第15話 妹の決意、姉の迷い

「こ、婚前契約ってどういうつもりだ? 薫。今日は薫の大学進学するか高卒で働くかの進路相談だろ」

「お父さん。それも含めた婚前契約だよ。だから武岡龍世くんとの結婚も認めてくれませんか?」


 慌てふためく先輩と薫さんの父親に対して、薫さんは理路整然と話を進める。


「認めるも認めないも、まだ年齢的に早すぎる」

「哲司。法律的にはお互いが認めていれば結婚するのに問題はありませんよ」


 先輩と薫さんの父親が反論するも、それを遮る形で武岡弁護士が口を挟む。その表情はまさに弁護士の顔で、これが本気である事が伝わる。


「……しかし」

「お父さん。私はもう子供じゃないでしょ? それに、あの時と言ったのは何なの?」

「……あの時は、申し訳無かった」

「私も、中学の時は本当にごめんなさい」

「もう終わった話でしょう。それに、我慢した結果がこれなんだけどね」


 薫さんは自分の右目を指さすと、彼女の両親は項垂れる。

 私は完全に部外者だ。それでも、薫さんの話し方には妙な自信があるのが分かる。……これ、


 ……この覚悟が私たちにあったら、私と先輩はあの時、親や周囲の目を気にして別れるなんてしなかったかもしれない。


「別に今回は昔のいじめ問題で謝って欲しくないの。あの時はしょうがなかった。お父さんは母方のおじいちゃんの事業の引継ぎと立て直しで忙しかったし、お母さんは税理士としてバタバタしていた。お姉ちゃんは就活で忙しい」


「そ、そうだけど」

「そうでしょう? だから、旦那様とお姑さんが代わりに動いてくれたから解決したから恨みはない」


 薫さんの言葉に、彼女の両親と先輩の胸が刺さり苦悶の表情を浮かぶ。


「旦那と姑?」

「あ、私と息子の龍世の事ですね」

「え?」

「というか、と言っても過言でもないですね」

「ぐ……」


「薫も母さんも言い過ぎじゃないか? 出来るだけ穏便に事を進めるって約束だろ、薫。それに、小学校時代は逆に薫の両親に預けられてたからお互い様だろ」


 薫さんと武岡弁護士のキツイ言い方に対して、龍世は宥めて場を和ます。だが、ふたりの様子がおかしい。薫さんはともかく、普段の武岡弁護士なら冷静に淡々と業務をこなす方なのに、妙に感情的に私は感じた。


「ごめん、龍世。確かにその通りだよ。そ、相談の続きを始めるね!」


 薫さんは、チラッと龍世のうなじの傷跡を見てから視線を自分の両親に戻した?

も、もしかしてそのうなじの傷跡が原因でギクシャクしているの?

 その後は薫さんを中心に説明が始まる。簡単に言えば、龍世さんは弁護士、薫さんは税理士になる為に特待生制度を利用して龍世さんと一緒の大学に進学と結婚して自立する事だった。


 薫さんが説明する度に、龍世の父親と薫さんの母親が見守り、時には突っ込みを入れる。

 薫さんが詰まれば、龍世さんが代わりに説明するといった連携が取れていて、オブザーバーの私にとっては頼もしい夫婦に見えた。


 ただ、私が気になるのは、薫さんは自分の父親に対して「これは決定事項だ」と言いたげ に仕切るのが気になった。


 ……まるで、父親を納得させるための場のようだ。でも、それだけじゃない。薫さんの言葉には、もっと別の……何かがある気がする。


「……どうして、私だけ蚊帳の外なの。……薫にとって私は家族じゃないの?  貴方の家族は……武岡龍世なの?」


 まずい……!

 怜先輩がこのままだと精神が壊れそうだ。鳥肌が立ってないのに、全身をプルプルと震わせて涙を溜めている。


「せ、先輩。私ドリンクバーからお水やカモミールティー用意しますね」

「う、うん」


 私は一旦先輩から離れて急いでお水とカモミールティーを用意する。対処療法だけど、何もせずにいるのはもう見てられない!


 急げ急げ急げ!


 ただ、ドリンクバーにお水とカモミールティを入れるだけなのに、こんなにも遅く感じる。


 ようやく準備したところで、私は龍世さんの父親と目があった。彼の父親は腕を組んでナイフのような鋭い目で私を睨んだ後で目線を怜先輩のほうへ追う。


 わ、私たちが盗み聞きしてるのバレた!


 この人、何か考えてる。私たちを値踏みするような目……いや、それだけじゃなくて、怜先輩に向けるあの視線……なんでそんな目で見るの?


「か、薫は私を……父さんを許してはくれないのか」


「勘違いしないで欲しいんだけど、あの時はみんな忙しいからしょうがないって思える。……でも私が入院した時に、勘違いでをさせたのはどうしても許さない」


 薫さんの一言で、場の空気がさーっと引いていく。

 武岡弁護士が静かに目を閉じる。龍世さんは唇を噛みしめて、目を伏せた。

 —— 何があったの?

 薫さんはまだ何かを言い足りなさそうに口を開くが——


「薫、やめとけ。俺はうなじの傷跡は気にしてない」


 隣にいた龍世が、静かに彼女の手を握った。

 彼の手は大きくて、温かいのに、その場の空気はひどく冷たかった。

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