第13話 暴走の果て①

 王都の夜空は、かつての優雅な灯火ではなく、至るところから立ち上る炎のこげ臭さに染まっていた。建物の屋根が次々と火を噛み、赤い炎が夜闇を切り裂くように揺れている。薄暗い路地では無数の悲鳴と咆哮ほうこうが入り乱れ、誰もが自分の身を守るだけで精一杯だった。


 王家の威光はもはや跡形もなく崩れ去り、兄王子や叔父といった血縁関係の王族さえも、それぞれの打算で我が身を護る策をひそかに講じている。その混乱に乗じて、カトレアが公爵家の私兵を動員し、力ずくで首都を支配しようという動きが加速した。民衆が求めるのは秩序の回復だが、誰もそれを与えることはなく、逆に混沌が渦を巻いて首都全体を飲み込もうとしている。


 夜陰に紛れた公爵家の私兵が、まずは王宮周辺の門や兵舎を制圧し始めたという噂はあっという間に街へ伝わった。だが、それを止めようと動く将校や騎士は少ない。腐敗と汚職が蔓延まんえんした体制の中、正義感に燃える者は既に失墜しているか、脅されて口をつぐんでいる。慌てて集まった王家の兵士たちは指揮系統を失い、たちまち無謀な抵抗で散り散りに崩された。


 民衆の多くは家の戸を固く閉ざし、祈るように夜明けを待つしかない。だがその祈りを嘲笑あざわらうかのように、私兵たちは通りや店を片っ端から荒らし回り、目についた物を略奪し、逆らう者を殺していく。店先には砕けたガラスが散乱し、どこかで放たれた火が建物の奥を燃やしつく。ある商人の屋敷が炎上する光景は、まさに地獄絵図だ。飛び出してきた住人を私兵が捕え、抵抗する者は容赦なく斬り捨てられる。


 廊下に転がる死体の傍で泣き叫ぶ老人や子どもさえも、蹴り飛ばされ、追い散らされる。血の匂いと悲鳴が街のあちこちにこびりつき、空には黒い煙が幾筋も立ち上っている。路上には壊れた荷車や倒れた馬の骸が放置され、そこに泥棒が群がって物品を漁る惨状。道端にはどこから連れてこられたのかわからない、貴族らしき服を着た者たちが縄で繋がれ、泣き声を上げている姿もあった。


 その中心で私兵たちを率いるカトレアは、既に常軌を逸した興奮に捕らわれている。王家の権威など形だけになったこの瞬間こそ、彼女の積年の恨みと狂気を思うがままに噴出させる機会だ。


 公爵家の父はこの事態を何とか食い止めようと試みているが、もはや遅い。カトレアの私兵が命令を一方的に無視するか、あるいは彼女の狂気に惹かれてさらなる暴虐を続けているのだ。街の角を曲がるごとに、放火の業火と略奪の阿鼻叫喚あびきょうかんが耳を劈く。そうした地獄の光景に、カトレアはまるで恍惚こうこつとした表情を浮かべるように歩み続ける。


「もっと燃やしても構わないわ。どうせすべてが瓦礫がれきになるのだから。いっそこの国全体が灰になるまで……」


 唇から漏れる言葉は凄惨だが、彼女の目にはもう迷いや後ろめたさは見えない。破滅をもいとわないほどの狂気が、すべてを吹き飛ばそうと突き進んでいるかのようだ。かつては公爵家の面子を重んじていた彼女も、いまは父の説得や警告すら耳に入れず、凶行の先頭に立っている。時折、付き従う私兵の誰かを指差し、「あそこを掃討して」「門を破壊しろ」と簡潔な言葉で指示するだけで、十分すぎる殺戮を引き起こせるのだから。


 一方、レオネルは王宮の廊下の片隅でひっそりと座り込んでいた。シエラをうしない、地下室から捨てられるように放り出されて以降、彼の心には生きる気力がほとんど残されていない。周囲で騒乱が広がり、至急の対応を求められても、もはや彼に決断や命令を下す力はない。かつての取り巻きはどこへやら、そもそもこの修羅場で彼の言葉を聞こうとする者などいないのだ。


「殿下、出撃の許可をいただけますか? 近隣諸侯が動き出しました。敵対勢力を仕留めなければ……」

「殿下、こちらにも火が迫っています。避難を考えねば……」


 耳に届く様々な声も、ただの雑音にしか感じられない。レオネルはぼんやりと天井を仰ぎ、おびえた兵士たちの姿を視界の隅で捉える。以前なら、彼らが敬意を示し、命を聞いてくれた光景を覚えている。だが今は、その誰一人として彼を頼らず、むしろ不安げに顔を背けている。誰もが自分の身を護るための道を探り、レオネルを王族と見るどころか、足手まといと感じているのだ。


 心身の限界を感じながら彼が立ち上がろうとしたそのとき、王宮の窓から赤黒い光が差し込んだ。遠くでまた建物が燃え上がり、爆発音のような轟音ごうおんが響いたのだ。市街地のあちこちで火の手が広がり、暴徒化した集団と私兵が無差別に衝突しているのだろう。そんな地獄を目の当たりにしながらも、レオネルにはもう何もできない。


「やめてくれ……こんなことになって、誰が得をするというんだ……」


 独り言のように漏らしてみても、答える者はいない。むしろ外では、血濡れの狂騒が拡大しているのが感じられた。農民上がりの兵が、略奪した戦利品を抱えて笑いながら街を走り回る。貴族の屋敷が襲われ、悲鳴とともに窓ガラスが粉々に割れる。必死に逃げ惑う人々と、それを追い回す獣のような私兵たち。既に首都は、神の慈悲すら届かぬ無法地帯と化していた。

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