第10話 欲張りな手



 ――ダブルデート当日。

 私は勅使河原くんと約束していた駅のモニュメント前に一人ぽつんと佇む。

 結局、彼が来れなかったことを真妃に言えなかった。恋の相談をしてから応援してくれたし、初対面を楽しみにしてくれていたのに。


「真妃になんて言おう……」


 結果、私は二人の付き添い役に。

 邪魔するくらいならいないほうがいいかな、なんて思いながらベージュのショルダーバックからスマホを取り出して画面をタップした。

 ところが、突然目の前に人の気配が。目を向けると、そこにはスカイブルーのシャツをおしゃれに着こなしている勅使河原くんの姿が。


「来て、くれたんだ……」


 彼の姿が目に映った瞬間、唇が震える。

 おとといは行かないと言ってたから、来たことに正直驚いた。次第にじわじわと感情の波に飲み込まれて目頭が熱くなる。

 

「裕喜がどうこうという以前に、おまえとの約束が優先だから」

「義理堅いんだね。そこも勅使河原くんの好きなところだよ」

「やっ、約束の時間に遅れるから行くぞ!」


 せっかく褒めてあげたのに、彼は早口になった途端に大股で先を行く。私はその背中に「待ってよぉ〜」と言って追いかける。勅使河原くんはやっぱりプッシュに弱いのかな。


「ねぇ、付き合うフリをするならお互い下の名前で呼び合わない?」

「怪しまれるのも面倒くさいからそうするか」

「じゃあ、この瞬間から瑠依くんって呼ぶね!」


 にっこりとしながらそう言うと、彼の目線が遠退くように左ななめ上に流れた。


「……ごめん、お前の下の名前なんだっけ?」

「えっ、知らないの?」

「興味ないから」

「そんなぁ〜……。耶枝だよ。耶枝っ!! いーい? 今日から一生忘れちゃダメだよ!」


 軽くショックを受けつつ忘れないように念を押して言うと、彼はじーっと見つめてきた。


「耶枝」

「えっ!」

「お望みどおり呼び捨てにしたのに、それだけで顔真っ赤になってんの」

「うっっ……」


 だって、呼び捨てにしてもらえて嬉しかったんだもん。

 すると、彼の目線は私の手元に流れた。


「そのでかいトートバックになに入ってんの?」

「昼食のお弁当だよ。真妃と半分ずつ作ったんだ」

「貸して。俺がそれ持つから」

「えっ、いいよ……。たいした重さじゃないし」

「俺が食う弁当なんだから俺のものでもあるだろ。さっさと渡せよ」


 彼はそう言うと、トートバックをひょいと取り上げて肩にかけた。

 「重そうだから持ってあげるよ」って素直に言えばいいのに。なんて不器用なんだろう。……でも、本物の彼氏っぽいね。


 ――それから10分後。

 上原動物園前につくと、真妃は私たちの到着に気づいて手を振る。


「や〜え〜っっ! こっちだよ〜〜。おーーーーい!!」

「真妃、おまたせ〜。時間より早めに来たけど真妃たちも早かったんだね」

「うん! 楽しみにしてたから」


 私と真妃がきゃあきゃあ盛り上がる中、真妃の隣に立つ裕喜くんが瑠依くんを仰天した目で見てポツリと呟いた。


「瑠依……。まさかこんなところで再会するなんて」

「……勘違いしないで。おまえに会いに来たわけじゃないから」


 瑠依くんは皮肉っぽく言うと、風を切るようにチケット売り場へ向かった。その背中に不穏な空気を感じつつあとを追う。

 彼が会いたくないと言っていただけに、二人の関係は想像以上に冷え込んでいる。


 みんなのチケットが揃い、瑠依くんは「別行動をしよう」と提案したけど、真妃は「せっかくだからお昼は四人で食べよう」と言う。

 彼は渋々それを了承して、そこで一旦解散した。

 今日は日差しが強いので売店でアイスクリームを購入し、手前のニホンザルの場所へ足を運ぶ。

 すると、彼は手すりに腕をかけてサルを眺めながら言った。

 

