第15話

「あ〜シュティルだ〜」

「はあ……雨、サイアク」


 先ほど名を呼んだばかりのシュティル本人がそこに立っていた。雨除けの外蓑を脱ぎながらいつもの席へと近づいていく。

 その様子はああなる前と変わらないように見える。変わりない様子に、彼との再会を喜ぶ前に私はほっと安心してしまった。


「ず、随分久しぶりね。忙しかったの?」

「うん……稽古、抜け出してることが父さんにバレてずっとしごかれてた……はぁ……ライムミントソーダちょうだい」

「はいはい」


 シュティルの気持ちには応えられないと言った手前、私の方こそいつも通りに振る舞わなければ。

 久しぶりの会話に少しだけ声が裏返ってしまったけれど、今までのように平然とできたはずだ。

 シュティルからの注文に頷いて、私は髪を後ろでひとつに括る。それから保管箱からライムを取り出した。取り出したライムは少し前に仕入れたものなのだけど、まだ傷んでいないようでほっとする。もう何度も傷ませては捨ててしまっていたから。


 保存していた天然水にクインパウダーを混ぜてソーダ水に変え、自家製のミントから抽出したシロップと蜂蜜、それから絞ったライムの果汁を加えてマドラーでくるくると混ぜる。最後にミントの葉を水面に浮かべたら完成だ。


(あ、そうだ……! 昨日作ったマフィン、まだ食べられるわよね)


 ふと思い出して、冷蔵庫の中から余っていたマフィンを取り出す。

 ミルクの代わりにヨーグルトで生地を作ったチョコチップのマフィンだ。ヨーグルトの甘酸っぱさとチョコレートの甘さの塩梅が好きで時々作っている。

 これは冷えていても美味しい。だからきっとシュティルでも食べられるだろう。

 小皿にマフィンを乗せて、ライムミントソーダと共にシュティルの元へと運んだ。


「はい、どうぞ」

「……これは」

「昨日は暇だったから、作ったの」

「……知ってる」


 それはいつも暇だと言いたいのだろうか。その通りだけども。

 シュティルは早速マフィンを手に取ってくれる。型紙を指で摘んでペリペリと捲ってから一口齧った。


「久しぶりのイヴの手料理……美味しい……ウィヒヒ」

「そ、そう。それはよかった」


 変わらず私をそれで呼ぶつもりなのかと、少しドキッとした。あの夜からシュティルが呼び始めた愛称を久しぶりに聞いて、胸の奥が緊張してしまう。

 やっぱり、シュティルはまだ私のことを好きなのだろうか。

 このまま近くにいたらボロが出そうだ。そう思って私は今まで通りにカウンターへと戻ろうとした。

 シュティルがいつも通りのつもりなら、このあとはきっと本を読み始めるだろうと思ったから。

 背を向けると、カサカサと紙が擦れるような音が聞こえてきた。


「イヴ。お願いがあるんだけど……」

「お願いって……何よ」


 カウンターに戻った私はなるべくシュティルの方を見ないようにした。まな板やナイフを片付けながら答える。


「今から、俺が言うことを繰り返して」

「え?」

「いい? いくよ──カナノコハノリ」

「えっ? カナ……?」

「カナノコハノリ」

「えっと……カナノコハノリ」


 これは一体何の時間なのだろう。シュティル自身に気を取られていて考えることをやめていて私は、言われた通り彼が言った言葉を繰り返す。

 それは一言だけではなかったらしく、次々とシュティルは続けていく。

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