八篇目の魔女の塔 -1-


 男はまた、知らない天井の木目を見た。

 身体を横たえていたベッドから起こしてみれば、何度も見た、知らない生活感のある小屋の中の部屋の風景が男の視界いっぱいに広がっている。

 男はため息を吐く。

 また失敗した────と。

 男は足を下ろして、ある方向を見た。

 その視線の先には、暖炉と、カーペットの上に置かれたロッキングチェアと、それに座り、ゆらゆらと揺れる椅子に身を任せている一人の老人の姿があった。

 老人は男の方を見向きもしない。

 ただただその椅子の揺れに身を任せて、いや、あるいはわざと身体に力を入れて揺れているのか、どちらかには男には判断しようがなかったものの、それ以上のことを老人は、しない。

 これまでの男の記憶では少なくとも、老人はずっとそのままなのだ。

 男はベッドから足を下ろして、小屋の中を注意深く見回した。

 何か、変わっているものはないか。

 記憶と違うものはないか。

 彼は『冒険者』である。

 似たような経験が無いわけではなく、その経験を頼りに彼はカーペットのズレ、壁や床のシミ、暖炉の炎の大きさに至るまで、とにかく何かが変わっていないかと、ひたすらに見た。

 ………しかし、見つからない。

 男が状況の深刻さに気がついて、この部屋の状況を記憶するようになったのはたった『数回前』からだ。

 それだけではいくら男の記憶力がそれなりに優れていたとして判断のしようがなく、物事の判別の材料としては少々心もとないと言えてしまえる程度のものでしかない。

 しかも、今はその記憶のズレや抜け落ちを共有できる仲間すらも男の傍に存在していないのだ。

 彼一人で自分の記憶の整合性なぞ取りようも無いのだから、どれだけ彼が記憶に自信があったとて、正確性があったところでそれを証明してくれるものはない。

 男はもう一度息を吐く。

 何度も見る事となった、この灰色で、それ以外が辛うじて影だけが黒く、光だけが白く輪郭を映し出す世界で、ただ一人。

 ………否、正確には男の他に、この小屋の住人であるらしい老人はいるのだが。

 それでも男は、この世界で一人であった。



 男は立ち上がる。

 もうこの部屋の中は何度も調べ尽くした。

 部屋の隅を占領する本棚の、何度見ても内容の変わらない、何百年も前の魔道士が描いたらしい何十冊かの魔導書や教本、初心者の魔導士のために作られた心得の教科書の十数冊、日記じみた手記に書かれた誰かの魔術師としての成長を観察して記録したもの、子供の落書き帳のようなもの、申し訳程度の絵本。

 昼も夜も分からない、あるいは存在しないのだろうこの世界を利用して、男は体感として何十時間もかけてそれを読み切ったのを思い出す。

 それも、数度試した。

 中身の内容が変わっていたらいけないと。

 半ば、内容を覚えるほどに、一頁ずつを読み込んでいた。

 今やどの本を見てもそれがどんな本だったかある程度答えられるくらいには本の内容を覚えている。

 彼の仲間の一人のように、何頁目の何行に何が書かれている、ということを言えるほどの記憶力こそ男には無かったが、男にしては自分の健闘を称えたくなるほどには内容を覚えきっていた。

 次に、台所。

 水場と作業場と釜戸くらいしかない、どこの家でもありえそうな最低限のものだけが取り揃えられたそこには、食材に特化した冷蔵や冷凍の魔法がかけられた食材置き場が存在した。

 男が覚えている限り、冷蔵や冷凍の魔法が世界に普及を始めたのは八百年ほど前のことで、更にそれが改良されて精度が上がってきたのもここ数百年ほどであったはず。

 それを何回か前にしっかりと思い出した男は、何度もその食材置き場に対して魔力検知を行ったものだ。

 結果としては、この食材置き場なっている場所にいた冷蔵と冷凍の魔法が施されたのか、いつ頃に開発された術式であるか、そういったことは全く分からなかったのだが。

 分からない、ということが返ってきただけでも、男は分かることがあったと前向きに考えて終わらせていた。

 強いて言うならば、この台所が直前まで使われていたような形跡………釜戸の下の炭の状態などを見れば、あることがわかるし、水場のほうには一人分の食器が洗われずに置かれたままになっているのだが、食器についた残渣物は男の記憶上、全く腐ってすらいない。