「おまえの理想の彼氏って、どんなん?」

「どうしてそんなことを聞くの?」

「今日はおまえのために時間を使うって決めたから、少しでも理想に近づけてやろうかなって」


 これだけでもバカみたいに心臓が暴れ始めた。

 ……ねぇ、知ってる? 本当は答えが一つしかないってことを。


「いつも通りの瑠依くん……かな」

「えっ」

「良いところも悪いところも含めて好きだからね。私に合わせなくていいよ」


 瑠依くんを遠くから見つめていたあの頃より、いまのように素のままでいてくれるほうがいい。それだけでも私は充分幸せだから。


「ほっ、褒めてもお前の彼氏にはならないから!」

「……もしかして照れてるの? 顔が真っ赤。かっわいい~!!」

「うっさいな!」

「ねぇ、見て! 瑠依くんはあのニホンザルと顔色が一緒だよ」

「ふざけんなっつーの」


 彼は冗談を遮断するように、私の食べかけ中のソフトクリームにパクリとかぶりつく。それを見た途端、私はニホンザル以上に顔が赤くなる。


「あっ、あっ、あぁぁぁぁ………っ。瑠依くんと……か、関節キス……」

「彼氏のフリってこーゆーことでしょ」


 彼はぺろりと唇を舐めて意地悪顔でそう言った。

 不意打ちを食らったせいで爆音の心臓が回転数を上げると、ソフトクリームが指の隙間からポロッと落ちる。


「ばっ、ばかっっ!! どうしてソフトクリームを落とすんだよ」

「だってぇ……、瑠依くんが関節キスしてきたから興奮しちゃったというか……」

「は? これだけで?」

「あーあ……。どうして落としちゃったんだろ。私も間接キスしたかったのにぃ」

「……っっ、下心満載だな。それより、服の汚れを落として来たほうがいいんじゃない?」

「うん、そうする。トイレに行って洗い流してくるね」


 私はそのままトイレに行って、水を湿らせたハンドタオルで汚れている部分を拭き取った。おしゃれしてきたワンピースは涙をにじませてしまう。

 瑠依くんは裕喜くんと別行動なおかげか、機嫌は悪くなさそう。入口で会った直後はもっと嫌悪っぽい雰囲気になるかと思っていたのに。二人は仲直りできるかな。でもどうやって仲直りさせよう……。


 二人のことを心配しながら外に出て来ると、二十代くらいの男性二人組が私の方へ寄ってきた。


「ねぇねぇ、キミいま一人?」

「えっ……」

「キミ超絶かわいいね! モデル? 芸能人? よく言われるでしょ」

「時間あったら俺らと一緒にまわらない?」

「無理です。連れがいますので……」


 私はナンパをしてきた男たちの横をササッと通り抜ける。しかし、彼らは諦めずに私の腕を掴む。


「連れって女の子? じゃあ俺らとダブルデートしようよ!」

「そそ。いこいこ! きっとお友達ちゃんもかわいいんでしょ?」

「やっっ……。手を離して下さい!!」

「そんなこと言わないでさぁ。美味い飯食いに行こうよ」

「俺らいい店知ってるからさ」

「やめて下さい!! さっきから断ってるじゃないですか!」

「おぉ〜、おぉ〜、怒ってる顔もかわいいね」


 ここまでしつこいナンパは久しぶりだった。結局私の顔しか見ない男たち。それがどれだけ嫌な思いを重ねてたのか、彼らは知るはずもない。

 すると、私たちの方へズンズンと近づいてきた大きな足音と共に男の手が離れた。振り返ると、そこには少し眉を釣り上げている瑠依くんの姿が。


「こいつ、俺の彼女なんで勝手に触んないでくれますか?」

「えっ……、なにこの人。もしかして、キミの連れ?」


 私は二回うんうんと頷くと、彼らは「ちぇっ」「なんだよ」と文句を言いながら離れて行った。

 彼が来てくれた途端、私は空気が抜けるほど安堵した。しかし、『俺の彼女なんで』という言葉が蘇ると、鼻の奥がツンと痛くなる。


「大丈夫?」

「うん。助けてくれてありがとう……。さっきは本物彼氏っぽくてすごく嬉しかった」

「ばーか。今日だけはおまえの彼氏なんだろ」


 彼がなにかをしてくれる度に欲張りになっていく自分。こんなにいっぱい好きと伝えても想いが届かないのにね……。 


「人に興味がないって言ったくせに」

「興味はないよ。ただ、約束は絶対に破りたくないから……」

「……この前から気になってたんだけど、どうして人に興味が無いの?」

「人は簡単に裏切る生き物だから」


 彼は遠い目をしながら広い空を見つめる。それがどういう意味かわからなかったけど、私も彼のためにできることを考えた。そしたら、一つの答えが浮かび上がって、隣からさっと手をつないで彼に伝えた。


「私は裏切らないよ」

「えっ」


 見上げていた彼の目線は私へ。


「絶対に瑠依くんを裏切らない」

「耶枝……」

「3か月前、瑠依くんは私を保健室に運んでくれたでしょ。そのときに自分が運んだことを養護教諭に伝えなかった。他の人は私からお礼の言葉が欲しくて名前を残していくのに……。その見返りを求めなかったのは瑠依くんだけ。だから誓ったの。この人だけを信じていこうって」


 私は保健室での直感を信じて彼に近づいた。フラれたり、試練を与えられたりで、最初はなにもかもがうまくいかなかったけど、気づけばいつも横にいてくれた。どんなに憎まれ口を叩いても、約束は必ず守ってくれていて……。


「あのときは気を失っていたはずなのに、どうしてそれを……」

「どうしてだと思う?」

「えっ」

「続きは私と付き合ってくれたら教えてあげる!」


 これ以上しんみりしたくなかったから、にかっと笑った。彼はそれに安堵したのか空気が抜けたような笑顔に。


「ったく! おまえってやつは……。勿体ぶってないで続きを話せよ」

「だめぇ〜」

「わかった! 俺の前でわざと倒れたんだろ」

「ぶっぶ〜〜! 怪我をするかもしれないのにそんなことするわけ無いじゃん」

「じゃあ、誰かに聞いたとか」

「ハズレ〜っっ!!」


 告白するまでこんな身近な関係になれるとは思わなかった。

 繋いだ手をもう二度と離したくないくらい自分が欲張りになっていくなんてね……。

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