第26話 カミングアウト・ザ・両親
両親にカミングアウトする決意ができた僕は、慎重に日程を選んで竜を僕の自宅に招待する日を決めた。とはいっても、いくら決意したとはいえ、僕の両親はいたって普通の中年男女だ。恋愛も、最近はオープンになってきているとはいえ男女でするのが普通だと思っているし、男性同士の恋愛なんて、きっと雲の上の存在だと思っているに違いない。
だから、あの東京タワーでの決意から、二週間ほどが経ってからようやく自分の中でカミングアウトする決心がついて、竜と僕と両親の予定を確認しながら、決行日を決めた。
紅葉の美しい季節になっていた。僕の家の周囲には、住宅街で紅葉なんてないけれど、よくランチをしている営業所の前にある小さな公園には、紅葉が赤く色づいている。
僕はいつものように、自作のお弁当を頬張りながら、昼休みの公園で一人、紅葉に見とれていたけれど、今日は紅葉に集中して見とれることができないでいた。
なんたって、今日の夕食はカミングアウトする予定の入った会食の日なのだから。頭の中は、今日の夕食のことでいっぱいで、どういう風に切り出そうかと、そのことばかりを考えてしまう。
竜は「普通に言えばいいんじゃないか」って、まるで何てことないように言うけれど、僕としては大ごとだ。明らかに、普通に言えるようなことじゃない。
だからって、どういう風になんて言えばいいのだろうかと考えるけれど、結局は、竜の言うとおりに「普通に言う」ことが一番なんだってことに気が付いたら、何だか悔しい気がしてきていた。
これ以上考えても仕方がないと思い立って、僕は午後の仕事に集中して、夕食の時刻になるのを待つことにした。もちろん手料理なんて作る気力はないから、食事の準備は両親に任せることにした。
竜は仕事が終わったら、一度自宅に帰ってシャワーを浴びて着替えてから来ると言っていた。明日は火曜日で仕事が休みだ。もし、カミングアウトしたことによって、心が傷つくような事態になったとしても、二連休あるから何とか修復できるだろう。
約束の時刻である七時五分前に、玄関のチャイムが鳴った。きっと竜が来たのだろうと思い、テーブルに着席してそわそわしながら待っている両親に合図して、僕は玄関に向かう。
テーブルには両親が用意したピザやら寿司やらの、いかにも会食というような出来合いの豪華な食べ物と、車で来る竜に配慮したであろうノンアルコールビールの缶が何本か置かれている。
「よう。お邪魔するぜ」
竜は玄関を開けた僕を見て言う。いつもはカジュアルな服装なのに、きちんとシャツとパンツを履いている。すらりと伸びた手足に、思わず見とれてしまう。
「いらっしゃい。上がって」
竜がダイニングに入ってかしこまって両親に挨拶すると、母は今までに見たこともないようなうっとりとした表情を浮かべて竜を見た。さすがに僕と親子なだけあって、好みが似ているのだろう。父はつまらなそうな顔をしていたが、竜が微笑んで差し出した菓子折りを受け取ると、嬉しそうに笑った。
僕と竜はダイニングの椅子に並んで座った。僕は母と合い向かいに、竜は僕の父と合い向かになるように座った。それぞれが微妙にはにかみながらそれぞれの手前に置かれたノンアルコールビールの缶に手を伸ばし、ぎこちなく乾杯した。缶と缶の鳴る音が、情けなく部屋中に響いた。ノンアルビールを飲み込む四人の喉を鳴らす音が、部屋中に響く。
「それにしても、こんなにも格好の良い同僚のお友達がいるなんて、連ったら、隅に置けないわねえ」
母が気まずさを打ち消すかのように話しだした。
「お褒めいただき、ありがとうございます。いや、お母さまもお綺麗ですね」
竜はよそゆきの笑顔を作って答えている。母は大げさに笑い声を立てて、嬉しそうにしている。父はむすっとしたままノンアルビールを飲んでいた。母の笑い声が収まった頃、父はおもむろにビール缶をテーブルの上に置いた。
「それで、話っていうのは何なんだ?」
睨むような視線を僕と竜に注ぐ。薄くなりかけた頭髪と、僕とは似ていないがっちりした体型が、威圧感を与えてくる。
「父さんたら、まだいいじゃない。まずは食事しながら世間話でもして、それから本題に入ればいいんだから。そんなに慌てなくたって」
母は微笑みながら言う。
「おれはそんなにヒマじゃねえんだ。とにかく結論から先に言ってもらわないと。おちおち落ち着いてメシなんか食ってらんねえ」
「すいませんね。この人、せっかちで」
母は少し慌てたように言う。
「わかりました、お父様。話というのは実はですね・・・」
竜が打ち明けようとした時に、僕の心臓は槍で貫かれそうなくらいに痛くなって、その後にドクドクとすごい速さで鳴りだした。逃げたい。できればこの場所から今すぐにでも。でも、逃げてしまったら竜との明るい未来を逃がしてしまう。