 まるでそのような造形で作られた舞台の小道具、無駄に精巧に作られた子供のおままごと用の玩具なんじゃないかと思う程に、何も変わっていない。

 一番おかしいのは、匂いが全くしないこと。

 どんなものを作ったのか、何だったのか、分からない。

 それが分かったところで何になるのかは男には答えられないのだが、少なくともそれに時間的な変化さえあれば、今、この男を取り巻く環境の一つの変化だけでも得られた筈だったことだけは確かだ。

 強いて言うなら、逆に一つの結論として、この世界では一切の時間が動いていないのかもしれない、と男に思わせただけであり、それも確実な確信に至るものではないが、有り得る事として頭に入れなければならなくなった。

 それくらいのものである。

 次に、己が先ほどまで横たわっていた寝具を見る。

 こちらも、目立った汚れはない。

 使い古された故の独特のくたびれた布の感触と、何度も洗われたような後に縫い目が荒くなるような、そのような様子は感じ取れる。

 当然のように埃などは被っている様子はなく、自分が寝ていようが寝ていまいが、このベッドは少なくとも一日の始まりまでは使われていたのだろうと男は考える。

 そもそも、男をここに寝かせたのが誰なのか、という問題は残るのだが。

 順当に考えれば、ロッキングチェアに腰掛けたままの老人であるし、その老人がいくら線の細く、対する男の体格を鑑みて持ち上げることが不可能だと思っても、本棚を見れば、そして本の持ち主がこの老人なのであれば、老人が魔法に心得があることになる。

 それならば、男は老人の魔法によって運び込まれた、と推察は可能である。可能であるだけではある。

 なぜならこの老人は、男の記憶ではずっとこのまま、座っているだけだからだ。

 ロッキングチェアの揺れに身を預けたままで、男はそれ以外を知らない。

 男は次に、ダイニングテーブルにに手をやろうとした。

「────もう、諦めなされ」

 嗄れた声が男の手を止めた。

 男が声の主を見る。

 声が聞こえるとすれば、自分以外にはそこで時間を持て余すようなその人しかいない。

 ………老人は、動いていない。

 しかし、口は動かした。

「無意味だ」

 抑揚のない言葉と声色が、男の耳に届く。

「結果は変わらぬ。変わらないからこそ、この世界に意味がある。動いて何の意味がある。お前もまた、その流れにいる者だ。」

 男は老人の言葉を聞いてはいた。

 老人がどこまで喋るのかを、静かに見つめながら黙って聞いていた。

 しかし、老人はそれ以上を話すことはしなかった。

 『初めて』会った時には、一言も発することがなかったその老人が話していることは、少なくともこの世界における、男が唯一感じ取れる変化であった。

 そして、『今回』は随分饒舌になったように男は感じていた。………これでも、である。

 ただ、老人の言っていること自体には大凡の変化は見られていない。

 男にひたすら、『諦めろ』『意味がない』、そういったことをただ難しく、難解に、理屈っぽく口にしているだけだ。

 それとして多少文脈として伸びた所で、説得とは程遠いように男は思う。

 言っていることは、理解できる。

 否、理解しなければならないことなのだろう。


 結末は変わらない。

 これはもう、『決まっている事』だ。

 お伽噺の絵本のように、最後の頁を開けば、その結末が見えてくる。

 そしてそれは何度開いても変わらない。

 同じ事だ。

 物語は、書き切られた時点で結末を固定されるのだ。

 否応なしに、結果として。


 男は思う。

 自分は恐らく、次も『そうなる』のかもしれない。

 自分はまた、『魔女』に負けるのだ。

 そのような気持ちが、頭を去来した。

 老人が言っていることはそういうことなのだろうと、脳が理解を始めている。

 確信ではないが、一度浮かんだ考えを捨てきれるほどに、男は淡白にはなりきれない。

 『変わらないからこそ、この世界には意味がある』。

 それは、誰かが望んでこうなった世界だから。

 男はそう解釈した。しただけである。答えはない。


 男は踵を返した。

 

