すずおくんとお買い物
「きはるくん。おきて」
肩をポンポンと叩かれて我に返った。
いっしょに買い物をしていたすずおくんが、ジッとぼくを見つめている。
そして、なぜかあいさつをしてくれた。
「おはようございます」
「え? おはよう……。なんでおこしてくれたの?」
ぼくがあいさつを返すと、すずおくんはふいと商品棚の方を向いて、ひとりごとをつぶやいた。
「今日もいい日になるといいね」
「もう夕方だよ?」
「……」
すずおくんはなにも言い返してくれない。
眠っていないのに、なんでぼくは優しくおこされたんだろう。理由を教えてくれないせいで胸がモヤモヤするよ。
「きはるくんが半紙を手に取ったままボーっとしておったから、心配していたんじゃよ」
いっしょに買い物に来た
長豆屋先生は、すずおくんにひらがなや時計の読み方を教えている塾の先生だ。誰よりもすずおくんのそばにいるから、なんとなく気持ちがわかるらしい。
「だぶん『大丈夫?』や『しっかりして』って言いたかったのじゃろう」
「そう言えばいいのに。なんのことか、さっぱりだったよ」
「体調を気づかう時になげかける言葉を知らなかったんじゃよ。これから覚えていくよ」
知的に遅れがあるすずおくんはおしゃべりが苦手だ。自分の気持ちを伝えられないし、相手の質問に正しく答えられない。だからぼくは一度も会話をかわしたことがない。
そんなすずおくんが書道をはじめる。
長豆屋塾は、火曜日と木曜日の夕方になると書道教室をひらいている。そこへすずおくんが参加するという。先生が無茶をさせているのではないかと、うたがってしまう。
「すずおくん。どっちの墨汁がいいと思う?」
今日は、必要な半紙と墨汁がなくなってきたため、ぼくとすずおくんは商店街へ買い出しに出かけている。
先生は二つの墨汁をすずおくんの顔の前にさしだした。
すずおくんは右の墨汁に顔を近づけた。
「よ、ご、れ、が、お、ち、る」
おお。
パッケージには『ヨゴレがおちる』と書いてある。すずおくんはカタカナも読めるようになったのか。
「すずおくんの選んだ墨汁は服についても、落ちやすいんじゃな。洗濯のときに苦労しなくていいのー」
ちなみにすずおくんは文字を読んだだけで意味なんて分かっていない。
「じゃあ、すずおくんが選んだほうの墨汁にするかのー。この墨汁で文字を書こうね」
「カコウネ……」
すずおくんは明後日の方向を見ながらつぶやいた。今の「カコウネ」はオウム返しだ。返事ではない。
すずおくんがものを選んだり、意見する姿を一度も見たことがない。もしや、オウム返しの「書道教室に入る」を先生の都合のいいようにとらえているんじゃない?
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