第16話 阿弖流為(アテルイ)
宙に投げられた五芒星の髪飾りが光を放ち、四体の聖獣へと姿を変えた。
「ゲンちゃん、島民のみんなを守って!」
日月の声にこたえ、玄武はしっかりと四肢を大地におろす。
暴走する陽翔は一瞬の躊躇いもなく、短剣の連撃で玄武の結界を削っていく。刃が結界を打つたび、青白い火花が散り、空気が震動した。
「やられっぱなしじゃないっつうのっ!」
日月が右手を振り下げると、上空から
「くっ」
陽翔は辛うじてそれを避けたが、そこには
「ゲンちゃん押さえつけて!」
バランスを崩した陽翔の体を、玄武の甲羅から伸びた蛇がからめとる。
「放せっ!我は二度と騙されんぞ。朝廷の犬どもめ、我らは決して屈しない!」
陽翔の口から発せられる声は、明らかに別人のものだった。
「この力は尋常じゃないわ……。ゲンちゃん、私も力を貸すから踏ん張って!」
日月は玄武に自身の霊力を流し込み、暴れる陽翔を必死に抑え込んだ。
ようやく動きを止めた陽翔の顔を、日月は見つめる。
顔立ちこそ陽翔のものだが、頬から耳にかけて青い刺青が浮かび上がっている。額には古代の文様を思わせる装飾が刻まれ、瞳は野生の獣のように鋭い光を放っていた。
「あなた、守護霊でしょう。本人の意識を奪って何をしているの。早く陽翔君を戻しなさい」
日月の声には怒りと焦りが混じっていた。
「貴様の指示など受けん。我は戦士、
照井に憑依した守護霊は、その眼差しだけで相手を射抜かんばかりの激しさで日月を睨みつける。
「
「我は
照井……阿弖流為、そうか、照井くんの先祖に阿弖流為に連なるものがいたのね。でもなんで今この時代によみがえったりしたの?
「蝦夷の戦いは千三百年以上も前に終わっているのよ。あなたたちは敗れたの」
「そうだ、我が奴の言葉を信じたばかりに……、
阿弖流為の声には、千年の時を超えた怨念が滲んでいた。
「馬鹿言わないでよ!日本を滅ぼすつもり!?さっさと消えて照井君を戻しなさいよっ」
日月は思わず拳を握り、阿弖流為に憑依された陽翔の頭を叩いた。
「小娘が、後で覚えておれ」
その言葉には底知れぬ怨念が込められていた。阿弖流為――征夷大将軍・坂上田村麻呂との戦いに敗れ、大和の地で処刑された蝦夷の戦士。その怨念は想像を絶するものがあったに違いない。
怨霊となってもおかしくない意思の力を感じる。
この場で陽翔を取り戻すことは難しい。一度仙台に戻って陰陽寮の応援を受ける必要がある。
日月は阿弖流為を玄武に任せ、倒れた島民の介護にあたっている猫神のところへ行った。
「これは相当な事態よ。この後始末、どうするつもり?」
陽翔の件もあり、日月の声には苛立ちが滲んでいた。
「すまなかった」猫神は耳を垂れる。「島のことは心配せずとも。わしの力で記憶を書き換えておく。これでも神じゃからな、この島に限れば神がかった奇跡も起こせる」
そう言うと空に向かって腕を回した。すると、暗雲に覆われていた島に青空が広がっていく。天候を操る――それは並の妖怪には不可能な芸当だ。この猫神の言葉が真実であることを、日月は悟った。
「迷惑をかけた詫びじゃ。散り散りになった仲間の体も、島のみんなに頼んで集めておいた」
猫のひげを生やした島民が、袋に入れられた健太の内臓を持ってきた。
「お礼なんて言わないわよ」
健太のパーツが入った袋を受け取り、日月は猫神を余所に、健太の元へ駆け寄る。
「健太ありがとう、あなたのおかげで助かったわ」
「いえいえ、部長のためならこんな傷、どうってことないですよ」
そういいながらも健太の体はひっかき傷や噛みつかれた跡が生々しい。
日月は朱雀を呼び出し、健太の傷を癒していく。表面の傷は消えたものの、バラバラになった内臓は後で丁寧に組み直す必要がありそうだった。
「日月ちゃーん。船が来たわよ!」
ようやく平静を取り戻したキョウコが、港の方を指さして叫ぶ。本日最終の連絡船が、港に接岸しようとしていた。
「島の周囲にいる限り船の操縦者もわしの管理下だから情報操作はまかしてくれ」
猫神はてきぱきと指示を出して、船で帰るものの記憶を改ざんしていく。
最後に日月たちが船に乗り込む。まだ阿弖流為の姿のままの陽翔は健太が担ぎ、幻術で周囲の目から隠した。
「これで良しじゃ。もうお前たちはこの島に来るな」
そう言って船から降りようとする猫神の首根っこを、日月が掴んだ。
「まだ話は終わっていないわ。あなたに指示を出した上位神の名前を聞くまでは、付き合ってもらうわよ」
「にゃんだと! わしは島の守り神だぞ」
「もう記憶の改変は済んだでしょう? この島は霊的にも安定してる。少しの間あなたが離れても問題ないはずよ」
日月は猫神を船内に引きずり込むと、「出航して」と一言告げた。
連絡船は猫神を乗せたまま、静かに田代島を後にしていく。岸辺で一部始終を見守っていたカラスも、黒い翼を広げて島を離れた。
*
船が石巻の港に近づく。
船の上で猫神とキョウコが人体パズルに取り組んでくれたおかげで健太の内臓はきれいに体に収まっていた。
船の汽笛が港への到着を告げる。
波止場にはいつもと同じキャメル色のスーツを着た加茂 誓詞の姿があった。
「日月ちゃんお疲れ様」
「なんで誓詞さんがここにいるんですか?」
「僕らの仕事は情報収集だよ、君たちが猫島で何かやらかしたことくらいお見通しだよ」誓詞の後ろの電線にとまったカラスが「カー」と鳴く。
続けて、誓詞はキョウコを見る。「それに――彼女をこのまま帰すわけにはいかないだろう」
誓詞が目配せすると、風のように現れた男たちがキョウコの額に札を貼り付け、気を失った彼女を抱えて姿を消した。
「キョウコさん……」
日月は消えゆく友の姿に手を伸ばしたが、そこにはもう誰もいない。彼女は八咫烏の処理を受け、今日の記憶は完全に消されることになる。一緒に島を巡った思い出さえも――。日月は伸ばしかけた手を下ろし、暗い表情を浮かべた。
「せっかくの撮影会だったみたいだけど、今回のことはちょっと見逃せない。わかるよね」
誓詞が優しく語り掛ける。田代島に化け猫が出たなど表の世界に発表するわけにはいかない。
「はい、わかります……」
日月は大きく肩を落とした。足元では、事の張本人である猫神が気まずそうに俯いている。
「大丈夫、彼女は僕たちがきちんと送り届けるよ。それより君たちは彼の心配をした方がいいんじゃないかな」
健太に担がれて船から降ろされた陽翔の体には、依然として阿弖流為の意識が宿ったままだった。拘束された体で誓詞を睨み続けている。
「僕がパトカーで送ろう。除霊なら彼のアパートより、日月ちゃんのマンションの方が適しているだろう」
「はい、お願いします」
日月と猫神、そして健太に担がれた陽翔は、誓詞の運転するパトカーに乗り込んだ。車は泉中央にある日月のマンションへと、静かに走り出した。
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