第5話 思いがけない再会

「おい、大丈夫か? おい、早乙女、早乙女~~!」


 遠のいていた意識が、だんだんと現実に近づいてくるのを感じる。聞き覚えのある、耳に心地良い低音の声が届く。


 僕はゆっくりと瞳を開ける。なんと、目の前に桐藤さんの顔がドアップで映し出される。


「良かった。気が付いたか」

 桐藤さんは安心したように言うと、僕から離れた。

「えっと、あれ、ここ、営業所? なんで僕、ここに?」

 気が付くと、僕は営業所の応接室のソファに横になっていた。 

「なんでって、昼休みが始まってすぐ、突然すげえ物音がしたから振り向いたら、早乙女が床に倒れてたから驚いたぜ]

そうか、僕は倒れていたんだ。ゆっくりと戻ってくる意識と共に、僕は体を起こしてソファから起き上がろうと努力する。

 が、全く力が入らない。腹筋運動の途中で力尽きた人みたいに、「あ~」とため息をついて、再びソファに横になってしまった。

「だ、大丈夫か? 早乙女」

「はい、大丈夫です」

 頑張って両目を開けてよく見ると、社長とサイさんが桐藤さんの後方から、心配そうに僕を見ている。僕は口が乾いてよく声が出せないけれど、何とか返事をしようと努力する。

「声がかすれてるじゃない。今、すぽーつどりんくを持ってきてあげる」

 サイさんは一瞬、僕の視界から消え去ると、手にスポーツドリンクのペットボトルを手にして再び現れた。

「さ、これをお飲み」

「あ、ありがとうございます」

 僕は何とか体を起こして、サイさんの皺だらけの手からペットボトル受け取ると、ごくごくと飲んだ。美味い。こんなに美味いスポドリを飲むのは生まれて初めてかもしれない。飲み込むたびに、水分とミネラルが体に染み込んでゆくのがわかる。僕は一気に五百ミリリットルのスポドリを飲み干した。これで何とか、僕はしゃべることができそうだ。

「ああ、美味しかったです。ごちそうさまでした」

「良かった。意識が戻って。このままだったらどうしようかと思っていたところだったんだ」

 桐藤さんは心底安心したような顔をして僕を見、そして飲み干した僕のペットボトルを優しく取り上げる。そんなことされたりしたら、僕にまだチャンスがあるんじゃなかって、勘違いしてしまう。いいや、そんなことがあるはずない。桐藤さんは一同僚として、僕を心配してくれているからで、決して個人的な好意からくるもんじゃない。そんなことを考えていると、ようやく意識がはっきりとしてきた。そうなると、僕はある矛盾点に気が付いた。

「あれ、僕、さっきまで確か家で夕食を作り終えて、それで食欲がないから家のベッドでうとうとしてたんだけどな」

 僕の発言に、三人はそろって不思議そうな顔をして僕を見る。しばらく沈黙が続いた後で、社長が口を開いた。

「早乙女君、疲れていたんじゃろう。今日はもう帰ってええぞ。そうじゃ、桐藤君が送ってやれ。午後は確か、三時までは空いてるんじゃろう?」

「わかりました。早乙女、立てるか?」

「はい、立てます」

 ソファから立ち上がろうとすると、桐藤さんが跪いて右手を差し伸べる。僕はそのしぐさにいちいちドキドキしてしまって、違った意味で余計に具合が悪くなりそうだった。そして、どさくさに紛れてその手に触れて、立ち上がる。桐藤さんの真っ黒な釣り目が効いた眼差しと、右手のぬくもりにくらくらしながら僕は答えた。