 小屋の扉のノブに手を掛ける。

 男が扉を開ければ、いつものようにすんなりと開く。

 その向こうには、相変わらず色の乏しい森が広がっている。

 男は迷わず外に出て、まっすぐに進んだ。

 舗装されているのか、いないのか、判断がつかない森の小道を男は迷わずに歩いていく。

 最初の時は、殆ど勘。木の並び方だけで道を判断していた。それが最早懐かしいことになりつつあるのを男は体で実感しながら、先へと進む。

 どのみち恐ろしいほどに一本の道でしかない単純さにいい加減男は呆れすら通り越して慣れ過ぎてしまっていた。

 例えば、学生の考える通学路とはこういうものだろうかと、どうでも良い想像をするくらいには。

 ただ、十を数えるほどまでには歩いていないというのに、人間の体、認識というものは不思議なものだとも、男は考える。

 それが己が単純だからなのか、それとも道が単純だからなのか、男は分からなくなりかけたので、考えるのを止めた。

 そんな己に、多少の賢明さを覚えた気がしたが、気の所為にして、男は足を進めることだけを考える。

 気が散らないように、己の足の裏、靴底の厚みとその下から返される土の感触と、砂利や小石を踏み鳴らし、滑り止めの間に入り込む僅かな擦れの感触に気を紛らわせた。

 やがて、男の視界が、ぱっ、と拓ける。

 男の眼前には、崖が広がっていた。

 男は足を止めて、そこから見える景色をじっと見た。

 崖下に未だ広がる森林たちと、遠くに見える山々。

 森の中央には、大きな湖。

 その湖に囲まれるように、巨大な城が聳え立つ。

 

 あれが、魔女の塔である。

 どう見ても、城にしか見えないのだが。

 あの小屋の老人が言うには、『魔女』の建てた『塔』なのだと。

 何度目かに、そう言われたことを男は思い出す。

 自分の想像とかけ離れすぎて、離れない言葉として。

 

 男は少しの間、何の感慨もなくそれを見つめていた。

 男の金色の瞳は、城を映してはいたが、男自身は、何を見ているのか自覚があまりなかった。

 自分を取り巻く緊張と、揺るぎそうになる『これで終わりにしよう』という決意だけが、男をこの場に留めていた。

 恐らく、己がここで踵を返し、あの小屋で時間を持て余しても、恐らくは何も問題がないのだろう、その気持ちが足を後ろの、今通りがかった道に糸を引いているような気とそれが引っ張ってこようとしている気さえしたが、男は気が付かない振りをして、崖沿いの道の先にある下り坂を目指して、再び歩き始めた。





 《八篇目の魔女の塔》





 男が目を覚ました時、そこは既に知らない場所であった。

 知らない天井、知らない部屋、知らない家具たち、知らない老人……彼の目に飛び込んできたものは色を失った絵画のような、もしくは鉛筆や薄い単色の絵の具で彩られたような、そんな空間。

 男は当然、自分を取り巻く環境に困惑したものだ。

 自分がおかしいのか、それともその環境がおかしいのか。

 それを手探りでも良いから確認をしようと、彼は初歩的なものから思い出すことにしたのだ。

 彼はまず、自分の名前から思い出すことにした。

 彼の名前はイーハイ=トーヴといった。

 『ステイゴールド』と呼ばれる世界の、王都リューンという冒険者の多く集う大都市のほんの一角、ほんの一つの建物、冒険者の集うギルドの一つである宿『こもれび』で『仮初探偵事務所』というチームを組んでいて、彼はそのチームのリーダーをしている。

 たった五人から始まったそのチームは今や何十人という規模のものに膨れ上がっており、その過程で数え切れないほどの冒険と驚きを得て、その中で自分が獲得した装備や装飾品は当然のように身につけてあった。

 はて、とそこでイーハイは思考を変える。

 自分の名前、大まかな記憶、経歴、それは自分がしっかりと覚えているものから、断片ながら思い出せるものまでしっかりと彼の頭に浮かんでくるものの、………直前の記憶がなかった。

 普通に装備や装飾品を手に届くところに置いて、身軽な格好になってベッドに潜り込んだような気がするし、そうでなかったような気もしていた。

 しかし、その記憶が果たして目を覚ます前の自分なのか、それとも思い出せないからこそ起こる日々の繰り返しによる思い込みなのか曖昧だったので、直前に別のことが起こっていたとしたらどうなのかと思い、信じ切ることができなかった。

