第二回 今 鶴の恩返し"Oh! Get’s he me!"
「わたしはあのときたすけていただいた」
「鶴みたいなこと言うよね」
相手が言い切る前に
「どういうこと?」
沈黙をやぶった因子は、言ってから定型文すぎるなと思った。気の利いたというか、答えがスムーズに弾き出せるような、頭の良い(←この時点で頭が悪いな)訊き方ができたらいいのにと短い間で星に祈りを捧げてみたり。
よくおぼえてないけど、と尊は言った。本当のことである。だが彼の悪いところがしっかりと出ている。
「けど? けどなに?」
そりゃそうなる。よくおぼえてない、でよかったのだ。因子もそれがわかっていながら、甘いサーブに身体が反応したという感じだ。口から出してしまったがゆえに、もう呑み込めないみたいになってる。食べ物って、なんで同じ状態のはずなのに、咀嚼したあとに口から出すと、もう戻せなくなってしまうんだろう。
「いや、うん」
「おならじゃないんだから」
ノーモーションで打ち返す。シャトルは尊のコートに突き刺さる。3点目。バドミントンは1点、2点でいいんだっけ? の顔と速度で尊を見た。全力でおならすかそうとしてるみたいな顔してんなと思った。だとしたら「おならかよ」が正解だったろうか。正解とは。
なんだかよくわかんないんだけど、いやほんと、なんだかよくわかんないんだけど、この千羽という女は、尊の元カノで、"あのときたすけていただいた"ので、まあヨリを戻したいみたいなことを言ってるんだと思う。ハッキリ言わねえ女と男がいるから、なんにもハッキリしなくて、ハッキリ言っちゃう自分が悪者みたいになるんだ。因子のストレスが、3ポイントたまった。
因子は鼻から息を吹き出して、机の上に置いてある千羽の持ってきたゴディバのチョコを口に入れた。ストレスが2ポイント回復した。あれ? でもこれ食ったってことはこちら側的には要求を呑んだってことにならない? でももう出せないしな。
ならないよね? と、それをもってきた千羽を見る。なんともいえない表情。すかしっ屁みたいな顔してんなと思った。なんちゅう顔だ。ゴディバさんがこんな顔だったら、ピーピング・トムもさぞかしがっかりしたろうな。代償が両眼じゃデカ過ぎるよね。
「それで、どうしたいわけなの?」
チョコをもごつかせながら、誰に、ともなく訊いている状態。二人のコートに向かって、ちょうどいいサーブが一度に飛んだじゃない、と因子はご満悦で、腰を落としラケットを構えた。あれ? ラケットは卓球だったっけ? じゃあバドミントンはなに? テニスはラケットだよね?
ぜんっぜん、答えが返ってこなかった。もちろんバドミントンで使うのはラケットか? の答えではない。ゆっくりとシャトルが二人のコートに落ちたようだ。しまった、どっちに言ったかわかんなくって、お見合いしたみたいになったかな。
あれ? お見合いだと、
「ええとー、一回整理させてもらいますと」
チョコの甘味を感じながら、ユニコーンに騎乗した因子は二人の顔を交互に見遣りつつ(ユニコーン、一緒に首を振るんじゃないよと首筋をたたき)、掛けてもいない眼鏡をくいっとした。
「あなたは尊に助けてもらった恩がある。だからまた一緒にいて欲しい、と。そしてあなたはその事実はよくおぼえてない。おぼえてないけど、この女、あー、女の人を、認識はしている。OK?」
『OK』
OKがハモる。何がOKだよ。訊いといてスマッシュ。わたしいつの間にか両手にラケット持ってたよ? 二刀流ってルール違反じゃないのかな? というか大谷翔平はバット一本しか持ってないのに二刀流っていわれるの、本人めちゃ嫌だろうな。
翔平はさ、と言いかけて口を手でおさえる。チョコが出ないようにした、で乗り切れるだろうか。
「携帯。絶対に見ないでねって、言ったんです。わたし」
千羽が話しだした。
「他の男の人は、結局、なんだかんだ見ちゃうんです」
「絶対にとか言うからでしょう」
怪しいじゃん、絶対。を言うまえに反省した。せっかくまともなこと喋りだしたのに、これはアウトだな、とシャトルの行方に想いを馳せ…いやいや、どこがまともだよ。因子は目の前で魚が泳ぐように手をひらひらとさせた。
「もしかしてこの人が、携帯を見ないから…?」
すかしっ屁のゴディバがすかしっ屁の顔でこちらを見つめている。どうせすかすなら、こききってから喋りだしてほしかった。因子のリターンがオンラインで得点された。なんか、映像で、ラインの上だったよ~! みたいなヤツが頭に流れる。
「とっても、すくわれたんです」
「助かったんじゃなかったのかよ」
「いっかいさ、話。きいてみない?」
"Oh! Get’s he me!"
