第2話 閉ざされた心と、差し伸べられた手
イーヴァに手を引かれながら、ユキは森を抜け、石畳の街へと足を踏み入れた。
道の両脇には、見たこともない形の建物が並び、露店には見慣れない果物や布地が並んでいる。行き交う人々の服装は、どこか中世ヨーロッパを思わせるものの、微妙に違う。彼らの会話も不思議だった。はっきりと意味が理解できるのに、知っているはずの言語ではない。
——ここはどこなんだろう?
考えれば考えるほど、頭が混乱する。これは何かの悪い夢? それとも、現実? もし現実だとしたら……私はどうすればいい?
ふと、視線の端に映った店の看板が目に入る。木製の看板には、鋏のような絵が描かれていた。反射的に「美容室?」と思ったが、すぐに違うと分かった。あれは理髪店の剃刀のマークだ。
自分の店を思い出す。やっとの思いでオープンした、たった一日で消えてしまった私の居場所。資金を貯め、経験を積み、何年もかけて築いた夢。
喉の奥が詰まり、胸が締め付けられるように苦しくなった。
「着いたよ!」
イーヴァの明るい声に、ユキはハッと顔を上げた。
目の前にあったのは、煙突のある頑丈な建物。壁には鉄製の看板が掛かっており、そこには交差するハンマーと鍛冶道具の絵が描かれていた。
「ここが私の家! 鍛冶屋をやってるんだ!」
扉を開けると、鉄の焼ける独特の匂いが鼻を突いた。室内には大小さまざまな工具が整然と並び、壁には剣や包丁らしきものが掛かっている。
奥から、屈強な男が姿を現した。
「……誰だ、その女は?」
低く響く声に、ユキは思わず身をこわばらせる。鋭い眼光、鍛え抜かれた体。威圧感があるが、イーヴァと同じ金色の髪を持つ彼は、父親なのだろう。
「親方、森で倒れてたんだよ。ほっとくわけにいかないでしょ?」
イーヴァはあっけらかんとした口調で言うが、男の視線は鋭くユキを値踏みするようだった。
「どこから来た?」
その問いに、ユキは返答に詰まった。自分でも分かっていない。
「……分かりません。気がついたら、森の中にいました」
ロードリック——イーヴァの父は、少し目を細めた。
「……そうか」
それ以上、何も聞かれなかった。
——疑われているのか、それとも深く追及する気がないのか。
「まぁいい。飯でも食うか」
意外な言葉に、ユキは驚いた。
「いいんですか?」
「イーヴァが拾ってきたんだ。なら、世話をしないわけにはいかん」
ロードリックはぶっきらぼうに言いながら、手早くパンとスープを並べた。
「いただきます……」
スプーンを口に運ぶ。温かいスープが喉を通った瞬間、思わず涙がこぼれた。
「あ……ごめんなさい……」
「なんだ、まずかったか?」
ロードリックが眉をひそめる。
「違います。ただ……」
——店を失った。
ずっと張り詰めていたものが、ふっと崩れた。あのサロンがどんなに大切だったか、どんなに努力してきたか。
すべてが消えてしまった。もう、二度と戻れないかもしれない。
「……私は、帰れるんでしょうか……?」
呟くように言った言葉は、ロードリックにもイーヴァにも届いただろうか。
しばらくの沈黙のあと、ロードリックが静かに言った。
「……さあな」
それは、希望を与えない言葉だった。でも、変に慰められるよりもずっとましだった。
「ただ、今ここにいるのは確かだ。それだけは間違いない」
それが、この場所で生きるしかない現実だと突きつけられた気がした。
「今日はもう休め。色々考えるのは、それからでも遅くはない」
そう言われ、ユキは小さく頷いた。
翌朝、ユキは硬い布団の感触で目を覚ました。
寝起きのぼんやりした頭で、いつもの天井を見ようとしたが、そこにあるのは見知らぬ木造の天井。
——やっぱり、夢じゃなかったんだ。
「おはよー!」
イーヴァが元気な声をかけてくる。
「ね、今日は鍛冶場を見に来ない?」
鍛冶場——あの鉄を打つ場所。何か、そこに答えがあるのだろうか?
「……わかった」
ふと、イーヴァの笑顔を見て、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
——少なくとも、私は一人ではない。
(第3話へ続く)
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