第12話

 目の前で踊る二人の姿を眺めていたリリシアはきょとりと目を瞬いた。

 曲が終わり、二人――ヒカリとサラサが距離を取って一礼した瞬間、思わず手を打っていた。

 拍手の音でヒカリが顔を上げると、踊っていたときのすまし顔から一転パッと花が咲いたような笑顔で駆け寄ってくる。


「リリシアさん見ててくれましたか?」

「驚いたわ。この数日でずいぶん上手になったのね」


 すでに舞踏会まであと二日。サラサのことだから上手くまとめあげていると思っていたが、一方で不安もあった。

 結局リリシアとイリナが横について踊っていたのは三日間だけで、そのあとはサラサから遠回しに二人きりにして欲しいと言われて付き添いは遠慮していた。

 そのため、リリシアは書庫の奥にこもって文献を漁っていたので、ヒカリの踊っている姿は何日ぶりだろうか。

 そう時間は経っていないはずなのに、最後に見たときとは見違えるほどだ。

 爪先まで意識された動きの軽やかさや、踊るときのピンと伸びた背筋や視線の高さ。

 一つ一つの動作が洗練されているのがよく分かった。

 一瞬別人かとも思ったが、こうしてそばに寄ってきた姿は子犬のようで、たしかにヒカリなのだと実感させられた。

 どうだったかと、期待したような瞳が褒められるのを待つように疼いていた。

 リリシアはまとめられた彼女の髪を崩さないようにそっと撫でつける。


「きっとすごく頑張ったんでしょうね……きっとお兄様も驚くわよ」


 期待に応えたつもりだったが、ヒカリの表情は複雑そうだ。喜びと不満がない交ぜになったような微妙な顔つきでじっと見つめられて思わず首を捻る。


「王子様相手にこんなこと言っちゃダメだって分かってますけど、私はラスティスさんのために頑張ってたわけじゃないです」

「え?」


 拗ねたように落ちた視線が、そろりとリリシアへ戻ってきた。


「私、イリナさんみたいにリリシアさんと踊りたくて頑張ったんです」

「わたくしと……?」

「はい。女性パート覚えたら、サラサ先生が男性パート教えてくれるって約束してくれて……それで、覚えたら私とも踊ってくれますか?」


 ヒカリの目は不安に揺れていた。そのいじらしさにリリシアの胸がきゅうと切なくなる。


「もちろんよ。一緒に踊りましょうね」


 感極まってぎゅっと抱きしめれば、ヒカリは嬉しそうに緩んだ顔で笑った。




 この一週間はずいぶん頑張ったからと、その日はサラサが少しばかり早く練習を切り上げてくれた。

 二人で並んで部屋に帰る途中、前から来た人影を認めたリリシアは慌てて立ち止まってヒカリを連れて隅に寄った。

 向かいから歩いてきたのはリリシュテルだ。

 美しい黄金の髪は編み込まれて綺麗にまとめられ、涼やかな美貌でしずしずと一人歩いて向かってきている。

 王城内だから護衛も連れていないのだろうか。

 本来であればリリシアのそばにいるイリナのように、彼女に常に連れ立つ侍女がいるべきなのだが、リリシュテルには専属の侍女というものが存在しなかった。王妃が住まう棟を担当する使用人たちはいるが、彼女たちはあくまでそこが担当場所であり、王妃個人についているわけではない。


(お母様のことがあったからかしら……)


 アリシアは元は王妃の侍女だ。まさか自分の侍女が側妃として見初めあげられるとは、当時のリリシュテルは思ってもいなかっただろう。

 静かに頭を下げて道を譲ると、緊張した様子のヒカリも倣った。そのまま行ってしまうとばかりに思っていたが、リリシュテルは二人を通り過ぎたあとにわざわざ足を止めたのだ。


