第一章 縁談がきた傭兵娘

第1話 女傭兵イングリッド(1)

「まったくツイているなあ、おい。これで四組目だ」


 徐々に近づいてくる獲物の姿を、草むらの影からこっそり覗き見ながら、無精髭の巨漢が静かに嘲笑した。


 手に持った赤錆まみれの大刀。いかにも盗品で組み上げましたと言わんばかりの不揃いな意匠の具足。手で作った庇の下の厳つい面貌は、最後に風呂に入ったのはいつなのか聞きたくなるほど脂ぎっている。まるで、野盗のお頭を思わせる粗暴な出で立ち。


 ……否。


 、彼は野盗のお頭であった。


 従えた手勢は十名を超え、その凶刃が奪った命の数は三桁に迫る。弁解の余地などどこにもない正真正銘の悪党だ。


 そんな彼の今回の標的は、深緑に輝く森の小道を往く一台の馬車だった。


 二頭立てのほろ馬車。鹿毛の駄馬たちがく四輪の荷車には、大きめの木箱が山のように積まれている。行商人と見て間違いない。


 馬車の進行方向もそれを裏付けていた。この小道の先には集落がある。大きな隊商との競合を避けるため、行商人はこういう小さな市場を選びがちだ。


 まあ、仮に商人でなかったとしても、馬と馬車だけでそこそこの金にはなるので、見逃すという選択肢は端から無いのだが。


「おまけに護衛はナシときた。とんだ世間知らず……いや、命知らずがいたもんだ」


 お頭は声をひそめて笑う。その言葉の通り、馬車の御者台には、若い女が一人で座っているだけで、それ以外の人影はどこにも見当たらなかった。荷台にも。馬車の周囲にも。


 街の外は、人の法が届かない危険地帯だ。野盗たちのような無法者は言うに及ばず、人の手に余る凶暴な害獣がいたるところに生息しており、不用意に出歩けば命の保証はない。


 そのため、街の外を長く安全に移動しようと思えば、辺境の地理と生態を熟知した護衛を雇うのが一般的な判断である。売り物を運んでいるならなおのことだ。


 実際、あの馬車に一人でも護衛がついていれば、虫の合唱で賑わっているはずの夏の森の中で、なことに気がついて、御者台の娘に警戒を促していたことだろう。


 さらに腕の立つ護衛であれば、もっと前の段階で野盗の企てを看破し、早々に進路を変更することだってできたかもしれない。


 護衛を雇う目先の金を惜しんだのか。それとも、街の外など大したことがないとたかをくくったのか――いずれにせよ、その選択の責任は当人に降りかかってくる。そう遠くない未来に。必ず。


 進行方向の草陰に野盗が潜んでいることなど露知らず、馬車との距離はどんどん縮まり続け、ついにはゼロになった。


「……ほほう」


 馬車が横切る瞬間。獲物の顔がはっきり見えると、お頭の口元がよこしまほころんだ。


 なかなかの上玉だった。


 御者台で手綱を握っている娘は、見たところ十七、八。どう見積もっても二十歳には届かない。まだまだ小娘と呼んで差し支えない年頃。


 ポニーテールに結わえた亜麻色の髪。長い睫毛に縁取られた、勝ち気そうに輝く空色の双眸。整った鼻筋。肌は磁器のように滑らかで、陽気で汗ばんだ白いうなじが健康的な色気を漂わせている。


 では、肝心の体つきはどうか――と視線を下げるが、娘の首から下は外套ですっぽりと覆われており、ろくに見えなかった。


 森の中には有毒の昆虫も多数生息しているため、夏場であろうと、忌避剤に浸した虫除けの外套を羽織るのは当然の対策だ。とはいえ、なんと無粋な覆いか。なまじ器量がいいだけに、こうももったいぶられると、どんどん期待が高まってしまう。


 通り過ぎていく馬車の背中を見送りながら、お頭は指をくわえた。


 ……まあ、いい。楽しみは最後に取っておこう。


 そう内心でほくそ笑むと、お頭は勢いよく指笛を吹いた。

 ピーッという高く、鋭い音が梢を抜けて響き渡る。すると。


 ――ばつん。


 それが合図だったように、どこかで縄が断たれるような音がした。次いで、森の中からばたばたと数羽の鳥が飛び立っていく。


 進路上に影が差す。馬車の少し先、一本の大きな樹が枝葉を落としながら、道を遮るようにゆっくりと傾いている。倒木だ。


「……っ!」


 御者台の娘が慌てて手綱を引いた。


 ずしんと土煙を上げながら、大樹が転がる。娘の判断が迅速だったため、馬が動じることも、荷台が横転することもなく停車することができた。


 だが、道は完全に塞がれてしまった。単身であれば跨いで通ることもできるが、馬車の車輪はそうもいかない。森の中を通るのも不可能だ。馬たちの力を借りて樹を撤去するか、あるいは引き返して別のルートを通るか。その二択だろう。