「ありがとうございます。桐藤さん」

「良かった。立てたか。用意できたらすぐ送るから、声掛けてくれ」

「わかりました。本当に、すいません。仕事にも穴を開けてしまって」

「なに、いいんじゃよ。わしはのんびりと経営してきたいんじゃから。それに、健康第一じゃからな。明日も無理そうなら早めに連絡せい。何とかするから」

「ありがとうございます」

 僕はこの会社の人たちの優しさに涙が出そうになるのをこらえつつ、帰り支度を始めた。


 桐藤さんの車はシルバーの軽ワンボックスカーだった。わりと庶民的な車に乗っていることに、僕はますます好感を持った。桐藤さんの助手席に座れるだけでも嬉しくて仕方がないのに、僕が衰弱して倒れたというやむを得ない理由だとしても、社内で二人きりになれる空間を共にできることは嬉しかった。

「大丈夫か? 早乙女」

 運転中も僕を気遣って声を掛けてくれる。

「はい。おかげさまでだいぶ調子戻りました」

「なんか、さっきの話だとメシの支度してたとこから記憶がないみたいな感じだけど、本当に大丈夫なのか?」

 桐藤さんの鋭いツッコミに、僕は内心焦った。だって本当に記憶にないのだから。

「こうして普通に動けてますし、まあ、大丈夫ですよ」

「そっか。なら良いんだけど。そういえば心なしか痩せたような感じもしたからさ。ちゃんとメシ食ってんのか?」

 そういえば、最近の食事はいつしたのだろう。全くもって思い出せない。桐藤さんがノーマルな性的思考の持ち主だと確信したことと、とても大事にしている彼女がいることがわかったあの日から、おそらくまともに食事らしい食事をしていないし、その後の記憶がないけれど、無意識に日常生活を送っていたのだろう。そして、あの日の夕食準備の後、僕の思考はおそらく考えることを止めて、なぜか過去にタイムスリップして現実逃避してしまったらしい。

「メシ、ですか? いや、あんまり、その・・・」

 僕は嘘がつけない性格で、ついしどろもどろになってしまう。

「やっぱり、ちゃんと食ってないんだろう。なんか最近の早乙女、フラフラしながら仕事してたもんな。社長もサイさんも心配してたんだぜ。正直、俺も心配で見てられなかったよ」

「そうでしたか? すいませんご心配おかけして。でも、もう大丈夫ですから」

「あんまり大丈夫そうには見えないけどな」

 桐藤さんは運転しながらちらりと僕を見て言った。

「俺さ、早乙女のこと同僚として大事に思ってるんだぜ。だって俺たちがいなくなったら年のいった二人しかいなくなっちまうだろ。それに俺、あの会社気に入ってるからさ。なるべく長く働きないと思ってるんだ。だって、あんな気楽な会社、なかなかないと思うぜ」

「はい。僕もそう思います。僕、あんまり堅苦しいのって苦手で。だから僕もあの営業所の雰囲気が好きで、ずっと働いてゆきたいな、と思ってるんです」

「そっか。早乙女も俺と同じ気持ちなんだな」

 その言い方に、まるで告白した返事のように聞こえて思わずドキリとしてしまった。

 そんな話をしていたら、家の前まであっけなく着いてしまった。僕は桐藤さんに家の前に路駐してもらうように誘導した。

「今日は本当にどうもありがとうございました」

僕は丁重にお礼を言った。

「ああ、いいよ。それより、連絡先交換しとこうぜ」

「え、良いんですか? 僕なんかに個人の連絡先知らせちゃって」

 僕たちはお互いの社用携帯番号は知っていたけれど、個人携帯の連絡先は知らないままだった。

「ああ。何言ってんだ。良いに決まってるだろ。今度、ラーメンでも食いにいこうぜ。早乙女がメシ食ってないと心配になっちまうからさ」

「ありがとうございます! 是非行きましょう」

 僕と桐藤さんはお互いのスマホを出して連絡先を交換した。その後、桐藤さんは仕事に戻らなくてはならないので、僕を家の前におろしたらすぐに車を出発させた。僕は軽く一礼して桐藤さんを見送った。シルバーのワンボックスカーが細い住宅地から消えてゆくのを、僕は寂しい気持ちになりながら見送った。

