第30話 ヴェリタスの夜

 ヴェリタスの夜は忍び寄るようにやってくる。星も月もない無明の夜。人の作った灯りだけが世界を照らし、真っ黒な夜空が値踏みするように地に堕ちた星空の似姿を見つめている。

 季節外れのヴェリタスの夜に世界が騒然としている頃、聖地は逆に不気味な静寂に包まれていた。神創人種にとって、ヴェリタスの夜は物忌みの夜だ。家にこもって72時間後の朝を待つ。

 ウェルギリウスは警戒心も敵愾心もなく、ナイトスケープから悠々と出ていった。示し合わせたかのようにそこにヴェリタスが待ち構えていても驚くことはない。

「ねぇ、ヴェリタス。……いや、ニュクス」

「改まってなんだよ、デミウルゴス」

 神名で呼び合うことそのものが蜜月の終わりを意味していた。来るべき戦火を前にして、旧友として最後の挨拶を交わす。

「思えば、夜の第一人者として最初に『創った』夜神はお前だったね」

「だな。俺のあとにプロメテウス。しばらくあとにヒュプノス、タナトス、ラケシス。そしてアパテー。7柱揃って夜警議会(ナイツ・コンドミニアム)ってな。あの頃は楽しかったよな。でけー目標があって、みんな同じ方を向いてがむしゃらに駆け抜けてよ」

 ヴェリタスはランタンを顔の横に掲げながらカラカラと笑って見せた。ウェルギリウスも自然と笑うことが出来た。彼女とこうして笑って話すことなどここ100年はなかったことかもしれない。お互い、もう最期だと分かっているからすべてを水に流して、胸襟を開いて話すことができるのだ。終わりの見えた平和だと知りながら、彼はうなずいた。

「そうだね。俺たち良いチームだった。俺とヴェリタスとアズールが方針を決めたら、オーレ・ルゲイエがスケジュールを組んで、ルーブに機械を作ってもらって、セレンディップが検証してくれる。その繰り返し。毎日、着実に進んでいて、未来に満ちていた」

「……なのに、どうしてだ?」

 ヴェリタスの冷たい声はやすやすと薄氷を割った。

「俺たちはどこで間違えた? 何を間違えた? セレンが消えたときか? ルーブがいなくなったときか? タナトスが壊れたときか? ……それとも、最初からどうあがいてもこうなる運命だったってのか?」

 ブラックホールのような声だった。光でさえ飲み込むような重圧が声色に滲んでいる。

 同時に二人の持っていたランタンが消えた。それは消滅というより、光そのものが存在を拒まれたようだった。まさしく一寸先は闇といった状況で、目の前にかざした自分の手でさえ見えない。自分という存在が闇に溶けあい、形を失ってしまったような不気味な感覚に陥る。

「ま、もう話すこともねぇや。存分に殺りあおうや。どうせもう朝は来ない」

「最後に一つだけ」

 形のない黒の世界に確かに存在していると主張するように、ウェルギリウスは声を張った。

「俺たちが戦う意味はあるのか? 俺に戦う意思がなくとも、戦わないといけないのか?」

「あぁ」

 ヴェリタスは簡潔に答えた。

「ルーブが戦えって言ってるんじゃないぜ? 俺が戦いたいんだ。戦わないと気が済まない。オメーを殺して否定するか、俺が殺されて消えるか――どっちかしかねぇんだよ」

 ヴェリタスにはそれ以上会話をする気はないようだった。彼女が纏っている気配が明確に殺意を帯びる。

「序列第2位〝軽重査問委員会〟ヴェリタスの夜」

「……序列第1位〝偽称創星代行者〟ウェルギリウスの夜」

 2つの夜が名乗りをあげれば、そこは神による殺し合いの闘技場と化す。観客も審判もいないが、それでももはや止まる道理はなかった。

 先に動いたのはウェルギリウスだ。と言っても、先手必勝と攻勢に打って出たわけではない。

「さ、即席白夜だ!」

 ウェルギリウスが空に向かって放り投げたのは「太陽」だ。と言っても、天体としての巨大な太陽ではなく、電気代わりの光源である。まずは闇を照らせなければ戦うこともままならないが、それ以上にヴェリタスの権能を低減させることが狙いだった。