 だが、娘はいずれの手段も取ることはできなかった。


 馬車が停まると同時に、森の中から次々と姿を現した野盗たちによって、周りを取り囲まれていたからだ。


「……よお、お嬢ちゃん。今日も暑いねぇ」


 赤錆の太刀を肩に担いだお頭が、あえてにこやかな笑みを浮かべながら馬車に歩み寄った。


「この季節は待ち伏せをすると全身、虫に刺されていけねぇな。その積み荷の中に、痒み止めの薬が置いてあると助かるんだが……おおっと」


 娘が護身用の刀を取り出したのを見て、お頭はおどけるように肩をゆすった。


「こわいこわい」


 わざとらしい演技に、あちこちから含み声が聞こえてくる。


「勇ましいのは結構だがね、お嬢ちゃん。周りを見てごらん。こっちは十人以上いるんだ。多少、腕に覚えがあったって、この数には勝てないよ。黙って全部置いて行くのが身のためだと思うけどね」


 娘は警戒しながら首を左右に巡らす。


 前は倒木で塞がれ、後ろは白刃を手にした野盗。左右は鬱蒼とした森が広がっている。お頭の言う通り、逃げ道などどこにも残されていなかった。


「……わかりました。どうか、命だけはお助けください」


 観念したようにうなだれる娘に、お頭は満足そうな笑みを浮かべた。


「いいだろう。大人しく積み荷を差し出せば危害は加えない。約束しよう」


 もちろん、嘘だった。


 彼らはこれまで襲った相手は例外なく皆殺しにしている。それは、女子供とて例外ではない。


 生かしておいて、人買いに売ればまとまった金にはなるだろうが、下手に目撃者を生かせば、そこから流出した情報を嗅ぎつけて騎士団がやってこないとも限らないからだ。そのリスクに比べれば、人身売買で得られる金など大した旨味はなかった。


 楽しむだけ楽しんで、用が済めば、バラバラにして森の獣に食わせる。こうすれば痕跡も残らない。彼らの常套手段だ。


 ただ、それを気取られて舌を噛まれても困るから、方便を使って油断させているだけ。


 そんな真意など知る由もなく、娘は御者台から降りると、投降の意を示すように、手にしていた刀をお頭の足元に放り投げた。


「……物分かりのいい子だ」


 にやにやと笑みを浮かべながら、お頭は刀を拾おうと腰を屈ませる。


 二人の視線が外れた瞬間――


「ふっ!」


 一息に間合いを詰めた娘が、お頭の顎に強烈な蹴りを食らわせた。


「げべぇ!」


 潰れたカエルのような声。砕けた歯をまき散らしながら、お頭はもんどりうって背中から倒れた。脳が激しく揺さぶられたせいか、立ち上がれない。


 時が停まったように硬直する野盗たちの只中で、自分だけは例外と言わんばかりに娘は颯爽と動いた。


 転がっている刀を素早く拾い上げ、滑るように鞘から抜く。白目を剥いて仰向けになったお頭にまたがり、そのままその鋭い切っ先を喉に突き立てた。


「かひゅ――」


 空気が漏れる音。お頭の喉に風穴が開く。刀を引き抜いた瞬間、鮮血が噴水のように勢いよく飛び出した。


「「「――――」」」


 蝉の声が、一際大きく聞こえる。

 あまりの鮮やかさに誰もが言葉を失ったからだ。


 飛び散る血飛沫を振り払うように、娘は虫除けの外套の力強く翻す。


 覆いの下から現れたのは、優美な曲線を描く白銀の胸甲鎧ブレストメイル。腕には籠手ガントレット、足には脛当てグリーヴ。そして、その手に握られた一振りの刀。


 娘は刀を正眼に構えると、弱々しい表情から一変、肉食獣のごとき獰猛な笑みを野盗たちに向けた。


 娘がただの商人などではないことは、誰の目から見ても明らかだった。

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