 結果的に、それならば、彼を取り巻く今の環境こそがおかしいのだと結論づけるしかなく、彼は直ぐに行動を開始せざるを得なかった。

 まずは当然のように老人に話しかけたものの、彼の声は聞こえていないのか、それともそうではないが聞く気がないのか、ロッキングチェアの上でその揺れに身を任せたまま、老人は微動だにすらせず、イーハイの方を見向きすらしなかった。

 仕方なく、イーハイは老人に聞こえていないことを前提に部屋の中を見てもよいかどうかだけ聞いたが、返事はなかったのでそのまま調べ始めた。

 気が引けながら、あまり問題にならなそうな、本棚の前に積み上げられた本を手に取り、恐る恐る開けてみても、老人が自分の方を向くことはなかったのをいいことに、彼は小屋の中をくまなく見ることにした。

 本棚から、台所から、ダイニングテーブルから、部屋の至るところにまで、彼はとにかく自分の手垢をつけてやるようなやけくそ気味の気持ちで手を付けた。

 その間も、老人は体を揺らして、イーハイをただの一度も見ることはなく、ましてや他の動作をすることもなかった。

 小屋の中にあるもので成果を得られなかった彼は、「外に出ればせめて、ここが何処であるかを推測くらいはできるかもしれない。空が確認できれば、時間帯も……」と考え、小屋の扉を開けようとしたところで、彼は驚いて振り向くことになった。

「『魔女』は『塔』にいる。私は、諦めた」

 そのような嗄れた声が、イーハイの耳に届いたからだった。

 位置も、距離も、おそらく老人のものと断定してよいだろうに、彼は一度しか聞こえなかったそれに、己が生み出した幻聴か、自動で音声を流す魔法の類を疑って硬直したが、十数秒経ってもそれ以上何も起こらなかったことに肩をすくめて外に出た。

 出て、数秒でさらに溜め息を吐くことになったが。

 外に出れば、見知らぬ森。

 木を見たところで、色が無く、その木が一体どんな特徴を持つのか分からない。

 木の葉の間から空を見やれば、太陽なのか何なのか分からない白く丸いものが放射状に何かを放っているのと、それを受けて影を落とす雲のようなものがあるだけだった。

 一応、快晴ではないが青空のような物、しかしそれは青ではない、ただ恐らく、あの白く丸いものを太陽だと仮定するならば、位置的には昼前である、ということしかイーハイには分からなかった。

 ここにいてもしょうがないと、イーハイは仕方なくその小屋から離れることにした。

 そうして森の中を進んで、崖にたどり着き、そこから巨大な湖と、湖の中央に聳える城を見つけた。

 イーハイはあの老人の言葉を思い出した。

 魔女は塔にいる。私は諦めた。

 そんなふうに言っていた。

 何となしにイーハイは辺りを見回すが、『塔』と言われて自分が思い浮かべるような形の建造物は少なくとも視界に入ってくることはなく、もしかすれば、それ程大きくない建物なのかもしれないと考えた。

 考えても仕方ない、と思い、イーハイは森の中を歩き回った。

 どこを歩いたのか分からなくならないように、持っていた採取に使う為のナイフを使って、木々に謝りながら印をつけ、時に地面にも手頃な石を持ってきて置いて、それに傷をつけて目印にしたりしながら、彼は長い時間をかけて辺りを探索した。

 結論から言うと、彼のいる崖上の森の中では小屋以外の建造物は見つからず、代わりに少し離れた位置に下り坂、そして森から山に続く上り坂の向こうが濃霧のようなものに覆われて向こう側が見えない上に、濃霧の中に入ろうとすれば阻まれてしまい、そもそもその向こうに行くことすら叶わなかったのである。

(世界が隔たれている……? それか、閉じ込められたか?)

