07.社畜とブイヨンと初めての食卓



「アンタねぇ、異世界に転移してきて早々、どうしてそんなに元気に働いているのよ、ちょっとくらい落ち込んだり、身体休めたりしなさいよ!?」

「あっ、おはようございます、リオナさん!」


 おはようとは言ったものの、陽がてっぺんに上るくらいまでぐうたら寝ていたリオナさんは、ぼさぼさの髪をかき上げながら、呆れたような声を漏らした。




* * *




 裏庭から戻ってきた私は、洗面所とかお風呂があると思しきドアを探してから、軽く身支度を勝手に整えさせてもらう。パジャマのままなのは、この際仕方ない。

 その後、少し時間をかけてキッチンを使える程度まで磨くと、パントリーで目ぼしい食材を漁った。

 あれこれ事後承諾になってしまうけど、お世話になるのだしこれくらいはさせて欲しい。


 一部のちょっと萎びかけている野菜を、奇跡的に綺麗だった包丁で厚めに剥いて、ザクザクと大きめに刻んでいく。

 本当なら切れ端とか、皮とかの野菜クズを集めておいて、有効に使うくらいでもいいのだけど、冷凍機能がなさそうだからなぁ。

 とりあえずばっちり可食できそうなところだけを寄り分けて、あとは遠慮なくブイヨンの材料にさせてもらうことにした。


 この世界の食材は、私が知っている日本のものと比較的似通っているから助かる。

 もちろん、見た目と味が違う野菜とかにも遭遇したので、使う前に《鑑定アナライズ》をかけてから、実際に軽く齧ってみるのは必須だ。

 《鑑定》スキルは、安易な気持ちでリオナさんの真似っこをしてみたら、謎ディスプレイが発動された。


 包丁使うのは久しぶりだったけれど、さすがに身体に染みついていたらしい。危なげない手つきで調理できて、ほっとする。

 水と材料、塩抜きした干し肉、さっき裏庭でちょっと拝借してきたハーブを入れて、軽く炒めてから弱火でじっくり煮込んでいく。

 できれば鶏肉があればよかったものの、まあ今回はお試し気分だ。


 初めて使うキッチンは、勝手がわからなくて苦戦する。

 コンロや流しの使い方に首を傾げたのだけど、はめ込んである複数の石を適当に弄ってみたら、火が点いたり水が流れてくれたりしたので、どうにかなった。

 ただ、身体の中から、何かがすっと抜けていくような感覚は、異世界ならではかもしれない。


 ことことと煮込んで丁寧に灰汁を掬う合間にも、朝食の下ごしらえをしたり、ブイヨン保存用に見繕ってきた瓶を煮沸したり、掃除道具を発掘してリビングの一部を軽く清めたりとあくせく動く。

 やってもやっても終わらないくらい、あれこれ家事が山積みだ。

 凄いぞ、リオナさんのずぼらさ加減が浮き彫り立っている。


 そうこうしている間に、煮え立ったブイヨンを目の細かいザルで越す。キッチンペーパーは、偉大だったなあ…。

 でも、透明感のある綺麗な黄金色に、思わずにやりと笑み零れてしまう。

 スプーンで味を見てみると、干し肉の塩加減がいいアクセントになっていた。


 ちらりと階段へと視線を流すが、リオナさんが起きてくる気配はない。

 時計がないので、時間感覚が迷子になっているが、とうに陽は昇っていて、辺りはすっかり明るくなっている。

 私はくぅ、と切ない音を立てた自らの腹をさすりながら、朝食の準備を進めることにした。




* * *




「私、食事はあまりしなくていいのよね……」



 などとうそぶいていたリオナさんの手元の皿から、次々と料理が消えていく。

 それはそれは、気持ちの良い食べっぷりだった。

 その様子を、リオナさんと相向かいでダイニングチェアに腰掛け、茶を飲みながらにこにこと眺めていると、リオナさんはちょっとだけ恥ずかしげに歯噛みした。


「ぐ……美味しい……」

「それはようございました」

「大した材料もなかったでしょうに、よくこんなにきちんとしたもの作れたわね~。昨日のヒースのスープと大差ない材料なのに、味が全然違うわ。まあアイツのは冒険者野郎料理だけど」

「リオナさんって、食事に気を遣わない人です? 賞味期限くらいは気にしてください。野菜萎びかかっていましたし、牛乳もそろそろ危なかったですよ」

「ごめん、ごめん!」


 私が視線を鋭くすると、リオナさんは平謝りを始めた。

 食材は大事にしないと駄目、絶対。


 リオナさんのブランチに出したのは、パンケーキとポトフだ。

 先ほどこしらえたブイヨンを早速使ったので、ポトフは野菜の旨みたっぷりの、まろやかな味になっている。

 私も一足先に食べたけど、ほくほくと煮込んだじゃがいもが特に美味しかった。半端に残っていたソーセージのおかげで、スープに味がしっかりと染み込んでいる。

 もう少しお肉が欲しいな、切実に!