 僕は家に入ると、冷蔵庫からいちごミルクのパックを取り出して半分ほど飲んだ。桐藤さんと二人きりで、しかも連絡先まで交換できて、食事の約束もしてしまったことで、僕はすっかり脳みそが興奮してしまっていた。スーツを脱いでひとまずシャワーを浴びた。外出から帰った後のシャワーは気持ちが切り替わる感じがして好きだ。シャワーを浴びただけでいつもより疲れを感じたから休むことにしたけれど、空腹を感じたので何か食べることにした。

 ダイニングテーブルの上に菓子パンがいくつか乗っかっていたので、僕はあんぱんを一つ齧り、さっきの残りのいちごミルクで流し込んだ。少し空腹が収まったので、僕は二階の自分のベッドで横になって眠ることにした。


 まずい、夕食の買い出しに行かなくてはと、ベッド上に置いてある目覚まし時計を見ると、まだ三時だった。一時間と少しくらい眠っただけだけれど、だいぶ頭も体もスッキリとしていた。階下のリビングダイニングに降りてテレビを点けると、ワイドショーの明るい声が耳に入る。ぼんやりとそれを見つめながら、牛乳とテーブルに置かれたクリームパンを食べる。お腹は満たされてきたけれど、菓子パンなんかじゃなくて、まともな食事がしたくなった。

 夕食の買い出しも兼ねて、僕はスーパーに買い出しに行くことにした。パジャマから着替えて白いシャツにピンクのネクタイを締めて、ベージュのパンツを履く。それに革製の小ぶりのリュックに財布と携帯、それにショッピングバッグを詰めて背中にしょえば、外出着の完成だ。僕の私服は一年中、だいたいいつもこんな感じだ。この服装が着ていて一番自分に合っていて、リラックスできる。

 今日は仕事の帰りではなくて、自宅から直接買い出しに行くことになるから、家から歩いて十分ほどで行ける、ミドリスーパーに行くことにした。ミドリスーパーはこじんまりしたスーパーで、本格的に買い出しをしたいと思ったら、品ぞろえが微妙だから物足りないけれど、病み上がりの僕のちょっとした買い出し程度なら、ミドリスーパーくらいがちょうどいい。

 それに、会社から逆方向にあるから、会社の人間に会う確率も低い。僕はなるべく、プライベートでは桐藤さんのことを除いて、会社のことを忘れたいと思っている。

 てくてくといつもよりもスローペースで歩いて、いつもは十分で着くであろう道のりを、おそらく十五分くらいかけて、やっとミドリスーパーに着いた。昔ながらの商店街の一角にある黄緑色をした外壁の建物で屋根に近い場所に「ミドリスーパー」と書かれた看板が乗っかっている。ミドリスーパー周囲の商店は、店主の高齢化と大型店舗にお客さんが流れていってしまったようで、ほとんど閉店していて古めかしい建物だけが残っている。

 僕は買い物客がちらほらといる店内に、ゆっくりと入ってゆく。夕方でもあまり混雑しないところが、ミドリスーパーの良いところだ。

 今日の夕食は何にしようかと考えながら店内を散策する。

 ミドリスーパーのロゴ入り緑色の買い物かごを持って、野菜コーナーから順に回ることにする。久しぶりに野菜とお肉を使った料理が作りたいし、カレーが食べたい気もする。よく考えたら、カレーは野菜もお肉も使うな、と思いたって今日の夕食はカレーにすることにした。でもそうすると、翌日のお弁当のおかずはどうしようかと考える。カレー弁当にしてしまうという手もあるけれど、ルーが弁当箱から出てしまいそうで、鞄を汚してしまいそうで怖い。それに、匂いが染み付いてしまう可能性だってある。ルーが固くなるように作ればいけるかと考え、僕はスマホでカレーを固く作る方法を検索する。なるほど、小麦粉、片栗粉のどれかを入れれば固めに作れそうだ。僕は、夕食と明日の弁当のメニューをカレーと決めると、かごの中に人参やら玉ねぎを入れようと野菜コーナーを物色する。