因子のコートにシャトルが突き刺さった、わけではない。何故なら誰もバドミントンなんてしてないからだ。因子はユニコーンを手なずけてなんかないし、ましてや千羽は全裸で馬にも乗ってない。二人が尊を見る。尊は、どこを見ているのだろう。
因子は居住まいを正した。シャトルが突き刺さったままのコートに正座をする。すこし足が痛い。実際には小さなダイニングテーブルにニ対一で腰かけてるんだけれど。
雪の日だった。真っ白いダウンコートに、赤い帽子をちょこんとのっけて、黒いマスクをした千羽は、二人の住む、いや因子が棲みついている尊の部屋の戸を叩いた。
インターホンではなく実際に戸が叩かれたので、警察のガサ入れか、闇バイトのヤツらかと思った。因子が手にバールのようなものを持って(正確には脳内で出現させて)、尊がドアに両の手をあて覗き窓に近づく。因子は彼がそのまま吸い込まれてしまうのではないかと思って見ていた。
もちろん魚眼レンズに人が吸い込まれるようなことはなく、吸い込まれるような美人でもない千羽という女が、(おそらく)すかしっ屁したみたいな顔で立っていた。
「はいってもいいですか」と
黒タイツのほっそい足が、
ひっくるめると。尊は、自分が覗かないで欲しいと言ったものは覗かないし、見て見ぬふりをして欲しいと思ったことを、ことごとくその通りにしてくれたのだそうだ。因子は「気づいてないだけじゃない? おたがい?」を三個目のゴディヴァ(口が慣れてきた)で喉奥に流し込み「ふうん」と言った。
話がそこで終わった。なんだか、というか、確実にそうなのだが、自分の元カレの(いやまあ一応わたしの現カレの、現カレ? まあいいや、そいつの)特徴というか、ただの人間性みたいなものを語られたのみである。もう一回「それで?」を言うと、自分が一機減るような気もした。口いっぱいの甘さでGODIVA(がりゔぁ)はもう牛乳でもないと食べられない。
「一応、おれ、いま、彼女、いるし」
「そうだよ…ね…」
「わたし、一応なの?」を、ふとももの下に入れた手をふとももと椅子で抑えつけて喉奥から逃がさないようにした。「単語カードでしゃべってるんですか? それともサンプラー? ボタン押したら音の出る機械にセリフ仕込んでたの?」も同じくだ。抑え込むカロリーとしては後者の方が大きかった。
沈黙。因子からブスブスと燻んだ煙が立ちのぼる。二人と同じく因子は微動だにできず、黒眼を下のまぶたに這わせるように左右に動かしていた。自分はこの男の何がよくて、いまこここにいるんだろう。いることが当たり前すぎて、求めるという感覚がなくなってしまっていたかも知れない。失うかも知れないと思って、はじめてその事について考えてみた、という風にも特にならなかった。
「みんなそんなに、人の携帯に興味があるんですね」
因子の黒眼の振り子が、前方に振り出されるように言葉が出た。黒眼だけが飛び出すような、彼女にとって純朴な想いだった。確かに、いまや本人より雄弁にそれを語るプライベートの塊のようなものなのかも知れない。SNSの下書きは口汚い罵りの言葉で溢れている、と言っていた友人もいたな。
だからこそ、因子はそんな、咀嚼した何かを吐き出して入れる、メンソールのタバコを模したうっすいお菓子の箱みたいなものの中を、わざわざ見る気にならないのだった。
「でも、おねえさんも、鍵かけてるでしょ? 携帯に」
「かけてない」
顔の横を通り過ぎていったシャトルは、コートの外へと消えた。誰もそれを目で追わなかった。おねえさん。いちいち気に障る言い方ができるもんだなあと因子は感心する。
「でもロックしてたら、見られないんじゃないんですか?」
「教えないと、わたしも見れないし…」
「あー」
盲点だった。のか? 少し考える。
「お互いを泥棒だと認識しながら鍵を渡すの、すごいですね」
これも純真な感想だった。皮肉や嫌味のつもりは微塵もなかった。ドクロがついた鍵を渡しあっている悪役同士が一時的に手を組んでるわけだから、寧ろカッコよささえ頭を
でもそうは伝わらなかったらしい。千羽の視線に気づいて、あらま、と一瞬変な顔をしてしまった。よくあることだし、因子本人は特に気にしていないのだけれど。言葉なんて、思い通りに伝わるほうが少ないもんね。
