元警備員アルバイト 高岸謙吾

「すみません、遅くなりました。思ってたよりゼミが長引いちゃいまして……」


 そんなそんな、時間をとっていただいているのはこちらですので、お気になさらず。大学、忙しいんですね。


「そんなことないですよ。今日はたまたま教授が長話をしたせいで遅くなっちゃったんです。一日に受ける講義の数が少ないんで、割とゆっくりしてて時間が余るんでバイトばっかしてますよ」


 そうなんですか。じゃあ、普段はバイト漬けだったりするんですか?


「そうですね。自分、受講する講義が0の曜日もあるんですよ。そんな日は朝からバイトをすることが多いですね」


 今は何のアルバイトをされてるんですか?


「派遣です」


 派遣のアルバイトですか?


「はい、自分が空いてる日にちと時間を登録しておくと、その日に入れる案件を派遣元が紹介してくれるんです。それで気になったものがあれば受けるって感じですね」


 業務内容としてはどんなものが多いんですか?


「そうですね……ポケットティッシュやビラ配り、イベントスタッフとかですかね。あとは、期間限定ショップのスタッフもよくあります」


 色々あるんですね。時給はいいんですか?


「普通ですよ。でも、自分が入りたい時に入れるから助かってます。今更もう遅いんですけど、最初からこっちのバイトにしておけばよかったなあって思うことがあります」


 もともとされていたショッピングモールの警備員の仕事はどこで知ったんですか?


「大学の先輩です。ゼミの先輩で、良さそうなバイトがあるから一緒にやってみないかって声をかけてもらったんです」


 大学の先輩はどこでその求人を見つけられたんでしょう?


「すみません、そこまではわからないです……」


 いやいや、謝らないでください。わかる範囲でお答えいただければ大丈夫ですよ。では、辞めた理由をお伺いしてもいいですか?


「はい……あの、実はもともと辞めようかなって思ってたんです」


 もともとですか?


「はい、母にすごく止められてたので」


 止められていた? アルバイトをすることをですか?


「いえ、バイトをするのはいいけど今のバイトはやめた方がいいって言われてたんです。おれ、今、大学の近くで一人暮らしをしてるんです。仕送りだけじゃ厳しくてバイトしてるんですけど、警備員のバイトを始めた年の年末に実家に帰ったら、母がすごい顔でおれを見たんです」


 どういうことですか?


「あの、変な話なんですけど、母は見える人なんですよね、幽霊とかそういうのが。おれは全くわかんないんですけど、おれの顔を見た途端顔を真っ青にして言ったんですよ、『なんでそんな場所に行ってるんだ?』って」


 お母様には何が見えたんでしょうか?


「わかりません。いつもならそういう時はちゃんと説明してくれるんですが、『言えない……口にしちゃいけないぐらい危ないやつだ』と言われました」


 口にしちゃいけないぐらい危ない……そんなことを言わると続けにくいですね。


「はい、それで辞めようと思っていた矢先でした。絵が消えたのは」


 絵が消えた?


「はい、ショッピングモールに設置されたトリックアートがいくつかなくなったのはご存知ですよね?」


 はい、劣化が原因でいくつか無くなったと聞きました。


「……あれ、違うんです」


 違う? 何が違うんですか?


「劣化なんかじゃない。あれは爪でかきむしられたんです」


 あの、どういうことか教えてもらえますか?


「あの日もいつも通り出勤したんです。ショッピングモールの開店前に行ったら、夜勤の人たちがばたついてたんですよ。それで何があったか聞いたら、『絵がいくつもぐしゃぐしゃにされた』って言われたんです」


 ぐしゃぐしゃにされた、ですか。


「おれも意味がわかりませんでした。怯えてるのか全然会話にならなくて、何度も聞いてやっとわかったのが『シートで隠してきた』ということだけでした。おれ、すごく気になって、その日一緒に出勤してた大学の先輩と見に行ったんです」


 その先輩は警備員のバイトを見つけてきた先輩ですか?


「そうですね。それでその人と見に行ったら、トリックアートがあったはずの場所に絵よりも二回りは大きなブルーシートが敷かれていました。青いシートを見た瞬間、おれはなんとなくやばいって思って引き返そうとしたんです。でも、先輩は興味津々でシートに近づいちゃって……おれ、止めたのに先輩がシートをめくちゃったんですよ。そしたら……」


 そしたら?


「絵をえぐるように、人間の手で引っ掻いたような傷がたくさんあったんです。タイル張りなのに床の表面ごと削れてました。おれ、怖くて思わず吐きそうになって、気がついたらその場から逃げ出してました」


 あの、シートをめくった先輩はその後どうなされたんですか?


「ゆっくり事務所に戻ってきました。先輩、スマホで撮影してたみたいです。すごく嬉しそうな顔で、『これ、絶対バズるよな?』って写真を見せられました」


 かなり余裕がありそうな様子ですね。


「はい、先輩は少し変っていうか人と感覚がズレてるんですよね。写真の投稿もやめた方がいいって止めたけど、先輩は楽しそうにアップしてました。でも、流石にビビったのかすぐ削除してましたけど」


 そうですか……あの、もしよろしければ、その先輩を紹介していただけませんか? お話を伺ってみたいのですが。


「……すみません」


 いえいえ、謝らないでください。こちらこそ無理を言ってすみません。


「違うんです。先輩、死んだんです。絵がぐしゃぐしゃにされた次の週に」


 そんな……そうだったんですね。知らなかったとはいえ本当に申し訳ございません。ご病気だったんですか?


「いえ、交通事故です。赤信号なのに道路にいきなり飛び出して、ちょうど走って来た運送会社のトラックに轢かれたそうです」


 そうでしたか……辛い話をさせてしまい申し訳ございません。


「そんなそんな、気にしないでください。でも、妙なんですよね。ふざけた先輩でしたが、歩きスマホとか絶対しない人だったんです。そんな人が信号無視して道路に飛び出すとは思えないんですよね……」

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