 彼はそう考えるしかなかった。

 崖上から見える建造物も、あの城しかなく。

 基本的に、人間は何かしらの建造物を建てるときには、ある程度の場所をとるだろうから、という理由であれ以外には無いだろう。

 開けた場所がそれ以外になかった。

 老人の言う『塔』というのはもしかしたら城の一部の事を言うのかもしれない。

 イーハイはそのように結論づけて、仕方なくあの城に向かえそうな、見つけた下り坂を降りていったのだ。

 坂を降りきり、水の匂いでも辿ろうかと考えた彼だったが、そこで気がついたのは、木々や獣の匂いすらしないことだった。

 探索に夢中で、珍しく失念していたことだったが、そもそも探索中に、何の生物にも接触をしなかった、と。

 植物という生物は視覚上存在しているものの、この世界の様相において生きているかどうかすら怪しい。

 鳥の声の一つも聞こえず、風すら吹いてこない。

 自然の香りが存在しない。

 太陽の温かさすらもない。

 見上げてみれば、空であろう天上には最初に見た時と位置が変わっているのはイーハイが移動したからだろう、というくらいにしか動いていない白い丸がただ浮かんでいる。

 雲の位置も、そのままなように見えた。

 今更おかしな世界に巻き込まれるのは慣れすぎてしまっている彼だったが、呆れないわけではなく、彼はふっ、と大きく息を吐いた。

 結局彼は、一度自分が降りてきた坂を途中まで戻り、城の位置を確認してから方角を覚えて、その方角に向かって歩くことにした。

 匂いも、生命の息遣いも、音もしない世界というのは存外に気がついてしまうと味気ないものだった。

 それは、未知の世界を探索しているという最低限の好奇心をすぐに上回り、辟易とした感情を生み出すに容易な環境でしかなかった。

 実は無意識に、それに気が付かないようにしていたのかもしれない……と、イーハイは考えたが、そう思うには時はもう遅く、どうにも出来はしない。

 この世界で何をしなければならないのか、それを見つけることをまずは優先しなければならないと、彼は気持ちを奮い立たせた。

 歩きながら、イーハイは唯一この世界で聴いた音を再度思い出す。

 『塔』はともかく、『魔女』とは何だ? と。

 老人が諦めたものとは何だ? と。

 幸いにも、彼には現状、集中しすぎて木にぶつかったり、或いは何かに足を取られて転ぶ以外の危険があまりなかった為に、考える時間は幾らでも取ることができた。

 酷く静かな森の道の空間の中で、イーハイの思考だけがうるさく通り過ぎる。

 ………端的に考えれば、というより、老人の言葉をそのまま取れば、当たり前にそのままなのだろう。

 『魔女』という存在、あるいはそう呼ばれるような何者かが『塔』にいる。

 単純に結びつければ、その『塔』とやらにいる『魔女』に会うなり、或いは何らかの行いをすれば、もしかしたらこの世界に変化が訪れるのかもしれない、という至極簡単な話である可能性は十分にあった。

 強いて言うなら、それをしっかり裏付けられる証拠、というか証言が、その老人の短い言葉くらいのものしかないことであるが。

 ただし、それでも老人の言葉がまるきりブラフである、そう、所謂はったり、嘘、そういったものでないとは限らない。

 実はあの老人自身を何とかする、……悪く考えれば、最悪の場合、殺すなりなんなりをすればこの世界から脱出できる……なんていう単純明快もあり得るわけで、断定が不可能なのだ。

 ………いや待て、とイーハイは小さく首を振る。

 『魔女』と『老人』がもしも、この世界を魔法や魔術で構成しているのだとしたら、それを害した時に自分に何が起こるか、あるいはこの外で何が起こるのかを一切保証することができない。

 そうだとして自分が巻き込まれている理由が分からないのだが、巻き込まれているかどうかすらも元々イーハイにはこの世界で目覚める前の記憶が曖昧なのだから、確証が持てない。

 自分自身の持ち得る自分の情報すら曖昧なのに、一体何のことが得られようかと、イーハイは頭を抱えかけた。

 どの道、今、彼が『城』に向かっているのも、「老人が言っていた塔というのが城にあるかも」という曖昧すぎる憶測の元に行われている行為なのだから、ここで考えても何も得るものはないのだが。

 何にせよ、『塔』に行けば、『魔女』には会えるのだろう。あの老人の言葉が真であるならば、だが。

(その魔女とやらとは、会話は可能なのかな………。話せるなら、聞きたいことだらけになるけど。)

