第23話 優秀なぬいぐるみ

 バイトから社員に昇格するパターンって本当にあるんだなぁと、30手前になった私はボンヤリと思う。

 30手前というのが、28なのか29なのかはご想像にお任せします。


 若い頃には分からなかった年齢を言いたがらない女に水野ちなみもなったわけだ。


「ちなみ。今日は帰り何時くらいになりそう?」


「んー。たぶん、10時過ぎくらいかな」


「わかったー」


 しかし、喋るぬいぐるみと暮らしているという、メルヘンな状況は変わらない。


 それどころか、朝食にクロワッサンとスクランブルエッグとサラダという理想の朝食を作ってくれるまでに進化している。


 小さな身体で、椅子の上に乗って料理している姿は可愛さの完成形いっても過言ではないのだろうか。


 綺麗に盛り付けたお皿を運んできてくれるのも、可愛くて堪らない。


「はい。ゆっくり食べてね。最近はお米が高くなっちゃったからパンが続いててごめんね」


「とんでもない! パン好きだから嬉しいよ」


 大概がローテンションで始まる朝も、こうしてコウくんと喋ると元気をもらえる。


「あ。そうだ。今日はお兄さんに担当として挨拶する日だよね? 手土産のお菓子、玄関のところに置いてあるから忘れないでね」


「はーい」


 そう。

 今日から私はお兄さんの、桐島ソラ先生の担当編集になるのだ。


 稲垣さんが編集長になり、組織の長としての仕事が爆大に増えたから、桐山ソラ先生の担当を外れることになった。

 その後を継ぐように選ばれたのが、私だ。


「水野さんだったら、私とは違うアプローチで先生を支えてくれるだろう。きっと大丈夫だよ」


 稲垣さんはそう言ってくれたけど、彼と同様クオリティの仕事ができるのか不安だった。

 でも、やる前からネガティヴなことを言っていても仕方がないということは、もう分かっている。

 少しずつ、自分なりのやり方を見つけていけば良いのだ。


「うん。お。これ、お兄さんの好きな和菓子だ。きっと喜ぶよ」


「うん。ネットで買った」


 本当に優秀なぬいぐるみだ。

 私も、負けてられない。

\



「新しく桐山先生の担当をさせて頂く、水野ちなみです」


「よろしくお願いします」


 頭を下げ合う。


「……フフ」


「ふふ」


 お互いに、自然と笑ってしまう。

「なんか、今更かしこまるの変ですね」


「うん。でも、こういうけじめ? みたいなのをつけるのも大切だって稲垣さんが言ってたからねぇ」


 お兄さんの口から稲垣さんの名前が出て、少し緊張する。


(嫌われてるから)


 そう言っていた上司の顔を思い出す。


「あの人。学校の先生みたいで怖かったけど、色々なことを教えてくれたからさ。覚えているヤツは、できるだけ実践していきたいんだよ」


「……はい」


 なんだ。


 稲垣さん。

 貴方が思うほど、嫌われてなかったみたいですよ。


「さて。早速仕事の話をしましょうか」


「お。雑談もそこそこに仕事とは。ちなみさんも編集らしくなったね」


「もう。からかわないで下さいよー」

\



 この数年後、私はお兄さんとお付き合いすることになる。


 小説家と編集が。


 はしたないと思う人もいると思うけど、周囲は反対しなかった。


 ある日、お兄さんの方から告白してくれたのだ。

 私は、ほとんどパニックになりながらも「私なんかでよろしければ!」と応えた。


 あんずさんに至っては、「逆に、今まで付き合ってなかったの!?」と驚いていたくらいだ。


 そして、誰よりも祝ってほしいコウくんのといえば。


 喋らない、普通のぬいぐるみになっていた。

 

 その事実を、私は割と冷静に受け入れていた。


 こうなる直前、コウくんはこの可能性を説明してくれていたから。

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