第10話 サキュバス

茂みの方から鈍い音が響いた。


「ぐはっ!?」

「大丈夫か、アニキ!」


「この女、とんでもねぇ力を隠してやがった」

「こいつ、只者じゃねぇべ」


二人組がじりじりと後ずさる。


「今だ、逃げるぞ!」

「りょ、了解だべ~!」


男たちは全速力で逃げ去った。

俺はその様子を見届け、再び歩き出す。


「あ、あのっ!」


後ろから声がかかる。


……気づかれたか。


「助けてくださり……本当にありがとうございました」


茂みから桃髪の美女が現れ、丁寧に頭を下げる。

ちなみに、一枚の葉が彼女の髪に乗っていた。


「きっと、あなたですよね。私に魔力を分けてくださったのは」


どうやら【《力の前貸し》】で、魔力を付与していたのがバレたらしい。


「あなたは私の命の恩人です!」


「いえ、大したことはしていません。....揉め事に、裏からの魔力援助という形でしか立ち向かなかったのですから」


「そんなこと……気にしないでください。私なんかを助けてくださったことに、変わりはありませんから」


それと――と、彼女は続ける。


「私にも……その、ため口で話してもらって大丈夫です。恩人に気を使われると、かえって落ち着かないので」


まずいな。

彼女が俺に恩義を感じているのだとしたら……。


俺は亡命者だ。

俺が回りくどい助け方をしたのは、人を避け誰かを巻き込まないため。

それなのに、こうして印象を残すのは望ましくない。


ならば――

会話に付き合いながらも、自然な形で距離を取ろう。


「……わかった。じゃあ、遠慮なくそうさせてもらうよ」


「ありがとうございます」


「でも、命の恩人ってのは大げさだ。俺が何もしなくても、きっと助かってただろうし」


「……え、えっと。どうしてそう思われたんですか?」


「あんたと最初に会ったとき、相当な魔力を感じたから」


俺と目を合わせた直後、彼女の魔力は消えた。

慌てて隠したということは、他人に魔力量を悟られたくなかったのだろう。


相手が触れられたくない話題に、あえて踏み込む。

これで、距離を置いた方がいいと判断するはずだ。


「あ、あの。やっぱり、気づかれてたんですね」


「まぁ、うん。……だからこそ疑問がある」


彼女の不安げな目。

明かな動揺が見て取れる。


「さっき、危険が迫ってたのに魔力を使わなかった理由。それが知りたい」


「その……私、自分の魔力を使えなくて。あはは……あなたの魔力は使えたのに。自分のは引き出せないなんて、変ですよね」


彼女は胸の前で指を組み、エメラルド色の瞳を伏せた。


「莫大な魔力を感じたとき、今のあんたとは別の姿だった」


「……」


「……もしかして、その姿じゃないと魔力が使えなかったりするのか?」


こくりと頷く。

そのとき、髪についていた葉がひらひらと落ちた。


「私の本当の姿は、サキュバスらしいんです」


「……らしい?....ってことは、そのときの記憶は」


「……ありません」


なるほど。

それなら、出会ったときに感じた雰囲気と違っていても納得できる。

人格まで変わってしまうのなら。


あのとき感じた、凍りつくような視線。

きっと、あれがサキュバスとしての人格なのだろう。


「ただ、人の姿でもサキュバスの力は使えてしまって……」


一見すると便利そうなのに、表情は暗い。


「困ったことに、その能力は勝手に発動してしまうんです……」


サキュバスの力が暴走して困ること――


「まさか、さっきの男たちとの騒動も……」


「はい。私の能力が暴発してしまったせいです」


サキュバスの代表的な能力、誘惑。

それが暴発しているのだろうか。


……いや、待て。

それなら、なぜ俺はその影響を受けなかった?


「能力にかからなかった奴っていたのか?」


「はい、少数ですが。ただ……皆さん、勇者や賢者と呼ばれている方たちばかりです」


俺も一応、勇者の肩書きがある……

それが平気な理由か?


「でも、それはあくまで例外なんです。ほとんどの男性は、私のせいで人生を狂わせてしまいました……。逃げ込んだ村でも、男性を魅了してしまって……パートナーとの関係を破壊しました。それも一人だけじゃなく、村中の男性が……最終的には村の存続の危機にまで……」


抑えていた感情があふれたのか....。

彼女の口調は、次第に早口に。

まるで懺悔するように、過去を語り続ける。


「全部、私のせいなんです。私がいるだけで、周囲の人たちが不幸になる。だから、一人になろうって思ったんです」


「わ、悪い。辛い記憶を思い出させてしまって」


女は、ハッとしたように顔を上げる。


「私の方こそ、すみません。つい、自分語りしてしまって」


「もしかして、魔境の森に来たのも、一人になるためか?」


「え、えっと……それも理由の一つです」


どこか歯切れの悪い言い方。

他にも事情がありそうだ。

逃亡していた村の話もあったし、

何より、ポーションがあった洞穴の近くで再会した。


……あの毒ポーションを落としたのは、彼女の可能性が高い。


この女……俺と同じく、訳ありだ。


「えっと……あなたは、どうして魔境の森に?」


ついに耐えきれなくなったのか、彼女の方から聞いてきた。


「ある国から亡命中でな。人目につかないルートで国境を抜けたかったんだ」


「確かに、魔境の森は亡命に適した道かもしれませんね」


納得したように頷く。


「……私たち、状況がよく似てますね」


少し嬉しそうに微笑む美女。


「あのっ。助けていただいたお礼なんですが……私が森の出口まで案内するというのは、どうでしょうか?」


俺の返答は――





――――――――――――――――――――


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