 イーハイは、適当にそんな事を考えた。

 そうしている内に、彼は城を一望できる水辺、湖の畔に辿り着いた。

 首を巡らせて辺りを見れば、遠くに城に続く橋が見える。

 彼はその橋を目指して、水辺に沿って歩き出す。

 歩く事、十数分ほどだろう。

 イーハイは橋に辿り着いた。

 長く敷かれた煉瓦造りの橋の向こうに、灰色の門と城が聳えている。

 煉瓦の隙間の小さな穴に入り込んだらしい僅かな土の間から覗く、まばらに生えた雑草たちになんとなく目をやった後に、イーハイは橋の上に足を置く。

 一応、何とも無いようだ……と、イーハイは息を吐くと、橋の向こうを目指して再び足を進ませた。

 煉瓦を蹴る自分の足音に何となく聴き慣れた安心感を覚えてしまいそうになりながら、視界の中で近づいてくる城門に意識を持っていく。

 城門の下まで来た。

 歓迎か、それとも放置か。

 上がったままの鉄格子が上を向いたイーハイを出迎える。

(通ったらアレで真っ二つ、ってことはご勘弁願いたい……)

 半ば冗談のような事を自分に言い聞かせながら、イーハイは慎重に城門をくぐった。

 何もなかったことに安堵しながら、イーハイは前を向いて『城』を見る。

 どう考えても、塔には見えないが。

 イーハイは怪訝な顔でそう見るしか無かった。

 次に彼を出迎えたのは、十段もない階段と、その階段の先にある大きな木造りの両開きの扉である。

 城の中に入るための扉だろう。

 開けば大広間でもあるのだろうか? 等と思いながら、イーハイは階段に向かうとそれを登る。

 扉の前に立った。

 イーハイは手をかけて開けようとして、触れる寸前で手を止めた。

 なんとなしに彼は懐から二つの宝石のような魔導具を取り出す。

 緑色と黄色の宝石のようなものをあしらった魔導具は、イーハイの魔力を受けて浮かび上がると、きらきらと光ったが、それだけだった。

(魔法は反応がないから、かかってない。開けたら生き物がいる、というわけでもないみたい。………少なくとも、近くに『魔女』はいなさそうだ)

 と、イーハイはその宝石たちが自分に与えた情報を分析した。

 彼は誰に確認するでもなく、己への納得の為に一つ頷くと、魔導具を懐にしまい込んで、今度は素直に扉に手を当てて、力のままに奥へと押し込む。

 扉の蝶番いの金属音が若干耳に不愉快に、重厚に、しかし錆び付いているとも言い難いものとして辺りに響きながら、扉が開いた。

 開いた扉の先は、案の定広く開けていたが、案外、彼が思ったよりはやや小さいものだった。

 少し古くはなっているらしいタイル貼りの床と、二階に続く壁沿いの階段が一つ。

 階段の先の道には、どこかに続く廊下に繋がるアーチがあるようだった。

 一つ気になったとすれば、不自然な位置に置かれた鎧の置物、だろうか。

 階段の登り口に一つと、階段を登りきった先と、アーチまでの道の途中に一つ。

 不自然だ、と思ったのがイーハイにとってはそれが、城を建てるような財力や権力を持つ人間の装飾の趣味がわからないからなのか、それとも何か意図があってのものなのかが分からないからであるのかが判断つかなかっただけであるが、ただでさえ鎧の置物だ。

 ここに立っているのが仮にイーハイでなくとも、それなりに名を上げられる実力を持つ冒険者であるならば、そのようなものを見たときに取る行動はただ一つ、……『警戒』だ。

 理由としては、八割五分ほどの確率で、碌なことにならないものと認識しているからだ。経験上の話ではあるが。要するに、単なる偏見である。

 ……その偏見には確率を考えれば助けられたことが多すぎるからこその『警戒』なのだが。

 そんな理由で半分、鎧の置物に気を取られつつも、イーハイは慎重に足を踏み出した。

 一歩、二歩、……三歩────。

 四歩目を、出そうとした彼の足が、止まった。

「────────え」

 イーハイは、そこで自分の身体が前に進まないことに違和感を覚えて、視線を下にやった。

 自分の身体から、知らないものが顔を出していた。

 ────胸から、自分の腕くらいの太さを持った岩が、一本突き出していた。

 次に、何らかの衝撃を伴って、腕が、脚が、一瞬だけ震えた。

 胸と四肢を串刺しにされた彼の姿が、そこにある。

 彼の意識は、自分の姿を認識する前に闇に落ちた。


 それが、彼の『一度目』の記憶である。





(続く)

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