。だから、妹に八つ当たりしてしまった。……それがいけなかった」
そう言うと、怜先輩はカクテルジュースの缶を開ける。
一気に飲み干すかと思いきや、唇が震えていた。
でも、次の瞬間、勢いよく喉に流し込む。
まるで、苦しさを酒で押し流そうとしているみたいだった。
でも、私はただ見ていることしかできない。今、どう言葉をかけたらいいのか、分からなかった。
私は「……そうだったんですね」って言いたいのに、口が動かない。怜先輩の痛みが、そのまま私の胸にナイフが刺さるみたいで
「『あんたが家を出てる間に、薫が大変なことになった』って連絡きて帰省してたら、うちの家がガラリと変わってた」
この時から先輩の様子がおかしく、私が「先輩?大丈夫ですか?」と声をかけた。だが、先輩の耳には届いておらず話を続ける。
「あんなに元気はつらつだった妹が、別人みたいに変わっていた。前みたいに『姉ちゃん』とか『姉貴』って元気にイタズラしてくれない、目も合わせてくれない。今は『お姉ちゃん』と呼ぶようになってしおらしい。ただ静かに龍世のそばにいる。それだけで、安心してるみたいだった」
「そ、そんなに変わったんですか?」
「親に聞いても詳しく教えて貰えず『龍世くんが薫のいじめ問題を解決したから、もう何も言えなくなった。今は彼に頼るしか無い』としか言ってなかった」
うわぁ……。怜先輩も何が起きたのか分からないけど、両親が龍世に介入できないって事態が異常で深刻な問題なのが伝わる。
「でも、本当にそれだけなんですか?自分の親がこんなに弱気になるなんて……何か、もっと大きなことがあったとか?」
「……私には分からない。まるで、薫じゃないみたいだった。あの子は、何を考えているのかも分からないくらい静かになった。そして、龍世と一緒にいる時だけ、ほんの僅かに昔の面影を出して明るくなるんだ」
怜先輩の声は、まるで遠くを見つめているようだった。
それが、過去の妹を懐かしむ目なのか、それとも喪失感なのか。
私には、どちらとも言えないように思えた。
あのふたりに何があったのかが気になるけど、それを聞き出せないのがもどかしい。きっと、私以上にもどかしくて苦しいんだ。先輩の表情をみるだけでも、私の心は締め付けられるようだ。
「で、薫は龍世くんと一緒に心療内科に通ってるし、今は落ち着いてるらしいんだけど、私からすると弟みたいな頃からかけ離れているまま回復してないんだよ」
「……先輩」
違う。こんな言葉を言いたかったんじゃない。でも、どうしたらいいのか分からない。
私は先輩に「そうだったんですね。それは辛いよね」って励ましたい。でも、「先輩」のニ文字しか喋れないのがもどかしい。怜先輩の気持ちを考えたら、口だけの励ましなんて軽々しくて口にできない。
「……あの子は、もう私の知らない女になってしまった。今更私が手を伸ばしても、もう届かない」
先輩の目には大粒の涙が溢れていて、気が付いたら私は先輩に抱きついていた。
「よしよし」
私は夜泣きした我が子を擦ってあやす母親のように怜先輩の背中を擦った。
「……ありがとう。結衣」
「今の私にはこれしかできませんが」
「十分だよ……。あの時、あの成人式の写真見た時にね、怖かったんだ。もしかして、私ってお父さんの子じゃなくて龍世くんの父親じゃないかって思ったんだよ」
「それは、何故ですか?」
「だって、私だけ胸が小さくて目元が龍世くんに似てるって言われたもん!
うちの家系はみんな小さくてもDカップあるのに、私だけAとBの中間くらいだもん!」
先輩は、まるで子供のように頬を膨らませてふてくされる。
さっきまでの沈んだ空気が嘘みたいだった。
—— でも、私には分かる。先輩は、本気で悩んでいたんだ。
だから、私は笑わずに「……でも、可愛いですよ?」とだけ言った。
すると、怜先輩はさらに頬を膨らませて、カクテル缶を一気に飲み干した。
「……でもね、大人になって考えてみると、成人式の写真の後でナニかあったとしても、私が生まれたのずっと後の話だったからあり得ない。でも、成人式の後にあの四人で関係があったらと考えると——」
先輩は、言葉を詰まらせる。
そして、ぐっと口元を押さえた。
顔が青ざめている。
「……吐き気がする」
そう呟いて、怜先輩は無理にカクテル缶を飲み干した。私も聞いてて辛くなり、残りの缶をかき集めて飲み干す。
「……え?」
先輩の声が、耳元で囁くように響く。
「結衣……。私の妹になって」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
でも、怜先輩の指が私の腕をぎゅっと掴んだまま、離さない。
「……えっと、どういう……?」
そこで、私の記憶は途切れた。
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