第6話 遭遇



 「すっかり遅くなった。この分だと後三日、かんえいの誕生日には約一週間の遅れか」

 暗くなった道をりゅうは歩く。がんを討ち取った後、賊は散り散りになって逃げていってしまった。村長は大いに喜び、報奨金を大奮発。十人に均等に分けても劉備の手元にはかなりの金額が残った。

 「劉さん。あんたどうしてそんなに金が欲しかったんだい?」

 金を受け取ってみんなが散っていく中、ちんが残ってそう尋ねてきた。

 「友達の誕生日プレゼントを買いたいんだよ」

 劉備がそう言うと、陳は目を丸くした後大声で笑い始めた。

 なぜ笑うのかと尋ねる劉備に陳は頭を振って、笑いながら劉備の頭を撫でて言った。

 「お前さんのその考え方はこういった治安の悪い時代には貴重だ。お前さんの周りにはさぞ明るくて優しい友達がいるんだろうよ。これからもその考えを忘れないで友達を大事にするといい」

 劉備が頷くと、陳は眩しそうな目をして「あんたは大物になる予感がするよ」と言って手を振りながら去っていった。

 劉備はその後姿を見送った後、甘英に少し高めのかんざしを買って村を後にした。

 「まったく最悪だよ」

 村に戻り甘英に怒られる事を考えると溜息が出た。しかし言葉とは裏腹に劉備の口ずさむ鼻歌はアップテンポだった。



 (まったくさいあくよ)

 大の男が三人、小さな女の子を取り囲んで立っている。

 場所は郊外。

 村からも距離がある場所に少女はいた。

 「なぁ、悪いようにはしねぇからおじさんたちと一緒に来てくれねぇかな」

 三人のうちの一人が口を開く。

 「…………………どうして?」

 少女はため息をつきつつも興味を持った振りをして聞いてみた。

 少女はまだ六歳だ。

 しかし母親からは演技の必要性を教えられていた。

 母親曰く『おとこはばかだからこびておけばてだまにとれる』、だそうだ。

 よくはわからなかったけど、悪戯をしているような母親の顔と共に少女はその言葉とその意味を頭に入れていた。

 (つまりいいこであるというようにみせかけておけば、おとこはばかだからひっかかるってことよね)

 そう考えながら、狙ってたどたどしく幼い声と雰囲気を出しながらたずねた。若干の怯えた感じはご愛嬌だ。

 男たちはニヤニヤ笑いながら近寄ってくる。

 「あっちでおじさんたちと気持ち良い事をするのさ。なに大丈夫。みんなが体験する事なんだ。これを体験したら大人の仲間入りだよ?」

 「…………………………」

 少女はまたばれないようにため息をついた。

 もしかしたら上手くいけばはぐれてしまった家族のところまで連れて行ってくれるのかと思ったが、やはり人生そう簡単にいかないらしい。

 (これはもうかんぜんにえっちすることしかかんがえてないわ。…………………さいあく。ていそーのききだわ)

 そう考えながらも少女は、

 「でも、………でも」

 と言いながら後ずさる。

 (もーちょっと)

 しかし少女の後ろにも男がいて、逃げる事が出来ない。男たちは少女の怯えた表情にいっそう笑みを深くし、少女に手を伸ばす。

 「――――――いや」

 少女は後ろに一歩大きく下がり、後ろの男に、

 「だっての!」

 思いっきり肘打ちをした。

 「ぐみゅっ」

 肘は男の股間に深く突き刺さり、男にしかわからない痛みによって一瞬で戦闘不能にさせる。

 (おとこにしかわからないいたみがあるってぱぱがいってた)

 少女はさらに一歩前に踏み出すと、突然始まった反撃に対応できていない正面の男の股間をつま先で容赦なく蹴り飛ばした。

 「みゃっ」

 何かを潰したようなグチャッという音が辺りに響き、その男も白目を剥いて泡を吹き昏倒した。

 (………つぶしちゃったかな。ごめーん。ふのうにしちゃった)

 心の中で謝りながらも最後の一人と対峙する。

 「てめぇっ」

 やっと事態に追いついた男が殴りかかってくるが少女はそれを難なくかわす。そしてバランスの崩れた男の足を払って仰向けに転ばせた後、

 「えーい」

 無邪気な声を響かせて、最後の一人の股間にめがけてジャンプした。

 一分にも満たない攻防。

 その間に三人の股間を攻撃し、うち二人のモノを潰してしまった少女は、

 「おとこさんにんくらいでわたしをおかせるとおもうな! わたしのなまえはそんこう。そのみにいたみとともにきざみつけなさい」

 たどたどしく、しかし声高に名乗りを上げた。

 (きまった。やばい。わたしかっこいー! ぱぱにもさくにぃにもけんにぃにもじまんできるわ)

 「おい、何だ今の悲鳴は」

 少女は歓喜に身を打ち震えさせるが、後ろから聞こえた声に表情を引き締めた。

 振り返り愕然とする。

 今までどこにいたのか、後ろには二十人ほどの男たちが立っていたのだ。

 少女の自信に溢れた顔が引き攣る。

 (これは………むり!)

