第7話:楓の問い
「れいちゃんって、今……幸せですか?」
グラスを持つ手が、一瞬止まった。
「……何だよ、突然」
「気になっただけです」
楓はワインのグラスを軽く揺らしながら、俺をじっと見つめる。
「深い意味はないですよ」
「そんなこと聞くってことは、楓はどうなんだ?」
「……どうでしょうね」
曖昧な微笑みを浮かべながら、ワインをひと口飲む。
「まあ、結婚してるし、それなりに楽しくやってるんじゃないですか?」
「自分のことなのに、他人事みたいだな」
「れいちゃんこそ、自分のことのはずなのに、答えないですよね」
「……」
「ってことは、やっぱり幸せじゃないんですか?」
俺は軽くため息をついて、グラスを置いた。
「幸せかどうか、考えたことがないだけだ」
「なるほど……らしいですね」
楓はクスッと笑い、グラスを持ったまま少し遠くを見る。
「れいちゃん、学生の頃もそんな感じでしたよね」
「どういう意味だよ」
「なんかこう……人生の大事なことを、あまり深く考えてないっていうか」
「……そうか?」
「うん。でも、それがれいちゃんの良いところでもあると思ってました」
「思ってました」
過去形だった。
「れいちゃんって、何かやりたいこととかあったんですか?」
「昔か? 今か?」
「どっちでも」
俺はグラスを傾け、少し考える。
「やりたいことってほどのものは、別にないな」
「へえ……」
「楓は?」
「私は、好きなことを仕事にしましたから」
「そうだな」
楓は大学時代からデザインや企画の仕事をしたがっていた。
それをそのまま形にして、今もフリーで続けている。
「れいちゃんは、好きなこと仕事にしようとか、考えなかったんですか?」
「仕事は金のためだ」
俺がそう答えると、楓は少しだけ眉をひそめた。
「……そうですよね」
「それが悪いことか?」
「いいえ、全然。でも——」
「でも?」
「れいちゃんは、本当にそれでいいんですか?」
その言葉には、何か含みがあった。
「何が言いたい?」
「別に。ただ……」
楓は、グラスの縁を指でなぞりながら、ゆっくりと口を開く。
「れいちゃんって、昔から、何かを決めつけたら動かない人だから」
「……」
「でも、本当は……ちょっとは揺れることもあるんじゃないですか?」
俺は、グラスの氷を軽く回した。
「さあな」
バーを出ると、夜風がひんやりと肌に触れた。
「タクシー、拾います?」
「そうだな」
駅に向かう気配もなく、自然とタクシー乗り場へ向かう。
「れいちゃん」
「ん?」
「やっぱり、変わらないですね」
また、その言葉。
「そうか」
「うん。でも、もし——」
楓が何かを言いかけたその時、スマホの着信音が鳴った。
彼女は、一瞬だけ画面を見て、また無言でカバンにしまった。
「……」
「じゃあ、またね」
「おう」
軽く手を振り、楓はタクシーに乗り込む。
俺は、そのまま別のタクシーを待った。
(続く)
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