三話

 冬季休業も半ばの頃、正年まさとしは父、正一郎しょういちろうの書斎に呼び出された。ネオクラシズム様式の椅子に腰かけた父はどこか険しい表情であった。机を挟んで向かい側に立つ正年は父の様子を訝しみながらも、父が口を開くのを待っていた。

「……及川おいがわさんところのお嬢様と仲が良いと、伊藤いとうさんから聞いた」

 正年は一瞬、なんのことを言われているのか分からなかった。何も答えられずにいると父はいくらか安堵した表情を見せた。

「正年。念の為に言っておくが、女遊びだけはするなよ」

 正年は父の発言に驚きながらも大人しく返答した。

「はい」

 しかし、父の反応は意外なものだった。一瞬、驚いた表情を見せたかと思えば、苦笑して、深く息を吐いたのだ。

「そうか……」

 父は苦笑したまま、どこか呆れたような表情を浮かべていた。

「正年。危うく外堀を埋められるところだったぞ」

 正年は父の言葉の意味をすぐには理解出来なかった。呆然としていると父は机の上を指で叩きながら言った。

「及川家は老夫婦と孫しかいないが、申し分ない家柄だ。あちらとしてはお嬢様とお前を婚約させたいのだろう。双方にとっても悪い話ではない」

 そう言って笑む父に正年は自分の立場を自覚させられた。同級生の中には婚約が決まっている者がいる。それでも自分にはまだ遠い話だと思っていたのだ。

 いずれ婚約が決まるとしても、その相手が雪代ではないことだけは確かだ。

 なら、とあの少女を思い浮かべてしまった自分に嫌悪感を抱きながらも、正年は父を見て、息を呑んだ。父の笑みが肯定ではないことに気付いたからだ。

 まるで無駄だと一蹴するような、冷めた笑みだった。冷めた笑みを浮かべたまま、父は口を開いた。

「……お前には、いずれ、村山むらやま家との結婚がある」

 村山家の結婚、と聞いて正年は血の気が引いた。娶った妻を雪代の代わりとする惨いことを、雪代の姉妹にはさせられない。

「……結婚、ですか?」

 気持ちを押し殺すように問いかけると、父は静かに頷いた。

「あちらとしても、お前なら申し分ないと言っている。だからこそ、噂は出来れば避けたい。……ただ、この結婚、お前には申し訳ないことをするかもしれん」

 この時、父の言い方に正年は希望を抱いたのだ。抱いてしまった。

 当然だ。雪代は同性で、本来ならば諦めるつもりでいた叶わぬ恋だ。それがどのような形にせよ、叶うかもしれないと分かった時の歓喜は言いようもなかった。

「雪代様との結婚になるかもしれん」

 その時の息子の顔を父は見抜いたのだろう。驚きに満ちた目を向けて、次に穏やかに微笑んだ。

「……親子して、惚れたか」

 父の惚れたと、自分の惚れたは違うことを父は知っている筈だった。それでも父は何も言わずに頷いた。

「正年。なら、分かるだろう?」

 これ以上は及川家のお嬢様と仲良くなるな。無言の警告を受け入れて正年は深々と頭を下げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る