 ビニール袋に詰め込まれた三本入りの人参を右手に持って、高めに掲げて見る。どこかに傷や汚れがないか、大きさはどうかなど、僕はかごに入れる前に野菜を毎回きちんチェックすることにしている。

 掲げた人参袋の奥に、昔よく見慣れた風貌の変わった人が立っていた。人参の橙色と、その人が着ているピンクのスーツがどちらも負けず劣らず鮮やかに僕の瞳に映る。

 「もしかして・・・」

 と、僕はつぶやく。ピンクのスカートスーツを着た人は、じっと僕のほうを見ている。その人の手には、鮭の切り身が二切れ入ったパックが一つ、宙ぶらりんに持たれている。

 ピンク色の服を着ている人は、やっぱり選ぶ食べ物もピンクなのかあ、とぼんやりと考えていると、ピンクスーツのスカートから伸びた太腿が、交互に動き出して、僕の近くまでやって来る。

 近づくと、僕よりもやや大きな身長に、ピンクのスカートからのぞく密集して生えたすね毛。それに、真っ赤な唇にブルーのアイシャドウ。細見の両目と唇が横に伸び、ますます細くなった瞳を輝かせながら、その人は言った。

「レンちゃんじゃない? やだ、久しぶり」

「もしかして、オバチャンさん?」

「そうよ。やだあ、なあに、オバチャンさんって。今まで通りオバチャンでいいわよ」

「やっぱり、オバチャンだったんだ。なんか、久しぶりすぎてつい、さん付けで呼んじゃいました」

「そうね。本当に久しぶりだわね。でも相変わらずレンちゃんは変わってなくて。相変わらず可愛くて、オバチャン安心したわ」

 オバチャンの発言を聞いて、思わず僕は背筋がゾクゾクと凍り付きそうになるのを感じた。それを察してか、オバチャンは言った。

「やだ、安心してちょうだい。オバチャン、男らしい人が好みなのよ。あ、別にレンちゃんが男らしくないっていうか、そういう意味じゃないわよ。オバチャン、自分より背が高くて、筋肉ムキムキの人じゃないと恋愛対象にならないのよ。レンちゃんは思いっきり逆のタイプじゃない? だから安心してちょうだい」

 オバチャンは鮭の切り身の入ったパックをブンブンと上下に振り回しながら大きな声で喋っている。買い物客が、いぶかしげにチラチラと僕とオバチャンの様子を横目で見ては、通り過ぎてゆく。オバチャンは周囲の人なんか全く気にしていない様子で喋り続ける。

「あら、ヤダ! 鮭ちゃんがぐちゃぐちゃになっちゃったじゃない。まあ、いいわ。調理しちゃえばわかんないし、チャーハンにでもしようかしら。オバチャンのせいで汚くなっちゃったんだから、買っていかなきゃ悪いわよね」

 鮭の切り身のことには触れないようにして、僕は話を続けることにした。

「オバチャンも全然変わってないですよ。僕、すぐわかりましたもん」

「あら、本当? オバチャン嬉しいわ。けど、本当何年ぶりかしらね?」

「僕が大学に行ってから見ないな、って思ってたから、おそらく四年ぶりくらいになるかな、と」

「あら、もうそんなに経つのね」

 オバチャンはさっきまでとは真逆の様子で、しんみりとした表情になった。けれど、その表情は一瞬でもとの明るいオバチャンに戻った。

「そういえば、レンちゃんは今何してるの? お勤めかしら?」

「はい。すぐそこの花園不動産ていう会社で四月から事務の仕事してるんです」

「まあ、そうなの。レンちゃんも立派な社会人になって、オバチャン嬉しいわ」

 僕は急に照れ臭くなった。よく考えたら、オバチャンとは幼い頃からの付き合いだったのだ。四年間、一度も会わなかったにせよ、オバチャンにとてもお世話になった。オバチャンがいなかったら、僕は過酷な学生生活を乗り切れなかっただろう。