 ヴェリタス──ニュクスの権能のひとつに『夜間にすべてのステータスが強化される』という単純かつ凶悪極まりないものがある。これを低減しないことにはウェルギリウスに勝ち目はない。──その考えが甘かったと知ったのはわずかに2秒後である。

 人口太陽が輝かないのである。正しくは光よりはるかに強い闇に吸収されてしまい光が相殺されたのだが、実態は同じことだ。

「おいおい、俺は夜のプロだぜ? 夜闇は陽光を否定するもんだ。頭のワタ、替えた方がいいぜ」

 自分の浅慮さを呪う間もなく、ヴェリタスの猛攻は始まった。

「ギャ…ッ…グッァ……ガァ…!」

 目に見えずとも獲物がなんなのかはよくわかった。ヴェリタスが好んで使う短剣、マンゴーシュだ。短いレイピアのような短剣が身体をずたずたに引き裂いていく。身体が刺され、斬られる度に漏らされる声だけがウェルギリウスの惨状を語っていた。本物の暗黒では目が慣れることはなく、血の飛沫の一滴も見えないまま傷口は拡大していく。

 篠突く雨のごとき攻撃は唐突に止んだ。代わりにヴェリタスの声が響く。

「ウェルギリウス。テメェがアズールに勝てたのは一重に『負けなかったから』だ。負けないことでテメェの右に出る者はいない。俺もそれもよーく学んだからな。勝つつもりはない」

 無くした片方の靴下から、果ては神まで創ることができる万能の『創造能力』、それがウェルギリウスの力である。

 アズールがそうしていたように、夜神は身体を全損しても再構成することが出来るが、『自己創造』はその上位互換の力だ。身体を『再構成』して肉体の傷を元に戻すことはできても、神核についた傷を治すことは出来ないのに対し、『自己創造』は神核さえ創造してしまう。見た目には大差なくとも、次元の事なる不死身の業なのである。

 だが、いかに万能の創造を実現うる力と言えども、クールタイムは必要だ。早い話、神を創造する力は『1日に1回しか使えない』。

 当然、ウェルギリウスに挑む者はさっさと身体を全損させて破格の全回復を消費させたい。逆にウェルギリウスはひたすら逃げ回っていれば、最悪でも負けはしない。闘議に『24時間以上経過した試合は無効となる』というルールがあるのは、そのためだ。

 この戦いは闘議ではないが、とはいえ24時間以内に決着をつけなければヴェリタスに勝ちはない。つまり、ウェルギリウスとの戦いは速攻速決が唯一解となる。……そう考えた者は負けてきた。だからヴェリタスは勝利を諦めた。

「このマンゴーシュには俺特性の呪いがたっぷり込めてある。傷つけた相手の身体の自由を奪うっていうシンプルな呪いだ。これだけじゃダメージにはならねぇが、逃げ回るのは難しくなる。最悪だろ? だが……」

 ヴェリタスは仮面のような笑みを消すと、頭上にマンゴーシュを投げた。すぐにガシャンというガラスが割れたような音が周囲に響き渡る。

「んん? テメェがこんなあっさり攻撃を食らうようなヘマするわけねぇ、どうせ見向きもしねぇような場所に隠れてやがんだろ? と思ったんだが。ハズレか」

 用を成さない太陽が地に堕ちても、ウェルギリウスの喘鳴は途切れない。

「まさか『戦意がないから戦わない』とか言い出さねぇよな? 自殺は自分でしろよ。俺に殺されるなら戦って死ね」

 呪いが効いているとすれば、ウェルギリウスは立つことさえ困難であり、全身の外傷も相まって、全く動けないというのは何もおかしくはない。それでも、ヴェリタスの疑念は消えず、彼女は再びマンゴーシュを投げた。

 再び肉を割く音と、悲鳴が響く。やはりウェルギリウスの声だ。ヴェリタスの生み出す夜闇はヴェリタス自身の視界さえ奪う。『闇』そのものがレーダーのように周囲を検知し、コウモリのように闇中を自由に動くことができるが、表情のような細かい動きまでは解らないのだ。

 表情を「見る」ことは出来ずとも、形状から「知る」ことは出来る──うずくまったウェルギリウスの顔の周りを精査し始めた瞬間、ヴェリタスの疑念が確信となって彼女の背筋を駆け抜けた。

