怪獣命名n箇条

亜盟

セリザワ命名第一号1

 どこかから飛んできたコンクリートの欠片を踏みしめながら歩いていると、オーロラビジョンの中で放送しているワイドショーがU²HMO怪獣についてしつこく喚いているのが聞こえてきた。万全な対策を取れ、世界全体での協力が必要。


 悪趣味な眼鏡をかけたコメンテーターが偉そうに自衛隊らの撃退方法に難癖をつけた。出演者がそのとおりだ、国民を守るのが第一だろうとか支離滅裂なことを好き勝手に喋っている。なに呑気なことやってんだ、と誰かが叫ぶ。


 叔母がそれをかき消すように「真斗くん、落ち着いたらお父さんも呼んでご飯食べよっか。ね」と言ってくる。「ありがとうございます」笑って頷くと、甥っ子が「まなとおにいちゃんとおいしいものだー」と言いながら飛び跳ねた。甥っ子が手を絡めてくるのを受け止めながら、叔母に向かって口を開いた。


「U²HMOが現れては消え、現れては消えを繰り返しても、それに対してなんの疑問も持たなくなってしまったんです」

「そうねえ、私もはじめのうちは怖くて死んでしまいそうだったけど、なんか慣れちゃった」


  叔母が頼りなく笑った。そのとき、ふいに思った。自分の夫が亡くなったとき、叔母はどんな気持ちだったのだろう。


 一年半ほど前、東京にU²HMOが出現し、かつてないほどの被害をもたらした。叔父もそのとき命を落とした。遺体は損傷が激しく、骨葬となった。祭壇に安置されたそれが叔父だとは、到底思えなかった。


 叔母も親戚も、両親も泣いていた。でも俺は、ほとんど泣けなかった。甥っ子も泣いている大人たちを不思議そうに見ていた。たぶん、俺も甥っ子も、同じだった。


 U²HMOによる被害が拡大するにつれて、誰かが亡くなっても、建物が破壊されても、その「異常」はいつの間にか「日常」になっていった。日常のあちこちに散りばめられた悲しみに、いちいち全身で向き合っていたら、正気ではいられなくなる。今は、そんな世界だ。


 人のまばらな駅構内に入ると、甥っ子が舌っ足らずな声で「まなとおにいちゃん」と呼び止めてきた。


「なに?」


 振り返って目線を合わせると、小さなリュックから一枚の画用紙を取り出した。リュックには車のイラストが描かれている。


 画用紙いっぱいに、甥っ子が描いたオリジナルヒーロー「ドトメキ」と、怪獣「ギョミルス」がクレヨンで描かれている。ギョミルスは炎を吐き、ヒーローに襲いかかっている。


「一生懸命描いたんだよね」


 叔母が言うと、甥っ子はぶんぶんと首を縦に振って頷いた。「あげる!」と叫んで、その絵を俺の手に押しつけてきた。これから怪獣と向き合う俺を、ヒーローのように見ているのかもしれない。そう思うと、少しだけ悪い気はしなかった。


「ありがとう。仕事、頑張ってくるね」


 つむじのあたりに手を置き、毛の流れに沿って撫でる。叔母と甥っ子に笑顔で手を振り、改札へ向かった。「いってらっしゃい!」と、また叫ぶように声をかけられ、腕がちぎれるんじゃないかと思うくらい、大きく何度も手を振られた。


 


 電車に乗り込み、イヤホンを耳にさす。東京とは思えないほど空いた車内だったが、角の席はすでに埋まっていた。俺はドアのそばにもたれかかり、スマホ片手に揺られる。なんとなくネットを眺めていると、U²HMOに関する記事がちらほらと目に入ってきた。反政府運動の画像。怪獣の画像。そのうち気分が悪くなって、画面から目をそらした。


 ――2054年。U²HMO(Unidentified and Unknown Hazardous Moving Object:未確認不明有害動物体)の出現は、もはや日常と化していた。日本社会は変容を遂げ、U²HMOはただの天災にとどまらず、社会構造に深く浸透し、人々の生き方すら変えてしまった。

日本政府はこの非常事態に政府公認のU²HMO総合対策組織、「アラマサ」を設立。


 U²HMO災害を契機に始まった《怪民蜂起(反政府運動)》は、社会の分断を加速させ、国家の存亡すら脅かしていた。政府はU²HMO対策と怪民蜂起の鎮圧という二重の難題に直面し、国家の威信は失墜の一途をたどっていた。


 スマホ越しに車窓の外を眺めると、荒廃した都内の景色が広がっていた。


 真ん中で折れ曲がった東京タワー。泥と塵で煤け、崩れかけたビル群。その中に、白っぽい団地が、晴れ上がった空の下で物憂げにそびえていた。初めて東京に来たときに感じた高揚感も、あのとき見た近未来的な景色も、もうとっくに風化していた。



 ◇ 


 寂れてしまったオフィス街の一角に、真新しいビルがそびえ立っている。年季の入ったビルが立ち並ぶでこれは異様だ。位置を伏せている意味とはと思ってしまうほど目立つ。

 警備員に軽く会釈して自動ドアをくぐり抜ける。誰もいない。エントランスに続く通路にはホームドアのようなものが設置されている。「パスをかざしてください」という表示が出ているカード読み取り部にカードをかざす。心地いい電子音がなり、「芹沢真斗様、おはようございます」という棒読みのアナウンスとともにゲートが開いた。


 ケースに入ったパスを見る。青文字で「セリザワマナト」と記されている。この建物において身分証明書のような役割を果たすものだ。なければ建物内にも入れず、仕事を行う権利も得られない。ましてどこかに落としてしまえばこの組織の秘密事項をはじめとした重要情報が瞬く間に漏洩してしまう。用心にワイシャツの下にしまい込み、三階にあるオフィスを目指した。


 『命名班』という札のかかった白塗りの引き戸に手をかける。手汗の滲み出した手をぎゅっと握り込み、「おはようございます!」と叫ぶように言いながら扉を開けた。

 

 

 


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