第5話 兄の微笑み

 



 目を覚ますと、そこは見慣れたくれないの里にある自室だった。

 (……え?)

 キョロキョロと辺りを見回す。慌てて自分の手を見た。


 人間の手だ。


 鏡の前に立つと、短い黒髪にくれないの民らしくない金色の瞳をした人の姿。なんだか長らく見ていなかったような気がする自分の顔が映っていた。

 (……今までの事は……夢?)

 コンコン、と音がして振り返ると、扉に体を預けて六つ上の兄が立っていた。

「にいさ……」

「やっと起きたのか。……仕方ないなぁ、イルは」

 半ば呆れて、でも瞳の奥には優しさが詰まっている。イルは熱いものが喉を込み上げてきて動けなくなってしまった。

「? ……どうした? 何かあったのか?」

 イルは胸が一杯になった。里を飛び出す直前、時間が許してはくれなかったからお別れも出来なかったけれど、父の傍に兄が倒れていたことには気がついていた。顔は見られなかったけれど、倒れた背には刀傷が。もう息をしていないことは明白だった。

 兄が心配して近づいてくる。イルは目をゴシゴシと擦って頭を左右に振ると、必死に笑顔を作って答えた。

「うううん! 何でもない! 目にゴミが入っただけだよ!」

 えいっと兄の胸に飛び込む。


 父は何を考えているのかイマイチ解らなかったが、血が半分しか繋がっていない異母兄妹のイルにも兄は幼い頃からいつでも優しかった。

 イルが一人にならないように気を使ってくれていたし、イルが村の子ども達に口さがないことを言われた時は飛んできて庇ってくれた。

 燃える里で父は紅の民はもうと言った。その言葉の示すことは……。

 

 けれど、今目の前にはいつもと変わらぬ兄がいる。ぎゅうっと抱きつくと大好きな兄の匂いがした。

「……ちょっと怖い夢を見ちゃって……でも大丈夫!」

 そう言って兄の顔を見上げると、兄はふんわりと笑った。イルの頭を優しく撫でる。

「イル、……お……が……ても、……きて――」

「え?」

 急に聞き取りづらくなった声に問い返す。兄はそれには答えずただ微笑んで――唐突に、兄の肩口からひょっこりとガヴィが顔を出した。

「怖い夢って……どんな夢だよ?」

「……どんなって……ガヴィ、なんでここにいるの?」

 口にして、全てを悟った。



 ――ああ、、かぁ……――



 目を開けると、テラスから差し込んだ光が優しくイルを照らしていた。目の前には、黒い毛並みの狼の足。

 ゆっくり顔を上げると、ダイニングのテーブルでお茶を飲んでいるガヴィと目が合った。

「お。起きたかよ。よく眠れたか?」

 朝の光がガヴィの赤毛に当たって綺麗だ。


 兄とガヴィは全然似ていない。兄はガヴィみたいに人を食ったような笑い方はしないし、木漏れ日みたいに優しく笑う人だった。


 でも、どうしてだろう。

 おひさまみたいな、あったかい笑顔は一緒だ。


 胸がぎゅうっと痛くなる。イルは下を向いて首を振った。

 目から熱いなにかがこぼれそうだったから。


「なんだ? 具合でも悪いのか?」

 いつもふざけているのに、思いのほか心配そうに覗き込むから、イルは立ち上がると照れ隠しにガヴィの顔をパシッと尻尾で軽く叩く。

「ってぇ! ……お前なあ……」

 人が折角よお……と二、三文句を言ったが、肩をすくめて嘆息するとそれ以上は追及してはこなかった。

「……ところでよ、今日俺は城に登城するがお前も行くか?」

 ガヴィの言葉に耳がピンと立つ。イルはガヴィに向き直ってじっと彼の顔を見つめた。

「もちろん、そのままじゃいけねえぞ。とりあえずはコレを付けてもらう」

 取り出したのは朱色しゅいろの首輪と鎖だ。

「野生よろしくそのまま王都を歩きゃ大騒ぎだろうし、俺の飼い犬ぜんとして来るなら王子に会わせてやる。どうだ?」

 飼い犬……の下りにイルは嫌な顔をしたが、王子には会いたい。

 ガヴィはいつも断りようのない二択を持ってくるからたちが悪いと思う。

 素直にウンというのも酌に触るが、ガヴィに連れて行ってもらわないと王子には永遠に会えやしないので、肯定の意味を込めて床を二度尻尾で叩いた。ガヴィにはそれでと伝わったのか、いつものように不敵な顔で笑った。


 そんなやり取りをしている間に、レンがティーカップを片付けにやってきて(ガヴィは朝食を食べていたらしい)イルが目が覚めたことに気づくとおはようございますと挨拶をしてくれた。イルにも温かいミルクを入れてくれる。レンはガヴィが用意した首輪を見ると素朴な疑問を口にした。

「ところでガヴィ様、首輪はその色でよろしかったのですか?」

「あ?」

 なんでだよ? とレンを見る。

「いえ、特に深い意味はないのですが……」

 モゴモゴと珍しく歯切れ悪くレンが答える。

「だってコイツ真っ黒だし、あかえんだろ? 鎖はもうしてるしよ。めすだから丁度いいだろ」

 ガヴィははっきりと答えた。

 (――え?! なんで?!)

「そ、そうなのですか? どうしてそんなことがおわかりに?」

 イルもレンもびっくりしているのを尻目に、ガヴィは事も無げに答えた。

「あん? だってコイツ、洗った時についてなかっ――」

 イルはガヴィの足に思い切り噛み付いた。


 屋敷にはガヴィの叫び声が響いたが、優秀で思慮深い執事は主人を助けなかった……らしい。

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