 オバチャンは僕の買い物かごを見て言った。

「もしかして、レンちゃん宅の今日の夕食はカレーかしら?」

「はい。そうです。よくわかりましたね」

「そりゃ、玉ねぎ人参、じゃがいもに肉ときたらカレーしかないじゃない」

 僕はふと、カレールーを買い忘れたと思い立ったけれど、戸棚に買い置きがいくつかあったことを思い出して安心した。

「ねえ、この後時間あるなら、オバチャン家に来ない? 久しぶりの再会なんだし、オバチャン懐かしくなっちゃって、たくさん話したいことあるのよ。もし遊びに来てくれるなら、オバチャン、スイーツご馳走しちゃうわ。といってもこのスーパーのお饅頭だけどね」

 そう言いながら、オバチャンは小気味良くコロコロと笑う。僕は何となく楽しい気分になって、オバチャンの家にお邪魔することにした。オバチャンは喜んでかごの中に白饅頭を二つとペットボトルのお茶を二つ、それから手にしていた鮭の切り身パックをかごの中に放り込むと、レジに並んだ。僕もつられてレジに並び会計を済ます。

 

 オバチャンと並んで歩いていると、通り過ぎてゆく人々がこちらをあからさまに振り返り、中にはこそこそと耳元で互いに何か囁き合う人たちもいる。その囁きが、決して気分の良い内容のものでないことは、その表情と目線でよくわかる。けれど、当のオバチャンは全く気にしていない様子で、鼻歌なんかを口ずさんでいる。

「オバチャン家、もうすぐだから」

 二十分ほど歩いただろうか。距離にしてはたいしたことないのだろうけれど、僕にはものすごく遠く感じた。

「さ、ここがオバチャンの家よ」

 周囲には歩道しかなく、ぽつんとただ一軒、歩道に囲まれて小さな平屋が建っている。屋根も外壁も、パステルピンクの色をしている。まるでお菓子の家みたいだ、と僕は思った。

「すごい。かわいいですね。なんか、夢みたい」

 僕は現実との境界がわからなくなりそうだった。

「夢じゃないわ。しいて言うならオバチャンの存在そのものが皆の夢みたいなもんよ。さ、入るわよ」

 僕は返事をしてオバチャンの後に続き、玄関扉の中へと入った。

 壁は薄いピンク一色で作られていた。床は白く、まさにメルヘンチックな内装だ。そのメルヘンチックな内装の中、入ってすぐに二人掛けの丸テーブルと、それに会い向かいに座れるような形で置かれている椅子が二脚。丸テーブルには薄紫色のテーブルクロスが垂れるように敷かれていて、その上にはバレーボールのような大きさの水晶玉が置かれている。

「びっくりしたでしょ。オバチャン、実はね、占い師なのよ。ここはお仕事スペースなのよ。この奥はオバチャンの居住スペースになっているからね。お客さんは絶対に侵入させないんだけど、レンちゃんはお友達だから入ってOKよ。じゃあ、いくわよ」

 オバチャンは占いの部屋を突っ切ると、白い扉を横にスライドさせて僕を奥の部屋へと招き入れた。

 そこは先ほどのメルヘンチックな空間とは打って変わって、閑散とした和室だった。八畳程の畳の部屋の中央に、ちゃぶ台に座布団それから小型のテレビが置かれている。壁には大きな掛け軸が飾られており、達筆な流れ字で「自由本望」と書かれていた。

「きれいな字ですね。オバチャンが書かれたんですか?」

「あら、ありがとう。そうよ、アタシが書いたの」

 オバチャンは僕に座布団の上に座るように案内した。僕はお礼を言って、そこに正座をする。和室に案内されたことが思い出せないくらいに久しぶりだったから、どう座っていいかわからず、とりあえず礼儀正しく見える正座をしてみた。