「待って、竜。僕から言うから」
僕は決意をこめて竜に言った。竜は「わかった」と言うと、小さく頷いた。
「今から言うこと、信じられないかもしれないけど本当のことで、できれば冷静になって聞いてほしいのだけれど・・・」
「何だ、早く言いなさい」
鼓動が跳ねる心臓を右手で抑えつつ、一呼吸置いてから、僕は話す決意をする。
「あのね、僕、実は恋愛対象が男の人なんだ。それで、今は竜と付き合ってて、近いうちにこの家を出て、竜と一緒に住みたいと思ってるんだ」
まるで時が止まったかのように、リビングに静寂が訪れた。
何十秒くらい経っただろうか。
母が口を開いた。
「そうなの。連。良かったじゃない。おめでとう。こんなに格好いい彼氏がいるなんて、母さん羨ましいわ」
「母さん、驚かないの?」
あまりに素直に事を受け入れる母に、僕自身が驚いてしまった。
「驚かないわよ。もしかしたらそうなんだろうな、ってずっとそう思ってたから。でも、デリケートな問題だから、あえて母さん達から話題に出さなかったのよ。何かの転機の時に、連から打ち明けられれば受け入れるし、何も言われなければずっと見守るつもりでいたんだから。でも、嬉しい。連にもパートナーができて。あなたってずっと孤独だったじゃない。お友達にも恵まれなかったし。だから、母さん、嬉しくて・・・。あら、ヤダ。涙が出てきちゃったじゃない・・・。ごめんなさいね」
母の目尻から、大粒の涙が四粒ほど左右交互に流れる。僕はよくそんなに器用に泣けるものだなあ、と感心した後に、泣き上戸なのは遺伝なんだなって妙に納得してしまった。
竜はハンカチを母に差し出して、母はそれを受け取ってゆっくりと涙を拭った。
「お母さま、お父さま。安心してください。私が必ず連君を幸せにしますから」
「何を偉そうなことを言って。お前たちは普通のカップルでも夫婦でもないんだぞ。この先色んなことが待ち受けてるだろうが。それでも桐藤さんとやらは、本当に連と一緒に乗り越えてゆけるのか?」
「もちろんです!」
竜は自信満々に言う。
「実は私、連君と知り合うまでは、ずっと女性が好きでした。まさか自分が男に恋をして、まして同棲したいほどに好きになるとは思いもしませんでした。けれど、連君に対する思いは、今までの女性に対する気持ちとは全然違ってて。何ていうか、本当に心からずっと一緒にいたくて一生一緒に生きてゆきたいと思えた相手なんです」
「連のどこがそんなに好きなんだ?」
父は全くもって理解できないという表情をして聞く。
「料理上手なところと、泣き上戸なところですかね。連の涙の味は一級品です。私は連の涙を一口、味わった後で、連とはずっと一緒にいて守ってやりたいと確信しました。あとは、顔ですね。思い切り私のタイプでした」
僕の顔が竜の好みだったことは初耳だった。僕は思わず自分の頬に両手を添えた。顔が熱く火照ってくるのを感じる。竜の発言に、母は嬉しそうに何度も頷いていたけれど、父は眉間に皺を寄せて何かを考え込んでいるかのような表情をしている。
「とにかく、連に対する桐藤君の気持ちはわかった。おれからは反対する気もないし、正直孤独な連を救ってくれて感謝しているくらいだ。連がここを出るとなると、夕食は母さんが準備することになる。正直に言って、母さんのメシは不味い。だからおれとしては、連がいなくなって困るのは、不味い夕食を食わなきゃいけなくなることなんだが、まあ、仕方あるまい」
「ヤダ、お父さんったら、失礼ねえ。そんなに不味いなら、お惣菜かお弁当を買ってくるわよ。だいたい、お父さんが作ったっていいのよ。あたしだって働いているんだから。今どきは男の人だって、料理くらいするのが普通よ。隣の今井さん宅だって、旦那さんが週末は夕食作ってくれるって言ってたわ」
「普通ってなんだ? おれの辞書に、料理なんて言葉はないぞ」
両親の間に、険悪なムードが漂いはじめたので、僕と竜は必死に二人をなだめた。話し合いの結果、夕食は母の手料理と出来合いの物を買ってくることを半々にするという結論で幕を閉じた。
僕と竜と両親は、お互いに仕事のことや、趣味のこと。それから竜の家庭環境のことなんかを話しながら、ノンアルビールを飲んでピザや寿司やらサラダをつまんだ。ビールはノンアルなのに、まるで少しお酒が入ったかのように、明るくて楽しい雰囲気の会食になった。
思いがけずあっさりと、僕の性癖も竜との同棲も認めてくれた両親に感謝した。
両親は、竜が天涯孤独であることに同情した。そして
「いつでも遊びに来ていい。ここが本当の実家だと思ってくれていい」
と言ってくれた。
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