 とっさに判断した少女は倒れている三人を指差して叫ぶ。

 「このひとたちいきなりたおれちゃったんです。もしかしたらびょうきかも」

 それを聞いて男たちは慌てて三人を介抱しだす。

 (このあいだににげちゃえ)

 少女が背を向けると同時。

 「あいつが俺たちの股間を狙って攻撃してきたんだ!」

 最初の一人。

 潰されなかった一人が痛みに耐えながら叫んだ。

 「やばっ」

 後ろを振り返ると完全に敵視した目で全員が少女を睨んでいる。

 (これはつかまったらていそうがどうとかいってらんないわ)

 少女は半泣きになりながら全力疾走を始めた。

 教訓・とどめはしっかりさしましょう。



 「サク、いたか」

 「いや、こっちにゃいなかったぜ」

 馬に乗った男の問いかけに、同じく馬に乗った少年が答える。

 「父上、兄上」

 二人のもとに策と呼ばれた少年よりも幼い少年が走ってやってきた。

 「ケン。そっちはどうだった」

 「はい、父上。今、公覆こうふく殿の部隊に西の方を探させています」

 「他の部隊は」

 「徳謀とくぼう殿と義公ぎこう殿からは発見できずに帰還するという報告を受けています。公覆殿からもそろそろ伝令が来る時間です」

 「そうか。ケン、ご苦労」

 「はい」

 左掌に右拳を当てて礼をする権と呼ばれた少年。姓はそん、名はけんといった。十二歳になったばかりで、あざなは持っていなかった。

 その孫権を満足そうに頷きながら見ている男、姓はそん、名はけんあざな文台ぶんだいといった。

 「おいおい親父。なに満足そうに頷いてんだ。コウは見つかってねぇんだぞ?」

 孫堅を挟んで孫権の反対側にいる少年が半眼になって自分の父を睨む。この少年は、姓はそん、名はさくあざなはくといって十四歳だ。

 時は半刻(約一時間)ほど遡る。

 仕事で遠征に来ていた孫堅以下三百の部下が帰還している最中の事だった。皆に食事を取るための休みを取らせていたところ、ふと気がついてみると孫堅の娘であるそんこうがいなくなっていたのだ。孫堅が今いる場所は中央からも離れていて治安も悪い。そんな場所で愛娘が行方知れずになったのだ。心配せずにはいられない。最悪の場合の覚悟もしなければならない状態だった。

 「親父、オレもう一回あっちの方探してくる」

 孫策は父親に告げると馬首を巧みに操り方向転換をすると駆け出した。

 「コウ。無事でいろよ」

 孫策の誰にともない呟きは、スピードを上げていく馬のいななきによってかき消された。



 男はずるい。大人はもっとずるい。どんなに鍛えてても大人の男に幼い少女が体力面で勝てるはずがない。

 少女―――孫香ははんこく(約三十分)の間、走り漬けだった。足はふらつき目は霞み、喉には粘度の濃い唾液が絡みついていた。それでも走るのはやめなかった。

 けれど限界が来た。

 最後は歩くのと大して変わらなくなっていた孫香に後ろから追いかけていた男達が追いついてしまったのだ。

 孫香は腕を掴まれ、振りほどく事も出来ずに崩れそうになる足をただ必死に活を入れて立ち止まった。

 「は、なし、て」

 息が乱れ、切れ切れになった言葉が孫香の口から出る。

 「で、ない、と、おおごえ、を、だすわ」

 無駄とわかりつつも孫香はいう。

 大声を出しても誰も来ない。街中ですら助けを求めても目を逸らす人間ばかりなのだ。増してやこんな荒野のど真ん中。助けがくるはずもない。

 男たちもそれがわかっていたのだろう。

 「呼べば良いじゃねぇか。十数える間だけ待ってやる」

 下卑た笑い声と共にそんな事をいってきた。

 (くるわけがない)

 「だれ、かーーー」

 そう思っても孫香は必死に助けを求めた。

 (もうだめだ)

 「たす………けてー!」

 母親が言っていた言葉。

 本当に心のそこから愛せる人に会うまで、他の男に汚されてはならない。

 「だれがー、だずげでーっ」

 その言葉が甦る。

 母親の言いつけを守れないという恐怖。

 見知らぬ男に犯されるという不快感。

 全てが孫香に叫ばせた。

 「だれかーーーっ」

 「八、九」

 男が数を数えている。

 孫香の叫びの中に見えていた希望が無くなっていき、代わりに絶望が支配し始める。


 ―――そんな時だった。

 

「マジで最悪」

 そんな言葉と共に風が吹いた。

 「――――――え?」

 孫香が突然の風に目をつぶり、次に開けたとき、目の前に一人の少年が立っていた。

 「お望みどおり、助けに来たぜ。お嬢ちゃん」

 りゅうげんとくは孫香に対して背中越しにそう言った。



 腰まであるまっすぐな黒髪がまず目に入った。

 巻き込まれたくなかった。

 これで巻き込まれたら甘英の誕生日にもっと遅れてしまう。

 (きっとおっかけっこをしてるだけだよなそうだよな)

