第15話 王子様と初恋の人

 思いがけない質問に、隼人は慌てて周囲に視線を巡らせた。優と静香は、参考にできそうな戯曲を見つけたらしく、内容について話し合っている。ひとまず聞かれていないのにほっとし、学に向き直る。


「な、何だよ急に! 何で今恋バナ!?」

「いや、あんまお前からそういう話、聞いたことないなって。好きな理由も、ある日急に『オレ、清水さんのこと好きかもしれない!!』って報告されただけだし」

「じゃあ、恋バナは!?」

「……最近、トキメキが足りてなくて」

「お前トキメキとか求めるキャラじゃないだろ!!」


 勢いよくツッコミを入れてしまい、近くで勉強していた学生から睨みつけられる。2人で頭を下げ、小声で仕切り直す。


「学のことだから、ちゃんとした理由があって聞いてくれてるんだろ。遠慮なんかしなくていいから、教えてくれよ。オレら、親友だろ!」

「…………友達だ」

「分かった分かった。すげー仲がいい友達な。んで、どしたよ?」


 軽い口調で問うと、学の顔から緊張が抜けた。さっきまでの不自然な態度をやめ、いつもの調子で話し出す。


「白川本人が了承しているとはいえ、返事が長引くとお前がしんどいだろ。清水さんへの気持ちをはっきりできたら、白川への気持ちにも名前がつけやすくなるんじゃないかと思ってさ」


 学はちょっと気まずそうに斜め下を見ている。親友の不器用な気遣いに、隼人は目頭が熱くなった。


「学、ありがとな。おかげでトキメキ、足りたぜ」

「忘れろ」

「末代まで語り継ぐ。でも、清水さんを好きな理由か。あんましっかり考えたことがなかったかも。何となく、いいなあって感じで」


 誰にでも優しい。黒髪がきれい。本について話す時の楽しそうな姿が可愛い……。いくつか理由は挙げられるが、決定打に欠けている気がする。もっと明確なきっかけがあったような。


「まあ、リアルの恋愛ってそんなもんだよな」

「いや、何かきっかけがあった気がすんだよ。何だったかな~」

「あんまり深刻に考えんなよ。そのうち思い出すかもしれないし」


 考え込む隼人に対して、学は軽く肩を叩くと、資料集めを再開する。しばらくして「お、あったあった」と、一冊の本を棚から抜き出した。


「ほら、これ。『星の王子さま』の文庫本」


 そう言って、学が隼人に本の表紙を見せてくる。その動作を見た瞬間、隼人の記憶の水底から、いつかの記憶が浮かび上がってきた。


 静かな部屋で、誰かが隼人に本の表紙を見せてくる。本について何も分からない隼人に、誰かは声を弾ませて解説してくれた。その口元からこわばりは消え、緩やかな笑みを浮かべている。


 その笑顔を見て、当時の隼人は思ったのだ。何となく、いいなあって。


「──思い出した」

「え? 思い出したって、さっき言ってた『きっかけ』のことか?」

「おう」


 学は本を胸に抱えると、隼人の言葉を待っている。隼人は興奮を抑えながら話した。


「似てたんだよ。清水さんが昔ちょっといいなあって思った人に。それがきっかけで、清水さんのことが気になるようになったんだ」

「いいなあと思った人って……。そんな人、清水さん以外でいたか?」

「いたんだよ。会ったのは1回だけだけど。確か、1年生の初めの頃だったと思う」

「なるほど。それなら俺は分からないな」


 隼人と学が仲良くなったのは、1年生の夏からだ。席替えで隣の席になった時に、数学で分からない問題を教えてもらったのがきっかけである。


「当時のオレは絶望的に数学ができなかった」

「知ってる。あまりの出来に鈴木先生が点を仰いでた」


 学と仲良くなり、日常的に数学を教えてもらうようになるまで、隼人は数学が壊滅的にできなかった。小テストはいつも1ケタで、部分点すら与えられない有様である。鈴木は面倒見がいいので有名な男性の教師だったが、隼人にはかなり手を焼いていた。


「……それで、先生も我慢の限界がきて。放課後に特別補習をするって話になったんだ。でも、放課後ずっと数学の勉強をするなんて地獄だろ。だから、つい逃げちゃって」

「ああ、そう言えばそんなこともあったな。中々貴重な光景だった」


 ありがたい話だが、勉強嫌いな隼人は反射的に逃げ出した。その結果、隼人は鈴木と追いかけっこをする羽目になったのである。


 鈴木に追われ、隼人は咄嗟に適当な教室に身を隠そうとした。飛び込んだ先にいたのが、その人だった。


「逃げた先の教室で、その人がいたんだ。それで本についてちょっとだけ話したんだけど、すぐ先生に捕まっちゃって。それきり、何も」

「どんな子だったか覚えてないのか? 学年は難しくても、せめて性別とか」

「それが、ぜんっぜん思い出せないんだよな。あの後、先生に見つかって死ぬほど叱られた記憶が強烈で」


 苦い経験が蘇り、隼人は顔をしかめる。淡い思い出は、鈴木の至極まっとうなお説教に塗り替えられてしまった。


「それに、確かその人、前髪がかなり長かったんだ。体つきもかなり華奢だったから、男か女かも断言はできなかった。一応穿いてたのはズボンだったけど」

「うちの学校だと、制服は判断基準にはならないしな」


 隼人たちの学校では、女子生徒のズボンの着用が認められている。ズボンを穿いているからといって、男子と断言はできない。


「鈴木先生に聞いてみるか? 何か覚えているかもしれない」

「そうだな……。じゃあ、落ち着いてから聞いてみようかな。今変に聞いて、劇に影響が出たら嫌だし」


 役を引き受けたからには、きちんとやり遂げたい。白川の告白の件でもいっぱいいっぱいなのに、これ以上何かを背負えそうにはなかった。


「それがいいと思うぞ。でも、これでハッキリしたな。隼人が清水さんを好きな理由」

「え?」

「初恋の人に似ているからだったんだな」


 言葉の意味を理解するまでに、数秒の時間を要した。急に静かになった隼人の表情を見て、学はやれやれと言いたげに笑う。


「その顔は俺じゃなくて、いつか初恋の人に見せてやれよ」


 抱えていた本を隼人に渡すと、学は資料集めを再開する。その様子が隼人にはどこか遠くに見えた。混乱と恥ずかしさでいっぱいの胸に手を当てながら、手元の本を見やる。


 「その顔」がどんな顔かは分からない。でも、こんな顔、見せられないと思った。特に、優には。

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