「やだ、別にいいのよ。かしこまらなくたって。足を崩したって全然構わないんだから。アタシは慣れてるからこのままいくけどね」

 オバチャンは正座をしたままスーパーの袋からペットボトルのお茶とお饅頭を取り出して、ちゃぶ台に並べながら言った。

「ありがとうございます」

 僕は胡座の姿勢を取った。この姿勢が一番楽だ。

「それに、敬語じゃなくていいからね。歩いたらちょっと小腹が空いたわね。お饅頭食べましょ」

 確かに、少し空腹を感じた。僕とオバチャンはしばらく沈黙してお饅頭を食べることに夢中になった。

「美味しかったわね。このお饅頭」

 オバチャンの言葉に、僕は頷く。

「今日は来てくれてありがとね。オバチャンこう見えてお友達って少ないのよ。だから、こうして時々遊びに来てくれると嬉しいわ」

「良いんですか? あ、良いの? 僕も友達少なくて、オバチャンと友達になれるなんて嬉しいな」

 敬語じゃなくていい、と言われたのでありがたくタメ口を使わせてもらおうと意識したら、意識しすぎておかしな言い方になってしまった。

「全然いいわよ」

 オバチャンは嬉しそうに微笑む。その流れで、僕とオバチャンは連絡先を交換した。

「オバチャンって占い師なんだね。僕が小学生の時からそうだったの?」

「そうよ。オバチャンはね、高校を卒業したら何か仕事をして生きてゆこうって決めてたのよ。それに、自由を愛していたから、会社に雇われて働くってことがいまいちピンとこなかったの。だから一年ほど東京に下宿をして、先生について占いの勉強をしたの。オバチャン、昔から神秘的なことが大好きだったから、占い師は天職だと思ったの。それにオバチャン昔からこんな感じでピンク大好きでピンクの服ばっかり着てたし、女性らしい服装が好みだったから髪もロングでリボンで縛ったりしてたのよ。そうしたら、誰も近づいてこなくって。だから一人でできる仕事をしようと決めていたの。学校の先生にさえ引かれていたわ。だけどアタシは止めなかった。だって、その恰好をしているアタシが一番好きで心地良かったんだもの。他人からどう見られてどう思われようとそんなこと知ったこっちゃなかったわ。アタシはアタシの気持ちが一番大事だもの。だから、レンちゃんに出会ったとき、アタシはピンときたの。ああ、この子はアタシと同類だわって。だってピンクのランドセルをしていたからね。ああ、アタシはこの子をずっと守っていかないとだわ、って思ったの。だからアタシ、占いでレンちゃんがピンチになると現れるようにして励ましたのよ」

「そうだったんだ。僕オバチャンの存在がすごくありがたいって思ってたんだ」

「そう。なら良かったわ」

「でも、大学に行った途端にオバチャンと会えなくなっちゃって。どうしたんだろうって思ってたんだ」

 オバチャンは急に深刻な顔になって言う。

「実はね、オバチャン脳梗塞で倒れていたのよ」

「え! 大丈夫だったの?」

「大丈夫よ。たまたま来てくれたお客さんが発見してくれて、すぐに救急車を呼んでくれたの。オバチャン、おかげ様で一命を取り留めたわ」

「それは、良かった」

「そうなの。運が良かったとはこのことね。それでね、しばらくはあんまり動けなくて。占いのお仕事は時々要望があったら入れてたんだけど、リハビリなんかもしてたから忙しくてね。でも、リハビリ頑張った甲斐があって後遺症もなく回復できたし、体力も戻ってきたから、また前みたいに近所を散策したりできるようになったの。それで、今日はネットスーパーじゃなくて近所のスーパーに買い出しに行ってみようと思って買い物してたら、まさかのレンちゃんとの再会じゃない。アタシ、もう嬉しくって。何よりレンちゃんが相変わらずピンクのネクタイとそのおしゃれなリュックの指し色にピンクを取り入れてるのを見て、やっぱりアタシと趣味が合うってことを確信してますます嬉しくなっちゃったの。すごく似合ってるわよ。ネクタイもリュックも」

