第八話 なみのゆくさき

 それから小一時間ほどで丘町駅に着いて、私たちは鋭角の近未来的なデザインをした、ネイビーブルーのカラーリングの特徴的な、海風かいよう特急に乗り換えた。


 この列車はその名の通り、渦潮の渦巻く大きな海の上の橋を、水面を撫でるようにして吹く風のように快適なスピードで渡っていく。


 窓を開けて、潮の匂いを含んだ風に当たることこそできないけれど(もし当たることができたとして、顔中がべたべたになって潮風を楽しむどころの騒ぎではなくなるかもしれないが)、私は帰省の折、いつもこの海風特急の車窓から覗ける景色を楽しみにしていた。


 優奈と新幹線のときとは逆で、今度は私が窓際の席に座らせてもらった。


 夏の日差しを受けて、きらきらと輝く一面の青。ぼこぼことたった今生まれたかのような青々とした精力的な色で茂る小さな島々がその上に浮かび、まるでその島々を引き連れて行くかのようにして、一隻の小型船が白い尾を引いていた。


 きれい……。雄大な自然の景色に心を洗われる気持ちでいる……いるのだけれど。


 「はぁい、ゆうちゃん。あーんして」


 七月の早い時期だったからだろうか、いつもは混み合う海洋特急の二階はずいぶんと空いていて。私と優奈のような大学生風のカップルがいたのを乗るときに見かけてはいたのだが。


 「「ふふふうふふ」」


 さっきから彼、彼女ら二人の世界がだだ漏れになっている。若い二人のきゃっきゃっウフフのくんずほぐれつ。それを否が応でも聞かされ続ける生き地獄。とてもおセンチな気分に浸っている場合ではなかった。


 ざくざくざくざくざく。


 あと、この音もひどい。さっきからずっと、隣の席で黙々と、粛々と。その動きだけをするマシーンと化してしまったかのように、細長いスティック状のスナック菓子をばりぼりばりぼりと飽きもせず食べ進めている優奈。


 「さっきお弁当食べたばっかりなのに、よくそんなに食べられるね」


 スナックの無限に吸い込まれていくブラックホールは、可愛らしい桜色をして、おまけにずいぶんとぷっくりしている。宇宙の始まりも終わりも、意外にこんなかわゆいところから始まっているのかもしれない。なんて、お馬鹿でメルヘンなことを考える。


 「お菓子は別腹なの」


 「あ、そう。羨ましいよ。こんなにいっぱい食べるのに、全然太らないんだからさ」


 お菓子を食べるのに夢中になっていて、がら空きになっていた優奈の腰より少し上の部分を服の上から摘まんでみた。


 「あれ、意外に……」


 ゆとりのあるような、ないような。ナイスばでーな、そうでないような。


 「ばか!」


 優奈の掲げてきた一撃に、私はぽかりと頭をやられた。よろめいているところに、口の中にスナック菓子をこれでもかと突っ込まれる。気分は策士、策に溺れたオインゴの兄貴である。


 「ほめん。ほめんって」


 息も絶え絶えになりながら、必死に平謝りしてなんとか窒息死は免れた。



 「あー、つっかれたー。ま、言っても、ただ電車乗ってただけだけど」


 人々の喧騒に溢れる駅校舎。出発地点の駅校舎と比べて人の数の点ではずっと負けているかもしれないけど、こっちの方が校舎自体の大きさが小さい分、その密度は比べ物にならない。むしろ、こっちの方が盛況さの点では勝っているような気すらしてくる。

 

 「ねぇ、まだ怒ってるの?」


 道中、一悶着ひともんちゃくありながらも、私たちは無事、生まれ故郷である高町に帰って来た。


 そう、一悶着に過ぎないと私は思っていたのだけれど。優奈の方はあれから依然として、口を聞いてくれなくなってしまった。正直面倒くさいなんて、思ってしまうけど、うら若き乙女のお腹を摘まんだ私にも、十二分に非はあるとも思っている。


 いや、やっぱりうそ。こんな風な痴話喧嘩程度じゃ、あんまり真剣に悩む方がばかばかしい。


 「いい加減、許してよ。私はさ、ちょっとふっくらしてるぐらいがちょうどいいと思うな。むしろ、痩せすぎの方がよっぽどよくないって」


 そっぽを向いてだんまりを決め込んでいる優奈の背中に、どうにか振り向いてもらえないかと、色々と言葉を投げかけてみる。大丈夫だよね、これ。火に油を注ぐなんてことに、なってないといいけど。


 「それ、誠意を示してるつもりなの?」


 「え?」


 ぼそぼそと、口元でこもってしまうような低い声音で、優奈が何か言った。聞き取れなくても感じ取れてしまう、不穏な空気。どことなく、私の心境と比例して、駅校舎の外の雲行きも、怪しくなり出しているような気がしないでもない。


 「許して欲しいんだよね?」


 「う、も、もちろん……」


 くるりと振り返った優奈は、ずかずかと私の方に一歩二歩と歩みを寄せてくる。射抜かれてしまいそうなほどに、彼女の鋭い詰問の視線に、私はひどくたじろいで絞り出すようにして返事をするのがやっとだった。


 「だったらキスしてみせてよ」


 「え?」


 優奈の視線に、冷たいものばかりでなく、どこか熱に浮かされているような温かな光を見つけた。その光の正体を私はよく知っている。私だってもう長いことずっと、自分の心の中で燻らせ続けてきたものだったから。


 「美樹がキスしてくれたら、許してあげる」





 


 





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