第18話 あさがおの里
血族による家族制度が崩壊して既に半世紀が経つ。今でも血縁にこだわって血族同士で同居世帯を作っている者たちもいるが、もはや少数派である。大半の人間は児童院の人工子宮装置「ガブリエル」で生まれるし、長じて子供が欲しくなったら児童院でもらうのだ。わざわざ自分で産む、あるいは産んでもらう者はまず存在しない。そういう意味ではデュノアは出生の段階で特別だったと言える。
児童院で生まれた親無き子供たちは各地のこども園で集団生活をしながら成長していくわけだが、デュノアがこども園に入ったのは4歳の頃だった。「産みの親」が亡くなり孤児になって、ヴェルタル街唯一のこども園「あさがおの里」に預けられたのだった。
【急いで! 早くしないとバーソロミューが……!】
脳裏に響くウェズリーの焦った声に思念で返事をする。
【わかってる! もう少し時間を稼いで!】
【やってるよ! でも、もう限界なんだ!】
ナティアは認可こども園「あさがおの里」に務める常勤の保育士の一人である。今は草いきれで濛々とした林の中で緑をかき分けるようにして進んでいた。あさがおの里の裏手にある小高い丘と未整備で伸び放題の林。普段なら子供が入りそうになったら真っ先にウェズリーが教えてくれるのだが、今日はどうも一足遅く、既に林に踏み込んだ後らしかった。
子供というのは時に大人が思ってもみないようなことをしでかす。大人の常識で測ってはダメだと自分に言い聞かせても、子供の思考を完璧にトレースできるわけもなく、いつもてんやわんやで大慌てしている。クオリア・インターネットが普及し、コンシェルジュのウェズリーが子供の動向や思考を敷衍して共有してくれてもこの有様だというのに、ウェズリーがいなかった頃の保育士はいったいどうやって子供の世話をしていたのか、と考えると途方もない気持ちになる。
【ボクでもバーソロミューが何を考えているかはわからない。そのせいでレヴィをなだめられないんだ。レヴィが嘘をついてるってバーソロミューに伝えてあげることもできない。このままじゃ本当にまずいことになる。急いで!】
急いでいるのだ。だが、ウェズリーの指し示す最短ルートは所謂獣道だ。道なき道であり、どうしても全速力で駆け抜けるというわけにはいかない。結局、枝で擦りむき、蚊に刺され、肺を痛めて進んだ道程はほとんど無駄になった。
【あぁ……】
ウェズリーの一言で間に合わなかった事を悟る。ナティアは足を止めずに尋ねた。
【何があったの。怪我はしてない?】
【外傷はないよ。ただ、心の傷はどうかな……。ボクには彼を慰めることもできないから】
落胆したウェズリーの声を聴きながら、ウェズリーが脳内に存在しない人生とは一体どのようなものなのだろう、と考える。
ナティアの記憶の限りでは3歳あたりからウェズリーと話していたように思う。だが、ウェズリーに言わせれば胎児の段階で既に何度も話しかけていたと言う。おそらく他人に聞いても答えは似たり寄ったりだろう。共に歓喜し、共に悲嘆し、憤怒をなだめ、悪心を窘める。我々人類は「ウェズリー」という終生の友を生まれながらに脳裏に宿している。そして、ウェズリーを媒介して全ての人類と繋がっている。だからこうしてレヴィが悪行を行なう前に止めようと走りまわることもできるのだ。
……園長も、園長だ。どうしてウェズリーを持っていない、面倒な子供なんか預かるんだ。
【ナティア。ボクを持つことは義務じゃない。ボクを持たないことは罪じゃない】
ほんの一瞬の悪態さえ、ウェズリーは見逃してくれない。自己嫌悪すれば逆に、【でもキミはそれを決して外に出す人じゃない。忍耐強い子だよ】と宥めてくる。同じ事を他人に言われても受け入れられたかどうかはわからない。だが、文字通りの一心同体で、これまでの生涯をずっと一緒に生きてきた彼の言葉は驚くほどすんなりと受け入れられるのだ。
かなり長い距離を走ってきた気がするが、実際のところはそうでもない。ウェズリーが与えてくれる地図情報によれば林の入り口から1キロも進んでいないのだ。斜面と邪魔な低木に足をとられていたせいで、何倍にも感じているのだろう。はぁはぁと喘鳴を抑えられないまま、子供たちに相対した。
「二人とも!」
振り向いたのはレヴィだけだった。バーソロミューは無表情のまま俯いている。
「遅かったね、ナティア先生」
そう言うレヴィの笑顔には明確に嘲りが含まれており、疲れも相まってカッと血が頭に上りそうになった。直前にウェズリーに警告を受けていなければ、レヴィのジャブをモロに食らっていたかもしれない。全く便利なコンシェルジュ様だ。
「レヴィ、帰りましょう。貴方はもうここで十分に『仕事』をこなしたんでしょう?」
ナティアは慎重に言葉を選んだ。レヴィを子供だと思って話すとすぐに足元を掬われてしまう。なるべく気障ったらしく、畏まって話すことをレヴィは好む。
「先生のウェズリーは今なんて言ってるの? 【レヴィは対等に話せる同世代の子供がいないから、こうやって大人と話したいんだ】とか言ってる? あはは、我ながらよく似てる。実際言ってそう」