「頭を上げなさい」


 戸惑いつつ言われたとおりにする。振り返ったリリシュテルは、その鋭い碧眼を周囲に巡らせて人の目がないことを確認してから続けた。


「最近は書庫にこもっているそうね。望みの情報は見つけられたの?」

「いえ。それはまだ……」


 ラスティスから報告は受けているはずだから、リリシアが探すものがなにか知っているはずだ。咎められるかと思ったが、リリシュテルは「そう」と静かに頷くだけだった。

 並ぶ二人を見比べる碧眼に心臓がバクバクと緊張していく。ふと隣に立つヒカリもどこか怯えたように身じろぐのが見えて、安心させるように彼女の手をとった。


「ずいぶんと熱心にステラナの世話をしているそうだけれど、彼女に探して欲しいとでも泣きつかれたの?」

「いいえ。そんなことはございません。わたくしがこの子を家族のもとに帰してあげたいと思っただけです」


 ビクリとヒカリの肩が跳ねたのを見て、リリシアは咄嗟に前に出て彼女を半分隠すようにリリシュテルと対峙する。

 二つの碧眼が真っ直ぐにぶつかり合った。


「万が一方法が見つかったとして、淀みの浄化はどうするの? 治さねば世界はゆっくりと破滅に向かっていく。お前は世界中から裏切り者と罵られながら生きるつもり?」

「もちろん淀みを放置するようなことはいたしません。その点はヒカリも協力的です。世界の中でも規模の大きいものを優先的に浄化していけば問題ないかと思います」


 淀みは規模の小さいものまで――それこそリリシアたちこちらの世界の住人が感知できないようなものまで含めれば果てがない。全て淀みを無くすまでだなんて言っていれば、例え帰還方法が見つかってもヒカリは一生帰ることは出来ないだろう。

 幸いにも淀みの進行はひどくゆっくりとしたものだ。ステラナの降臨が百年単位であることもその関係だと言われている。

 そのため急を要するであろう規模が大きく危険なものさえ浄化し終えてしまえば問題はないはずである。

 このことはリリシュテルも把握していること。きっと言わんとすることは理解してくれると思ったが、予想通り察した彼女は再び頷くだけで詰め寄ってくるようなこともなかった。

 一方で、まるでリリシアの心情を見透かそうとでもいうような強い眼差しでまじまじと見つめられて戸惑う。


(そういえばお兄様が前に言っていた話)


 訊くならば今じゃないだろうか。

 なにもするなと言いながら、なぜステラナの付き添いという大役をリリシアに与えたのか。リリシアを疎んでいるのではないか、と。

 こくりと息を飲んだ。意を決して問いかけようかと思ったが、それよりも早くリリシュテルが瞳を逸らした。

 はあとため息が落ちてついつい怯えてしまう。


「止めたって無駄でしょうね。お前はアリシアの娘だもの」


(――え?)


 小さな呟きだった。しかし、たしかに母の名前が聞こえた。

 耳を疑ってしまう。だってリリシュテルは自身の侍女でありながら国王の側妃となった母を嫌悪しているはずだ。その娘であるリリシアのことも。

 それなのに、どうしてそんな親しげに母の名を囁くのだろう。

 驚きと疑念で立ち尽くしている間に、リリシュテルは背中を向けてしまった。


「他の者にはバレないように上手くやりなさい」


 去り際の一言さえ、リリシアにとっては信じられないものだった。

 どうして。なんで。頭の中を埋め尽くすのは疑問ばかり。

 追いかけて追求したい気持ちはあったが、今の自分では感情のままに無礼を働きそうで出来なかった。それにヒカリを一人置いていくことも出来ない。

 同じようにリリシュテルが去って行った廊下の先を見ていたヒカリが呟く。


「……なんだか王妃様ってもっとリリシアさんに冷たいんだと思ってました」


 ずいぶん心配そうに見るんですねえ、と感嘆したような言葉が届き、ハッとなったリリシアはリリシュテルの姿を探すように廊下を見た。けれど、もうそこに人影はなかった。


(心配……? 王妃様がわたくしを……?)


 ずっとずっと冷たくされているものだと思っていた。あの外洋のように真っ青な瞳の奥には、冷たい嫌悪や忌避があるものだと信じて疑っていなかった。

 そういえば――と、リリシアはそこで気づく。

 自分はリリシュテルの瞳を真っ向から見返したのは今が初めてだったかもしれないと。

 先入観を除けて思い返したとき、本当に彼女の目は冷たかっただろうか。



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