「ありがとうございます。僕、あまり服を持ってなくて、このパターンの服装を毎回着まわしているんだ」

「あらそう。オバチャンもそんなもんよ。ピンクのスーツを数着着まわしているわ。どれもちょっと微妙に色が違うけど」

 僕とオバチャンは益々気が合うことを確信した。

「なんか、オバチャンの話ばっかりで悪いわね。せっかくだから、レンちゃんの話も聞かせてちょうだい」

 急に話を振られて僕は何を話せばいいのか少し悩んだ。オバチャンがこれまでの生い立ちを話してくれたので、僕も自分の生い立ちを話した。

 僕もオバチャンと同様に、他人から一歩引かれて見られていたこと。いじめられていた頃に占いを使って現れて励ましてくれていたから、なんとなくわかっていただろうけれど、かろうじて女子は仲良くしてくれたけれど、男子には時々いじめられたりからかわれたりしていたこと。

 そして、オバチャンになら話せると思って、自分が男の人しか好きになれないことを話した。

 するとオバチャンは

「そんなのオバチャンにとっては当たり前のことよ」

 と言って声高に笑ったので、僕は今まで誰ともできなかった恋バナをできるチャンスだと思い、嬉しくて色々と話してしまった。大学生時代の初めての恋愛。そして思いがけない形でその恋愛が終わったこと。すると、オバチャンも恋バナをしてくれた。オバチャンが東京に出てからバーで出会った数々のマッチョ男性との恋愛。地元に戻ってからもぽつぽつと男性と交際していたようだった。

「オバチャン実はね、今も彼氏いるのよ」

 オバチャンはそう言って、頬を赤らめる。

「いいなあ。どんな人?」

「三つ年上のマッチョな人よ。東京にいるからちょっと遠距離なんだけどね。月一では会うようにしてるわ」

「やっぱり、東京行かないとなかなか出会えないよね」

「そうねえ。オバチャンの場合は自分の趣味もお相手に求めるものも特殊だから、なおさらかもね。レンちゃんはどうなの? 最近の恋愛事情は?」

 僕は桐藤さんに片思いをしていて、この恋が実りそうもないこと、それを最近知って体調不良になったことを話した。

「そっかあ。お相手に彼女さんがいるのね。しかもその彼女さん、相当大事にされてるようね」

 オバチャンは悲しそうな表情を浮かべる。僕は自分のつらい恋を共有できる友達ができたことが嬉しくなった。

「でも、連絡先を交換して、ご飯食べに行く約束もしたんでしょ。ノンケだけど、まだチャンスはあるわよ、きっと。人の性的嗜好って急に変わったりもするもんだもの。オバチャンにはわからなけど、たまにそういう人の話も聞くわ。ノンケと付き合えた人の話も聞いたことあるし」

「え! 本当に?」

「うん。東京に飲みに行って、そういう話、何度も聞いたことあるわ。そんなに好きなら、まだ諦めるのは早いんじゃないかしらね。彼女さんとも今は仲良しでも、この先どうなるかなんてわからないじゃない。だから、まずはお友達として仲良くなってみればいいんじゃないかしら?」

「そうだね。ありがとうオバチャン」

 僕はすっかり気分が前向きになっていた。そういえば、桐藤さんのことはほとんど何も知らないといってもいいかもしれない。知り合ってまだ三か月。この先もっと距離を縮めることができたらいいな。

 

 僕はオバチャン宅の玄関先で帰りの挨拶をしてから、自宅までの道のりを歩いた。

 オバチャンと友達になれたことが今日一番の収穫だった。これからは、僕もようやく友達と遠慮なく恋バナができる。僕はスキップしたくなる気持ちを抑えて、早歩きで自宅に向かう。気分はすっかりと晴れていた。


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