 パンケーキも、小麦粉を篩うの頑張りました。

 ベーキングパウダーなんてものはなさそうだったので、卵白をメレンゲにして代用してみたけど、上手くいったみたいだ。卵白を泡立てるのって、結構力仕事なんだよね。

 どうやら強力粉ぽかったようで、もちもちしたパンケーキに仕上がった。

 ホットケーキミックスの存在のありがたさを、よもやこんなところで実感するとは、誰が思うだろうか。

 バターだけなのもちょっと寂しかったから、メイプルシロップ代わりにカラメルソースを作ってみたのだけど、リオナさんはお気に召してくれたご様子。

 喋りつつも、さっきから食事の手が止まっていない。


「事後承諾になってしまいましたが、色々勝手に使ってしまってすみません。お腹空いちゃって……」

「いえいえ、思っていたより図太くて逞しくて何よりだわ。悲嘆に暮れるよりずっといいもの。こちらこそ、美味しいものをありがとう。ズボラな家主で申し訳なく……」

「片付けがいがありますね。これからしばらくお世話になりますし、家事くらいしかできませんが、私がやりますよ」

「神か。いや、それは助かるけど、まだこっちに来て数日なんだし、ゆっくり休んでいればいいのに」

「動くの、好きなんです。あと埃が気になって……」

「本当に面目ない! 一人暮らしが長かったから、随分と雑になっちゃってねぇ」


 リオナさんは、たははと笑った。

 魔女なんて御大層な肩書をもっているのに、この人は随分と人間臭い。


 食事の席での話は弾み、あれこれこの家での取り決めや身の置き方を軽く教えてもらったりしつつ、改めてリオナさんからあの部屋をお借りできる手はずになった。

 早速埃を払ったり、少しでもお布団を干して、陽の光を浴びせたりしたいな。


 それから、元の世界における私の身の周りについては、上手い具合に辻褄が合うよう世界が勝手に修正をかけるらしい。

 行方不明扱いとかになっていなくてよかった。私は胸を撫で下ろした。

 多分、修正が働いたとしても、皺寄せが行ってそうな先輩の忙しさは変わらなそうな感じがするけれど、そこは不測の事態なので手を合わせるしかない。


「ごちそうさまでした。あー、美味しかった! そうそう、ヒースにお願いして、要の身の回りで必要そうな物を適当に買ってくるよう頼んでおいたわ。明日辺り来ると思うから、それまでは私ので我慢してね」

「こちらこそ重ね重ねすみません……。そういえば、ちょっと気になったんですけど」


 ご満悦なリオナさんに食後の茶を差し出しつつ、私はふと思い立ったことを口にした。


「ん、何? わからないことは、遠慮なく聞いてくれていいわよ」

「ありがとうございます。じゃあ早速、リオナさんとヒースさんって、ずばり恋人なんですか?」

「ぶはっ」


 真顔で尋ねたところ、リオナさんは口に含んでいた紅茶を盛大に吹いた。

 私は、手元に置いておいた布巾代わりの布で、テーブルに飛んだ飛沫をささっと拭く。

 想定以上に、酷いリアクションが返ってきた。

 目を半眼にしたリオナさんは、あまりにも苦々しげな表情をしていて、これっぽっちの脈もなさそうなのがわかりやすい。


「ほら、美男美女だし、お似合いじゃないですか……」

「ありえない、絶対にありえないわよ。ただの客……というより取引先ね。それなりに付き合いが長いだけ。私、薬師をやっているのだけど、よく私の欲しい薬草の採取をお願いしているのよ。アイツが一番薬草の取り扱いが丁寧だからね」

「なーんだ。随分親しいから、てっきり……。お邪魔しちゃっていたら悪いかなぁと思ったんです」

「もう、余計な気は回さないでよろしい」


 ため息を一つ、呆れた眼差しをしながら、リオナさんは頬杖をついた。


「てか、要から見てヒースはどんな感じよ? アンタの保護者になるわけだけど」

「ヒースさんですか?」


 リオナさんの言葉が、昨日よりもずっと崩れてきている。それが何だか嬉しい。

 同時に、魔女の威厳も崩れてきてはいるのだけど。

 へらりと顔をにやけさせながら、私も話題沸騰中のヒースさんを思い浮かべる。

 襟足長めの亜麻色の髪、宝石みたいに綺麗な緑の瞳、端正な顔立ちに冒険者らしいしっかりとした体つき、すこぶる見目が良いのに、更に情が深くて面倒見が良いときた。

 これで第一印象が悪くなることなどない。完璧な人間っているところにはいるんだなあと、しみじみしてしまう。


「うーん、まだちょっとしかお話したことないですけど、当たりが柔らかくて優しいのに、びっくりするくらいイケメン……っと、格好良い男の人ですよね。モテそうな人だなぁと」

「そうね。きゃーきゃーうるさい女の子に囲まれて辟易としているアイツ、面白いわよ」

「あはは、大変そうですね。そういえば、ヒースさんっておいくつくらいなんですか? お二人とも、私より年上かなとは思いますが」

「確か27だったかしら。要は24だったわね」

「はい。リオナさんに年齢ってお伺いしてもいいんです?」

「205歳くらいまではかろうじて覚えていたんだけど……正直200を超えたら、年齢なんて誤差よ誤差」


 目を丸くした私に気を悪くした風もなく、リオナさんはひらひらと気楽に手を振る。

 さすが、魔女のスケールは全然違った。






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