第4話 目覚める刃

 影流しに乗ってから、一夜が明けた。


 空は皮肉なほど晴れ渡り、澄み切った青が広がっていた。海面には朝日が反射し、波の上に煌めく光が揺れる。その光を浴びたノアの褐色の肌は、虹色に輝くように見えた。だが、その美しい景色とは裏腹に、胸には重いものが沈んでいた。


 ノアは甲板の片隅で、無造作に置かれた一本の剣を見つめていた。錆びつき、柄の革は擦り切れている。かつて誰かの命を守り、奪った剣なのだろうか。神殿での戦いを経て、剣を握ること自体には慣れつつあったが、目の前のこの剣はまた違うもののように思えた。手を伸ばし、それを握った瞬間、鉄の冷たさが指先に染み込んだ。


「それを持って、何をするつもりだ?」


 低い声に振り向くと、一人の男が甲板に腰を下ろしていた。深い青の外套を纏い、無精髭を生やした男——レイヴ。影流しに乗る数少ない大人のひとりであり、傭兵を生業にしているという話だった。


「……いや、拾っただけだ。」


「拾っただけ、ね。」


 ノアの言葉に、別の声が割って入った。ライラだった。甲板の手すりにもたれかかりながら、じっとノアを見つめている。


「それで? その剣を持って何をするつもりなんだい?」


 ライラが問う。


 それを見た、レイヴが苦笑しながら立ち上がると、ノアの前に歩み寄った。ノアを警戒しての問いかけだったが、ノアの目から、純粋さと危うさを感じたことで、警戒心が薄れた。


 彼の腰にも一本の剣が吊るされている。経験の差を物語るかのように、その佇まいには隙がなかった。


「戦ったことは?」


「ある。ただ、あまり覚えていない。」


 ノアはそう答えながら、神殿での戦いを思い出そうとした。しかし、鮮明な記憶はほとんどなかった。剣を振るった感触は確かに手に残っている。だが、その時の自分がどう動いていたのか、どう戦ったのかは霧がかかったように曖昧だった。


 戦いの最中、ただがむしゃらに剣を振るい、周囲の怒号や金属のぶつかる音に飲まれていた。気がつけば敵が倒れ、亡骸が見えていた——それだけだった。


「……細かいことは覚えてない。ただ、必死だった。」


 レイヴはノアの言葉をしばらく考え込むように聞いていた。そして静かに口を開いた。


「なら教えてやるよ。戦うつもりなんだろう?」


 ノアは驚いた。だが、自分の胸の奥に渦巻く感情を思えば、戦う以外の道はなかった。エレナを殺した兵士たち。エルバを滅ぼしたあの戦い——復讐の炎が、彼を突き動かしていた。


「……頼む。」


「いいだろう。だが、覚えておけ。戦場に立つってことは、人を殺すってことだ。」


 レイヴは静かに言った。その瞳には、何か重いものを背負ったような影があった。



 レイヴの訓練は厳しかった。


 剣の持ち方、構え方、一撃の重さを感じ、何度も打ち込むたびに手が痺れ、汗が額を伝う。しかし、レイヴは容赦なかった。


「もっと腰を落とせ! 力で振るうんじゃない、流れで動け!」


 力には自信があった。ただ、剣を持った時の重心の傾きや繊細な型の動作に、ノアは困惑していた。


 レイヴの木剣がノアの剣をはじき飛ばす。すかさず足払いをかけられ、ノアは甲板に転がった。


「ぐっ……!」


「お前、本気で戦う気あるのか? 復讐に燃えるのはいいが、そいつがただの感情の爆発なら、戦場で一番最初に死ぬのはお前だぞ。」


 レイヴの言葉が胸に突き刺さる。だが、それでもノアは立ち上がった。


「……教えてくれ。俺は戦いたい。」


「なら、まずは死にたくないと思うことだな。」


 レイヴは剣を収め、腕を組んだ。


「いいか、戦場は綺麗なもんじゃない。正義も、悪も、そこにあるのはただの生きるか死ぬかだ。お前がこれから剣を握るってのは、そういう世界に足を踏み入れるってことだぞ。」


「それでも……」


 ノアの目には迷いがなかった。


「本気みたいだな。」


「お前、そんなに戦いたいのか?」


 声が割り込んできた。振り向くと、ライラが甲板の端に座ってこちらを見ていた。腕を組み、じっとノアを観察している。


「……俺は、強くならなきゃいけないんだ。」


 ノアの声には固い決意があった。


 ライラはしばらくノアの表情を見つめ、それからため息をついた。


「まったく、面倒くさい奴だな。まあいい、やるならせいぜいしっかり生き残れよ。」


 ノアは頷く。


 その日から、ノアの剣は静かに目覚めていった——。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る