「見られて嫌な事…。何か変なこと書いてあるかな? わかんないな。自分を噛み砕いて、呑み込めなかった部分を携帯に入れて持ってるわけじゃないし」
黒眼は上瞼側にひっついていた。千羽はその見ている方向ではなく、因子の顔を真っ黒な黒眼で見つめ、また下を向いた。
「かわってるんですね」
因子の黒眼が半分に割れる。もちろん降りてきた瞼によって、横半分にされただけだ。
「かわってる? の?」
その顔のまま尊の方を向いて自分を指差す。さあと返す尊。もし二人きりなら立てた指の拳を握り締めて、アチョーと真っ直ぐに裏拳を叩きこんでいたことだろう。
立てた指で鼻をとんとんと叩き、半眼のまま千羽に顔を戻す。
「わたしがかわったことは、あなたがかわらないこととなんの関係もないから、よくわからないです」
ゆっくりと、例えば溶岩が垂れるような速度で、千羽が"きょとん"というおならをした。いやさ、そういう顔をした。因子は半眼のまま瞬きを繰り返し
「そろそろ、かえる?」
と言った。きょとんの千羽が同じく、マスカラが羽ばたくように瞬きをし、そのまま尊へと首を回した。
「これ、ありがとうね」
尊が言った。不服そう、というより、不可思議な感情の千羽。喰らいはしなかったが、豆鉄砲を撃たれた鳩、みたいな感じで今一度目をぱちくりさせ、先に立った二人を見上げた。
つられるように立ち上がる千羽を見て、ながされやすい人なんだろうなと因子は思った。わざわざコート着せてあげたり、しないよね、って尊を見つめ、わたしの手前もあるか、と上瞼に黒眼を投げた。
もう一度、尊に目を遣る。見てないようでいて、見てる気もするし、見てるようでいて、気を遣えない部分もたくさんある。大半は、手をのばしていいか逡巡してるんだろうなと、因子は思ってる。わたしがすぐに手をのばすから、その怖さも知っているんだろうし。そして何より、いろんな部分を、見逃してくれてもいるんだろうな。
かみぶくろのなか、GODIVAの箱の下に、ショートホープが二箱入っていた。
「タバコ、吸ってたんだ」
「むかしだけどね」
因子は急に「絶対に、のぞかないでくださいね」と言い、千羽をリビングから玄関へ押し出し、磨りガラスの嵌まった引き戸を遠くの雷のような音を立てて閉めた。千羽は唖然としたまま小鳥のようにコトリと首を傾げ、数秒の後に振り返ると、閉められた戸の取っ手に手を掛けた。
ケッケッ、コーコー、良く聞こえなかったが、因子が詰まりながら何かの鳴き声のように言葉を発しているようだ。一瞬、千羽の手に力が入る。もう少し体重をかけないと開かないだろう。
爪が立つ。腹も立った。一度眼を閉じ、ダウンコートの前を合わせ、玄関の靴を蹴っ散らかして、思い出したかのように引き戸まで戻り、顔を赤くしてすかしっ屁をし、黒いヒールをけたたましく鳴らして二人の棲む家を後にした。
終
オトギバナシ ノ ショートショート
"今昔ortギバナsh"は昔 と 今 それぞれつづっています。
よろしければ鶴の恩返しの 昔「It’s true. No on the cage. 」を。
https://kakuyomu.jp/works/16818622170182505330/episodes/16818622170752027063
因みに、登場人物は佐野 尊(さの みこと)、呉 因子(くれ よりこ)、小野 千羽(おの ちう)でした。
尊は"たける"って読んじゃいますよね。
頭にスをつけて頂きますと、何をモジっているかなんとなく…や、全然判るか。呉因子は言わずもがな。音読み英語で、もはや言わずも仮名です。
どういうこと? となるようならコメントで訊いて下さい。タイトルがヒントになるかしら? いわゆる"見るなのタブー"を詰め込んだ感じになりました。Lady GODIVAやパンドラの甕、オルフェウス、イザナミとイザナギなどなど。
最初、実際の鶴(鳥の)とつきあってた、っていうほうがショートショートっぽいなって思ったんですが、どっかでコスられてそうですし、コントっぽくなるなと辞めました。因子の"良さ"と、喧嘩しますしね。総合的には長くなってすみません、です。3000文字以内にしたかったんと違うんかい! って目から血出しながら書き(打ち)ました。
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