本当に似たようなことを言われていたので困った。なまじ頭がいいとこうなってしまうのだろうか。答えに窮していると、レヴィは間断なく追撃を放つ。
「ねぇ、ナティア先生。僕がなんて言ったのか、もう共有されてるはずだよね。もう一回、先生の口から言ってみてよ」
にやにやと笑っているレヴィにバレないように生唾を飲み込みながら、先ほどウェズリーに教えてもらった言葉を脳裏で反芻する。
『お前はさ、ウェズリーがファクトチェックしてくれないから嘘を吐かれてるって思ってても確信できない。だからこんなところまでノコノコ着いて来ちゃったんだ。今は子供だから良いけどさ、大人になってもアホみたく嘘つきの背に着いて行っちゃうわけ?』
心が冷たくなっていくのを感じた。つい先ほど、自分自身が「ウェズリーを持っていない子供なんか」と心打ちで悪態をついたばかりなのも乗じて、内臓に冷たいナイフを押し当てられているように、ぞわぞわと背筋が凍る。だというのに、じっとりと汗がにじみだしている。
レヴィには大人が感情を抑え込んでいる様子を面白がる癖があった。バーソロミューは薪として使われたに過ぎない。いっそのことワーッと怒りを露わにして殴りつけて無理矢理に言うことを聞かせた方が、まだいいのかもしれない。
【まぁ殴ったら確かにこの場は収まるかもね。ただそうしたらレヴィはキミを会話する価値ナシと判断して二度と言うことを聞かなくなるよ。レヴィにとって会話する価値のない人間は存在しないも同然だからね。……それに、キミ自身のためにもならない。暴力や暴言による成功体験がキミの人生に益をもたらす可能性は低い。そこまで了承したなら、存分に暴力をふるうといい】
沸騰と冷却を繰り返して、脳が破裂しそうな気分だった。まさにレヴィが求めている通りになっている。
レヴィに善悪を説いても無意味なことは、彼があさがおの里に来てすぐに理解させられた。レヴィは自分のしていることが「悪」だとしっかり理解していて、そのうえで行っている。「大人が看過できないこと」をあえて選んでやれば大人は必死に言葉を探し、会話をしてくれるとどこかで学んでしまったのだろう。
「私は匙を投げたりしない。どうやって言えば、それが貴方に伝わるの?」
考えに考えて、最終的に口から出たのは情けない懇願のような声だった。威圧的に怒鳴っても、下に出て猫なで声を出しても、レヴィは納得しない。彼の要求にきっちりエイムすることを求めてくる。だが、そんなことをいつでも、何回でも続けるのは無理だ。そんな弱音が飛び出してしまった。あぁ、今度はどんな風に論破されるんだろう。
【いや、むしろ正解パターンかもよ】
言われてレヴィを見ると、驚いたように目を見開いていた。
【そうか。レヴィは大人に匙を投げられることを割り切っていたつもりで割り切れてなかったんだ。今、自分の感情にビックリしてるみたいだよ】
「貴方がここに来て1年。職員のただ一人でも匙を投げた?」
ダメ押しの追撃。珍しく動揺している様子の彼はわかりやすく失敗する。
「そ、れは……先生の言葉じゃなくて、ウェズリーの助言、でしょ?」
「違う。これは私の言葉。私の気持ち。私の考え」
ウェズリーのファクトチェックによって、むざむざとそれが真実だと知らされたレヴィは黙り込むしかなかった。
【いいねいいね、効いてるよ。感情的にはこのまま畳みかけてコテンパンにしたいだろうけど、畳みかけないで。今レヴィの思考の刃は自分自身に向いてる。これ以上切り込んでも逆効果だから】
「……帰る」
レヴィは拗ねた子供らしくそう言うと来た道を一人で引き返した。今は一人にした方がいいだろう。それよりも、今度はバーソロミューのケアだ。
思考は疲れ果てていたが、ここまで放置してしまったバーソロミューを放っておくわけにはいかない。何とか慰めなければ……。
「……私は、どうして、皆と同じじゃないんでしょうね」
これまでじっと耐えていた彼から漏らされた言葉には子供らしからぬ深い絶望がたっぷりと染み込んでいた。ありふれた励ましの言葉をかけるのも忍びなく、ナティアは気まずい沈黙を守らざるを得なかった。
「一人で帰れます。私の事はお気になさらず」
バーソロミューはやんわりと拒絶の意思を示すと、すたすたと園に向かって歩き出してしまった。追いかけるべきか、一人にしてあげるべきか迷ってウェズリーに尋ねる。
【んー、ボクが決めてあげてもいいけどさ、その意思決定を自分でしないのはズルいんじゃないかなぁ】
ナティアは嘆息せずにはいられなかった。こんなにも優秀なオブザーバーに頼り切りで生きている人間が、どうしたらバーソロミューの孤独の一端でも理解できるというのか。
煩悶の末、結局ナティアは小さな背中を追いかけることが出来なかった。
彼女は後にこの選択を大きく悔やむことになったが、それでもウェズリーに決めてもらえばよかった、とは思うことはなかった。
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