第7話 ボロアパートに担任と同級生がやってくる
「草村、大丈夫か? シロは賢くて大人しい蛇だから、心配いらないよ」
水野は白蛇を連れて部屋の奥に進むと、窓辺に置かれた水槽に白蛇を入れた。
窓から差し込む光に、水野の黒縁の眼鏡が反射して光る。
表情が見えない。考えが読めない。
「立てるか?」
床にへたり込んでいるアカリのところまで戻ってくると、水野が気遣って手を差し出した。
けれど。
素直にその手を取れなかった。
黒よりももっと暗く光る漆黒の瞳に見下ろされて、なんだか落ち着かなかった。
「ピグ!」
モモがアカリの心情を察したのか、守るように水野の視線の先に割り込んだ。
モモを見て、水野が視線を緩ませる。
「……取って食いやしないよ」
水野がモモの頭に手を伸ばすと、
「痛っ、……」
モモが容赦なくその指先に噛みついた。
「あ、先生。ごめんなさい。このコ、なんだか噛み癖が……」
そう言えば真田にもやたら噛みついていたっけ。
「……いや。平気だ」
水野は軽く手を振ると、視線を逸らせて話題を変えた。
「……クッキーがあるんだが、食べるかな?」
引き出しの中を探し始め、可愛らしくラッピングされたクッキーを取り出す。
モモ、ありがとう。
アカリはこっそりモモを撫でた。モモが守ってくれたような気がする。
水野が何を考えているのか分からないけれど、今はもう何も起こらないような気がした。
ちょっと気が抜けて、水野がくれたクッキーを見たら、パン耳弁当を食べ損ねたアカリのお腹が正直に空腹を告げた。
……恥ずか死ねる。
「ほら。一緒に食べよう」
手渡されたのは某有名お菓子ブランドのイチゴをかたどったクッキーで、女の子らしさがさく裂していた。
なんかこれって、プレゼント用みたいな気がするんだけど。
「……いいんですか?」
「草村に似合うだろ」
それは一体、どういう意味だろうと思いつつ、空腹に
もう深く考えない。
クッキーを割ってモモの前に置くと、ひくひくと鼻を押し当ててから、もぐもぐ食べ始めた。
モモも食べてるし。
モモの頭を撫でてからクッキーを
イチゴ型のクッキーはほのかに甘酸っぱくて贅沢な味がした。
今後十年、食べることは出来ないだろうな、と大事に噛みしめていると、
「十六歳、か」
水野が何やらつぶやいた。
「……送るよ。待たせたし、今日はあんなことがあったばかりだから」
目を向けると、頭の上に大きな手がのった。
電車で自分の前に立って吊革につかまる水野は、担任として純粋に自分のことを心配してくれているのだろうが、どうにも居心地の悪さを覚える。
担任と一緒に帰るっておかしい?
いや、顧問と電車に乗ったりするんだから別におかしくないか。
混乱して無意識にポケットに手を入れると、モモの柔らかい手並みが指先に絡まった。
モモの手触りは心が落ち着く。
結局水野の用件はよく分からなかった。要するにクッキーを食べただけだった。
モモのことを咎められるのかと思いきや、先生に頼まれて連れてきていることにして良いと妙に寛大なことを言われた。
……水野ヘビイ。
変わった教師だ。
モモはアカリのポケットにすっぽりと収まったまま、鳴き声一つ上げず、大人しくそばにいてくれた。
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「は? なんで水野?」
水野に伴われて家に帰ると、なぜかアカリのアパート前に真田と取り巻きたちの姿があった。
家にまで押し掛けるとか、金持ちってどんだけ暇なんだ、と思う。
放課後フラペチーノはどうした。
「別に、誕生日とか関係ないけどなっ」
げんなりして無言のまま通り過ぎようとすると、唐突に真田が吠えた。
誕生日。 って、……
振り向くと真田の真っすぐな視線に捕らえられた。
「正式には十八まで待たなきゃいけないけど。その、……お前がどうしてもって言うんなら、……」
気のせいか、真田の表情が硬いような。赤いような。
