第17話 「あれがギン?」
文は飼い始めたペットにギンと名付けたと聞いていた。
でもこれがペット?ただの毛玉じゃないのか?というくらい長い毛並みにおおわれたそいつは、猫ほどのサイズでどっちが頭でどっちが尾なのかもはっきりしない。するとそいつは目が覚めたのか、ピーピーと笛のような音色で鳴き始めた。音のするほうが前というわけだ。
「おー、よちよち」
文が溶けそうな顔でそいつの頭らしき部分をなでてやり、顔を隠している長い毛をかき分ける。やがて現れた黒い鼻先にちゅっとキスすると、そいつのお尻のしっぽらしき部分がばっさばっさと揺れた。
「どーだ銀。このギンもなかなかべっぴんさんだろう?」
抱いてみるか、と毛玉を差し出され銀はそっと手をのばす。動物を見るのは好きだったが抱っこには慣れていなかった。見た目よりはずいぶん軽い。元々なのか文の努力のたまものなのか、艶のある毛並みはとても触り心地がよかった。じっと銀の腕に抱かれているその毛玉に銀は顔を埋める。
その時銀の胸を不思議な感情がよぎった。小さな頼り無い生き物に対する切ない思い。守りたいと思う愛しさ。この生き物を力いっぱい抱きしめて離したくないと思った。
文が慌てたように言う。
「可愛いのは分かるが力入れすぎるなよ。潰れちまう」
銀は力を緩め文を見る。どうしてこの子を?
「少しだけこいつの世話頼めないか。日が暮れるまでには引き取りに来るから」
てっきり文がこの家で宿泊するんだと思っていた銀は驚く。
「文はどこで寝るんですか?」
「ちょっとダチんとこで世話になろうかなと思ってる。んで今日はそいつに紅葉とやらを見に行こうって誘われたんだ。銀は知ってるか?モミジとかイチョウとか。すげえ綺麗なんだって。けれどそういう場所には観光客が大勢いるだろうし、ギンは地球の生き物とはかなり違うからさ。連れてはいけないだろ」
銀は腕の中のギンに目を落とす。
「どこが違うんですか?」
「ぱっと見には分からんか……まずほら」
文の手がギンの腹の辺りの毛をはらう。短い脚が一本二本三本……全部で16本。
「尻尾もたくさんある。あとで数えてみろよ」
銀は触ってみて驚く。
「なんでこんなにたくさん付いてるんですか?」
地球の動物みたいに脚は四本、尻尾なんか一本あれば十分だと思う。
「まあそう言うなよ。こいつはこの足のおかげで、結構早く走れるんだぜ」
「そうなんですか」
感心して銀は毛玉の足を見る。
「つっても50メートルのタイムが13秒くらいだったかな?それ以上は疲れて動かなくなる」
「……」
ちなみに地上最速の生物チーターは、走り始めた直後に時速110キロに達するという。50メートルなら1.6363秒。銀は少しがっかりする。このギンの場合は16本の足はじゃまにしかなっていないのでは。二本しか足のない人間の平均よりもかなり遅い。
銀の疑問を感じ取り、文は言いわけする。
「しゃあねえだろ?こいつはまだ地球の重力に慣れてないんだ。そのうちこいつのかっこいい姿も見せてやるよ。じゃ俺ちょっと急がなきゃなんないから世話頼むな。けれど大事な事がひとつ。こいつに地球のメシは絶対にやっちゃダメ。欲しそうにされたら水だけやっといてくれ。哉に文句言われたら俺にむりやり預けられたと言っとけ。それから悪いがおまえの端末貸しといて」
銀は頷き、最近やっと破壊せずにすむようになった自分のスマホを文に渡す。貸してほしいと言われたのは初めてだ。一体だれと連絡をとるつもりなのか。
ぴーぴーぴー。ギンはしきりと鳴いている。飼い主に置き去りにされようとしているのが分かるらしい。
「じゃ、銀もギンも。いい子で待っててくれよ」
そう言い残すと文は慌ただしく家を飛び出して行ってしまった。文に哉以外の知り合いが地球にいたというのは初耳だった。銀の知らない間に文は地球での交友関係を広げていたのか。
銀はギンの頭をなでる。
「おまえはうちのご飯は食べられないのか。水だけじゃ、おなかいっぱいにならないな」
そしてふと思う。
寝床も用意しといた方がいい?トイレは?もしかしたら散歩用のリードもいるんだろうか。
とりあえず買い物に行こうと銀は思った。ただその間ギンをどうしたものかと考える。まだ地球の空気にも慣れていないはずのギンを、いきなり外に連れ出しても大丈夫だろうか。