「喉! 喉が潰れてるじゃねぇかよ! じゃあ、いままで聞こえてた声は……!?」

 ヴェリタスの脳は計算機のような正確さで瞬時に答えを導き出した。

「声が偽物……っ!? なら、ここに倒れてるのはウェルギリウスじゃなく……」

 彼女が答えに到達したのと同時に、暗闇からウェルギリウスの声が響いた。

「ごめんね、ヴェリタス」

「クソ! クソ! クソッ!! 俺は……俺自身がッ……!」

 ヴェリタスは激しく悪態を吐きながら、自分で自分の腹を貫いた。彼女の腹から流れる血が地面を濡らす前に、不要になった『模造品』──もう一人のヴェリタスは破棄された。ウェルギリウスの創造物なら彼の手によっていつでも『消去』出来る──当然のことだ。

「確かに『創造』は全回復の手段として使えるし、それだけで脅威だよね。アズールのときみたいに、自分の身代わりを戦わせることもできるし。でも当然『俺以外の夜神』──ヴェリタスの事だって創り出せるんだよ? まぁ、記憶の連続性に齟齬がないんだから、自分がたった今作られた模造品の神だって気づけるわけないんだけどさ……」

 その声は壊れた人口太陽から発せられていた。何のことはない。『模造品』のヴェリタスの読みは正しく、ウェルギリウスは人口太陽に変身していたのだ。落とされてもただ瘦せ我慢をしているだけで、呪いの効果で動けないのもまた事実だった。一太刀浴びただけのウェルギリウスでさえ、声をあげることさえ苦痛のなのだから、闇にうずくまる『本物』のヴェリタスはもはや苦しみの受容体と化しているだろう。仮に喉が潰れていなかったところで悲鳴さえあげられなかったに違いない。全く恐ろしい呪いである。

「お前が見えなくてもこの闇を動き回れるように、俺も自分の創ったものがどう動いてるのかは把握出来る。だから、それに合わせて俺の悲鳴を『創造』したわけだけど……。まさかこんなにうまく事が運ぶとは思わなかったよ。俺じゃお前を倒せるわけないし、ちょっとくらい潰しあってくれたらな~って感じだったのに。……これもルーブの計画のうちなのかな」

 ヴェリタスの耳がまだ聞こえているか怪しかった。息遣いはますます小さくなっていき、闇にまぎれて消えてしまいそうだ。

 ウェルギリウスは変身を解いて少年の姿に戻ると、ずるずると這いずってヴェリタスを探した。肉体を再構成したところで呪いは消えないだろう。それこそ創造による全回復をしたいところだが、それが可能になるのは24時間後だ。

 動きたくないと悲鳴をあげる身体を叱咤し、這いずって這いずって這いずり続けて、ようやくヴェリタスの手に触れることが出来た。もはや言葉は無意味だったがそれでも言わずにはいられなかった。

「ヴェリタス。今まで俺が大切にしたかった全てを大切にしてくれてありがとう」

 言いたいだけの自己満足の言葉でさえ、肺を焦がすような苦しみを生んだ。

「……シンクレティック・アセプト」

 ヴェリタスの夜が死ぬと、辺りを覆っていた暗闇も消えた。習合によってヴェリタスが受けた呪いまで全て引きうけてしまったため、ウェルギリウスは一言も発することもできず、ただ寝転がって空の黒を見つめることしか出来ない。

 それでも──最期に空を見ながら逝ける自分は幸せだと思いたかった。自己憐憫でも、満足して死にたかった。

ルーブ・ゴールドバーグ・マシンの橙。

セレンディップの紫。

オーレ・ルゲイエの藍と赤。

ラピスラズリの青。

ヴェリタスの黄。

──そして、ウェルギリウスの翠。

7柱の神が習合したとき、鮮やかだった色は彩度を失い無彩色の黒になる。静かな夜の片隅で、世界を黒く塗りつぶす唯一神は再臨した。

 人類──ウェズリーよ、恐怖せよ。お前を殺す闇が生まれた。宥和を許した薄暮を殺し、大平を願った黎明を殺し、理想を夢見た自分を殺そう。……今、会いに行くよ。

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