「こ、こ、こ、…っ、こここ、こんっ」
「……鶏?」
「うるせえ」
「……狐?」
「黙れ」
真田の取り巻きヤマトとタケルが絶妙な合いの手を入れると、
「だから、その……っ」
言い淀んでいた真田が切れたように叫んだ。
「くっ、……靴の弁償に付き合え、アカリっ! 分かったな?」
「あああ、真田さんっ」
「余計な一言付けちゃった」
靴の弁償。……買い物は困る。お金がない。
でも、靴に噛み痕を付けてしまった自覚はある。
「……分かった。お金が出来たら」
致し方ない。
「はははっ、そうか、付き合うか」
真田がなぜか嬉しそうにふんぞり返り、水野が少し心配そうにアカリを見ている。
「お前もやっと俺の魅力が分かったようだな。俺は金のある男なんだよ」
「真田さん、自ら自分の価値下げてません?」
「ていうか、草村にお金が出来るって、一億年かかりそうじゃね?」
取り巻きたちのヒソヒソ声は真田に届いていないらしい。
とりあえず、真田がバカで良かった。
多分、お金がなんてそうそう出来ない。
金持ちバカを置いて、そのまま部屋に入ろうとすると、
「ちょっと待て。お前、そのブタどうする気だ? まさか飼うんじゃねえよな?」
真田がモモの収まっているポケットを指さし確認する。
「……いやまさか」
「食うんじゃねえよな」
更に、ヤマトとタケルの疑心に満ちた視線と目が合った。
いやまさか、そんな。
ポケットの中のモモを見つめると、潤んだ瞳に見つめ返される。
「やりかねない」
「あいつは食い物のためなら手段を選ばない女だ」
そんなそんな。
大丈夫だよ。今夜は卵があるからね。
「お前っ、俺を差し置いて、ブタと同棲って……っ‼」
真田が一人、よく分からない方向で切れている。けれど。
「草村、お母さんいらっしゃるかな? 先生、ちょっとご挨拶したいんだけど」
その辺りをさらっとスルーして、水野がアカリを部屋に促す。
「おいこら、水野。この俺を差し置いて、どの立場でご挨拶するんだよ?」
と、即座に真田が噛みついた。
「それはまあ、担任だから?」
「俺も行くっ‼」
なぜか。
普段は誰も寄り付かない三畳一間のボロアパートに担任と同級生を連れて上がることになってしまった。
水野と真田たちがぞろぞろとアカリに続いて錆びた外階段を登り、日の当たらない二階端っこの部屋にやって来る。
「え―――、なにここ。ブタ小屋にしてもひどくね?」
「彼女の家に来た第一声がそれって、…」
「真田さんが無意識にクサムラの貧乏加減をえぐってる」
アカリが狭すぎる自室のドアを開けるか開けないかのタイミングで、
「おっかえり‼ あーちゃんっ」
超ハイテンションなオバサンが飛び出してきた。
フリルとリボンに彩られた全身ピンク色のメイド服風ミニスカートに身を包み、髪をぐるぐる巻きにした、とっくに還暦は過ぎていると思われるオバサン。
誰?
顔の皺と服装のギャップがすごい。
「遅かったから、お風呂まで沸かしちゃった。ご飯も出来てるわよ? どれにする? お風呂? ごはん? それともア・タ、…っ、痛って~~~~~っっ‼」
ノリノリで腰をくねらせていたオバサンは、アカリのポケットから飛び出したモモに噛みつかれて悲鳴を上げた。
「えええ―――、なんで⁉ 完璧だったでしょ―――っ⁉」
「お前の母ちゃん、騒々しいな」
少なくとも母にこんな陽気さはない。
「真田さん、この手の親は……」
「仲良くなったら楽勝ですよ」
派手に悲鳴を上げた後、アカリの後ろに集っている水野と真田たちに気づいたらしく、
「あーちゃん、お友だちと一緒だったのねっ‼ 初めまして。あーちゃんの叔母の供野ハルですっ‼ これから、あーちゃんのお世話はぜ~んぶアタシに任せてリンっ」
……リン?
派手派手しいオバサンは無駄に明るい笑顔を振りまいた。
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