第19話 ユウシャサマ

 真っ暗な空間をただ落ちていることだけは感じられた。地面が崩れて穴でも空いたのか、もともと空いていた穴に落ちてしまったのかは不明だが、俺にはどうしようもない。


 光のない漆黒しっこくの闇の中、自分の身体の方向も曖昧あいまいだが落下しているのは間違いない。この風の感じ方は頭が下になっているのだろうか。その落下速度はどんどん増しているだろうというのははっきり分かる。いつ訪れるかも分からない衝突の衝撃に恐怖していたが、その感覚も麻痺まひしてしまい、なるようになれという感じになる。


 ずいぶん時間が経ったように感じるが、底への衝突、その衝撃はいまだに訪れない。


 ああ、どっちにしても俺、死ぬんだよな……。


『大丈夫ダヨ。アルハ死ナナイ』 


 エル兄? またあの声が頭の中に聴こえてきた。エル兄、天国から俺を迎えに来たんじゃないの?


『残念ダケド、俺ハ……』


 その後、俺が何を呼びかけてもエル兄の返事は返ってこなかった。


「うわっ、わっ!?」


 真っ暗な中で、俺の身体が何かに包まれた。何だか生暖なまあたたかい。でもまだ落下は続いているようだ。


 肌がピリピリしてきた。何だこれ?


「うおーーーーっ!」


 俺の身体は包まれた柔らかな何かのなかで、大きく沈み込むような感覚。そしてそれに反発するように俺の身体が跳ね上がった。


「ぐへっ!」


 その後俺の身体はかたい地面に打ちつけられた。痛いのは痛いのだが、この程度なのか?


 あたりはうっすら明るい。洞窟のようだが岩や地面が淡く光を放っていた。その光り方は違っているがあの迷宮の感じとよく似ている。俺を包んでいたと思われるべたべたした半透明の物体があたりに散乱していたが、しばらくすると消えて無くなってしまった。とにかく俺は死なずに済んだことに安堵あんどする。上を見上げると自分が落ちてきたのだろう巨大な穴が見えるが、光は見えない。この先に地上があるはずなのだがよじ登ることはできなさそうだった。気づけば俺の装備していたはずの革の胸当てが無くなっていたし、上着やズボンにはあちこちに虫の食ったような穴が空いていた。肌もなんだかひりひりする。


 とにかく広い空洞に俺はいる。自然にできた洞窟にしては地面がやけに平らで、人工的な床のようだった。何か所か通路っぽい横穴が見えたが、それよりもこれも真っ平らになっている壁面へきめんが気になったので近づいてみる。


「絵? 壁画へきがなのか? どこかで見た気もするけど……、教会だったか、大聖堂だったか」


 消えかけてはいるけど、間違いなくそれは人の手が入った巨大な図形のような絵だった。円が三つ葉型に組み合わされ、一見複雑そうにも見えるが道具を使えば俺でも描けそうな単純な構図だ。対称っていったっけか、キースさんから教わった魔法陣の描き方の基礎で聴いた言葉が思い出される。何かをしたようには見えず意味は汲み取れない。ただの記号のように感じる。でも、そんなものが大きく壁に描かれているここは何なんだろうか?


「ん? 何だ?」


 シャツの胸ポケットの中がむずむずする。俺が手を伸ばそうとするのと同時に何かが飛び出した。


「スライム? いや、でもなんか違う……」


 俺の前の地面でふるふるとその全身を震わせている小さな黒っぽい半透明の生き物。草原なんかで見かける野生の雑魚魔物であるスライムによく似てはいるが、あれはもっとなんていうかべちゃっとしっている。それにこいつのようななんて持ってはいない。


「キュウ」


 なんか可愛らしく鳴いた。そして俺をそのまん丸な二つの目で見上げている。いやいや、こんなに小さくて愛らしい姿をしていても魔物のはずだ。俺を油断させようとしているのではないだろうか。幼い頃、俺はエル兄と二人で腹の足しにもならないスライムを倒そうとして、返り討ちにった嫌な記憶を思す。透明な体の中にある魔核まかくという器官を破壊すれば倒せるのだが、ぴょんぴょん飛び跳ねて回避したりする。さらに奴らはゆっくりとではあるが何でも溶かしてしまう。服も溶かされたうえに仲間のスライムまで呼び出されて泣きながら二人で逃げ帰った。それ以来、弱小魔物といえども警戒するというくせがついていた。


「ん? 魔核はどこだ?」


 討伐しようと思ったが、肝心|ルビを入力…《かんじん》の魔核が見当たらない。あの目玉がそうなのだろうか?


「マカク?」


「うわっ! しゃべった!?」


 そんなはずはない。魔物が、それも知能なんてないはずのスライムがしゃべるなんて聴いたこともない。そもそも口なんてないじゃないか。


「オクチ、アル」


 はっ? 心が読まれた?


 その黒いスライムは両目の下に口のような穴を大きく開けてみせた。なんだこいつ?


「カーリー、、カーリー」


「それは名前なのか?」


「カーリー、オデノナマエ。オデ、ニマケタ。ダカラ、カーリー、ノ、


「ん? ユウシャさま? ヨメ?」


 言葉は分かるが、何を言っているのか意味が分からない。とりあえずこの小さな魔物はユウシャサマというやつに負けたらしい。それは他にも魔物がいるということだろうか。目の前のこいつにさほど脅威きょういなんかは感じないが、もしも強い魔物がいるのならマズい。あの地上での不思議な力は再現できる気配すら俺の中にはない。それに武器もない。


「そのユウシャサマっていうのはどこにいるんだ?」


「ジーッ」


 なんだその擬音ぎおんは……。小さな黒スライムは俺をじっと見ている。


「ん? 俺?」


「ユウシャサマ!」


 はあ? たしかに俺はこいつを倒そうと考えはしたが、戦ってすらいない。人違いじゃないのか?


「ヒトチガイチガウ、ユウシャサマ!」


 まあ、魔物の言うことだ何か俺の知らない行き違いがあるんだろう。


「か、カーリーだったな。俺の名前はユウシャサマじゃなくてアルベルトだ」


「ユウシャサマハ、アリュベリュト。アリュベリュト!」


「いや、アルベルトだよ。ああ、長くて言いにくいのか。アルでいいよ」


「アリュ! アリュ! アリュ!」


 嬉しそうに飛び跳ねている。俺は、なんだかそれでもいいかと思うことにした。


 

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