「留守番できる?」
ギンに話しかけるが何の反応も帰ってこなかった。はたはたと尻尾を振っているだけだ。
銀はギンを抱いて自分の部屋へもどると 畳の上に下ろしてやる。優しく頭や背中を撫でていると毛玉はぺたんと横になり、やがてすーすーと眠りについてしまった。
銀はその背中に自分のカーディガンをかけてやるとそっと部屋を出た。今のうちに買い物をすませてしまおう。
でも哉たちが帰ってきた時のために、短い書き置きのメモをテーブルの上に残しておいた。
『文がギンを連れてきました。ご飯は絶対にあげないで下さい。銀』
そしてそそくさと出かける。ギンが寝ている間に買い物を終えて戻っていたい。
銀が家を飛び出した数分後、ほとんどすれ違いのようにして尚也が帰ってきた。
友人二人をつれて。
一人は長身でぼさぼさ頭の少年。
二人とも尚也の同級生でゲーム仲間だった。互いの家を行き来して、攻略法や技を伝授しあう。とはいえ尚也はもう何年も友達を家に呼んでいなかった。理由は色々ある。
父親の部屋をのぞかれると困る。両親の外見が若すぎて言い訳するのが面倒。銀の事をどう説明していいのか分からない。
どれも漠然とした理由なので、尚也の部屋へ行ってみたいと言い張る二人に、彼は頷くしかなかった。
(銀のことどう説明しようか)
尚也は考えた。
(親戚の子、とか。でも親戚の子が常にうちにいるのも変か。こいつらこれからも来るかもだし。まあ聞かれたらその時考えよう)
帰宅すると銀は不在だった。
「どうぞ」
外に立っている友人を呼ぶ。
「おじゃまします」
二人が入ってきた。とりあえず居間に座らせ、コーラの缶とスナック菓子を適当に渡す。
「おうちの人、お留守?」
鈴が尋ねた。
「うん。そうみたい」
短く尚也が答える。その時夏目がテーブルの上のメモを見つけた。
「なんか置いてる」
尚也にその紙切れを指さす。見ると見慣れた銀の字がちまちまと並んでいた。
(文がギンを連れてきた?)
意味が分からない。まあ銀が帰ってきたら聞けばいいやと尚也は二人に言った。
「それ飲んだら、どっか出かけよう」
だが友人達は笑顔で首を横にふった。尚也の部屋を見るためにやってきたのだから。しかたなく尚也は二人を自分の部屋に招き入れる。
なんの面白みもない普通の部屋だ。
「ちゃんとしてるんだな」
夏目が不機嫌そうに言う。もっと雑然とした部屋を期待していたらしい。
「素敵なお部屋ね~なんにもないけど」
鈴も言う。夏目はやっぱり納得できない様子で、きょろきょろと辺りを見回している。
「俺さー。お前が俺らをうちに呼んでくれないのは、きっと見せられない位すごい部屋だからって楽しみにしてたのに」
澄まし顔の美少年の裏の姿が見られるかも、と夏目はワクワクしながら来たのだ。でもこんな整然と片づいた部屋じゃ、尚也のイメージアップにしかならない。だが目的は果たしたというわけでようやくいつものようにゲームの話を始める三人だった。
「あっ、そうか」
お目当てのゲームを探していた尚也が思い出す。少し前に銀に貸した。
「ちょっと待ってて。今取ってくる」
立ち上がって銀の部屋へ向かう。ふすまに手をかけてふと尚也は耳をすませた。なんだか妙な音が中から聞こえてくる。
「銀?いるのか?」
声をかけるが返事はなかった。でも妙な音は確かに聞こえてくる。
不安になった尚也はそっとふすまを開けた。
カーテンを締め切った薄暗い部屋の中で、小さく何かが光ったような気がした。赤い二つの輝き。
次の瞬間そいつはとびあがった。体を覆っていた衣の中から飛び出した毛むくじゃらの丸いものは尚也めがけて宙を駆けるように飛んできた。
「わっ」
かろうじてよけると、そいつは50メートル走のタイムが13秒とは思えない素速さで廊下を滑ると居間の方へ消えていった。
「な、な」
ようやく銀のメモの内容がよみがえる。
『文がギンを─────』
「あれがギン?」
文が預けていったという事は多分危険はないんだろうが。だが今は友人たちがいる。まずは捕獲しないと。尚也は足音を忍ばせてそいつが消えたリビングの方へ向かう。
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