第4話

朝食の時間。

伯爵家の食堂には、家族が揃っていた。


長いテーブルの向こうには、威厳ある父ユヴェルナート・アルトレイ。

ケイと同じ黒い髪と黒い目を持つ、凛とした雰囲気の知性を感じさせる男である。

伯爵家の当主であり、回帰前の人生では、戦場では勇敢な知将として知られていた。

しかし、妻ポーラと息子ケイには穏やかな表情を向けてくれる良き父だった。


「おはよう、ケイ。よく眠れたか?」


「うん、お父様」


ケイはゆっくりと椅子に座った。


(お父様がいるときは、家族全員で食事を取る。留守のときは正妻セオドラが俺と母を追い払う。これは前の人生と同じだ)


ケイの隣の席には異母兄テオドール。

アルトレイ伯爵家の血筋に特有の、黒い髪と黒目を持つ端正な顔立ち――父伯爵やケイとよく似た容姿だ。

何も知らなければ、彼が正妻の子で、ケイが妾の子という違いは、外見からは誰もわからないほど三人はよく似ている。


年子の同い年だが、彼のほうがケイより一年近く早く生まれている。

そのためケイより身体が大きくて、回帰前のケイは彼に逆らえなかった。


最初の人生では、自分を虐げ、最終的には伯爵家から追放した張本人。


しかし――


(兄が何も嫌味を言ってこない)


テオドールの様子が、記憶の中のものと微妙に異なっている。

冷たい視線を向けられると思ったが、彼はじっとケイを見つめ、何かを探るような目をしていた。


そして――


「おはよう、ケイ」


静かにそう言った。


予想外の言葉に、ケイはわずかに動揺する。

前の人生では、こんな穏やかな挨拶をされたことはなかった。


むしろ、無視がデフォルトだったはず。


(どういうことだ?)


この違和感の正体を探ろうとした矢先、冷たい声が響いた。


「……おはようございます、ケイ」


正妻セオドラだ。

銀色の髪を優雅にまとめた、赤い瞳の勝ち気な印象の美女だ。朝から隙のない化粧をして、冷ややかな微笑を浮かべている。


(こいつは今のところ、回帰前と変わらなさそうだ)


そう思った途端、ウーパールーパーのピアディが、こっそり潜り込んだケイの上着の胸元で動いた。


「油断してはならぬのだ」


(ん?)


「回帰は単なる過去の繰り返しではない。魔法なのだ。まずは前の人生と、今回の人生との共通点や異なる点を調べてみるとよいのだぞ」


(なるほど。良い取っ掛かりだ)


――この回帰後の世界は、俺が知っているものと同じかもしれないし、違うかもしれない。

まずは調べるところから始めよう、


(油断せず、今回の人生を進めていこう)




回帰後、初の家族の食事に多少の違和感を抱きながらも、ケイは冷静に食事を取った。


この家では、少しでも隙を見せたら潰される。

回帰前の最初の人生で、それを嫌というほど学んだ。


食事が終わるころ、父ユヴェルナートが静かに言った。


「ケイ、お前もそろそろ正式に教育を受ける時期だな」


「はい、お父様」


今のケイは十歳。

元子爵令嬢だった母から教育は受けていたが、伯爵家の子供としての正式な教育はまだだった。


「剣術も、学問も、しっかりと励め。お前の才を無駄にしないように」


その言葉に、セオドラがわずかに眉をひそめた。

しかし、すぐに微笑に戻る。


――前の人生では、この頃から俺の才能は封じられた。

だが、今度は違う。



 「母を守る」


 「自分の才能を奪わせない」


 「異母兄や正妻に蹂躙されない」



(俺は、俺の人生を取り戻す)


ケイは、静かに更なる決意を固めた。




食事の後、父が執務があると言って先に食堂を出て行った。

この後は正妻セオドラ、兄テオドールの順で退場するが……


「ああ、嫌だ嫌だ。妾とその息子との食事など、苦痛で仕方がないわ!」


セオドラが聞こえよがしに言い放った。


(そうだ。セオドラは回帰前もこうだった。お父様の前では猫を被ってるけど、いなくなるとこうだ)


ケイは言い返したかったが、隣の席から母ポーラに手を握られ、堪えるしかなかった。


(セオドラに逆らうと、お母様が酷い目に遭う。だからいつも俺も何も言えなくて……)


「セオドラ様、テオドール様。お先に失礼いたします」


母に促され、食事を終えて先に食堂を後にした。


残されたセオドラは、妾親子が消えた扉を睨みつけている。


「母上……せめて食堂から出た後にしてください。食事が不味くなります」


息子テオドールが文句を言った。

セオドラは両肩をすくめてみせた。


「誰かがわたくしに囁くのよ。妾とその息子を許すなと」


「え?」


テオドールはまじまじと母親を見つめた。

朝から美しく身だしなみを整えた母の背後に、一瞬だけ何かの影が見えた気がした。


(気のせいだったか?)


母の後ろにいたのは、無表情の侍女だけだった。


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