 何も見なかったことにして歩き出した。

 けれど。

 聞こえてしまった。助けを呼ぶ声。

 あまりにも小さく。

 あまりにも弱い。

 そんな声が聞こえてしまった。

 「…………………はぁ」

 『義を持ってせざるは勇無きなり、という言葉がある。いいか、ビ。勇のない男にだけはなるな』

 甦る言葉。

 父親がまだ生きていた頃に耳にたこができるほど聞かされた言葉。

 助けを呼ぶ声が聞こえる。

 義とは義理人情のこと。

 助けてやりたいと思ったにもかかわらず、それが出来ないのは勇気がないことだ。という意味。

 劉備は勇無き男にはなりたくなかった。

 そして助けを呼ぶ声が聞こえ、助けなくては、と思ってしまった。

 やる事は決まった。

 心の中で甘英に謝りながら、劉備は駆け出した。



 二十人以上いた。

 しかし。

 風が吹いた。

 それだけで二十人以上いた男たちは全員倒れていた。

 孫香は唖然とする。

 でたらめだった。

 兄や父の鍛錬によくついていった。

 兄や父の動きをよく見て自分も真似をした。

 そのおかげで男三人くらいなら一息のうちに倒す事ができる。

 たったの六歳でそこまで上り詰めた。

 武力には自信があった。

 目にも自信があった。

 兄や父の動きは全て見えるようになってきたのだ。

 けれど。

 その孫香をもってしても影が目の端々に映るだけだった。

 目がスピードについていけなかった。

 倒れている男たちからしてみれば恐らく影すらも目視できなかっただろう。

 それくらい、劉備玄徳の速さは異常だった。

 劉備が振り返る。

 孫香の視線と劉備の視線が交わる。

 「――――――っ」

 劉備の目はどこまでも澄んでいて、孫香を、そして後ろの青空までをも移していた。

 「怪我はない?」

 劉備は両手首を回しながら聞いてきた。

 その声も孫香には深く、澄んだ声に聞こえた。

 説明しろといわれても困るが、底の見えない泉を覗き込んでいるような気分にさせる声、と言えばわかるだろうか。劉備玄徳はどこまでも澄んでいて、底のない泉を連想させるような青年だったのだ。

 「………大丈夫?」

 黙っている孫香を心配したのか、劉備はしゃがみこんで孫香に目線を合わせると心配そうな目を向けてきた。

 「――――――は、」

 ドクン。

 声を出そうとして心臓が跳ねる。それを慌てて律しながら孫香は続けた。

 「―――はい。だいじょうぶです。ありがとうございました」

 しっかりと意識してきちんと九十度のお辞儀をする。

 孫香は目の前の名も知らぬ青年にだらしなく思われたくなかった。

 「―――良かったぁ」

 そんな孫香を見て劉備は安堵と共に表情を緩ませた。にっこりと笑って孫香を見る。

 「…………………ぁ」

 「ん?」

 思わず呟いてしまった孫香に反応した劉備になんでもない、と首を振って答える。

 顔を劉備から逸らして気分を落ち着かせる。

 (………あんなかおしてわらうのか)

 孫香の顔は赤くなり鼓動は早まり体が火照る。

 しかしそれがなんなのか孫香にはわからない。

 ただ、劉備の笑顔がこうして顔を逸らしていても頭の中に浮かぶ。そしてどきりとする。

 「…………………えーっと。親は?」

 劉備の方は落ち着いていた。

 彼の回りでは時々あることだった。

 幼馴染の少女曰く、「劉備は真顔のときと笑顔のときのギャップが激しすぎるから、女の子がみんなそのギャップにあてられちゃうんだよ」だそうだ。

 苦笑しながら親がどこにいるのかを聞く。

 「え、えーと。あの」

 とたんに顔を逸らしていた孫香が向き直って困った顔をした。

 「もしかしてはぐれちゃった?」

 言いにくそうにしている孫香の言葉を先回りしたら案の定。

 孫香は顔を赤くして泣きそうになりながら頷いた。

 「そっか。オレは劉。えーっと………」

 自己紹介をして劉備は溜息。そして、

 「一緒に探してあげるよ。親を。だから安心して。ね?」

 劉備はまたにこりと笑う。

 「あの、そんなごめいわくは………」

 劉備の一瞬の逡巡を察した孫香は辞退をしようとして、

 「きゃっ」

 劉備に頭をガシッと掴まれた。

 「ガキが生意気に遠慮なんかすんじゃね~。大体このままほっといたら、またさっきみたいな奴に追っかけられっぞ? オレじゃ不満かもしれんがもう決定しました。この決定は覆りません」

 言いながらガシガシと孫香の頭を撫で回す。

 「わわわっ」

 孫香はそんな劉備の声を目を回しながら聞いている。

 一通り撫で回した劉備は満足すると孫香の手を取って歩き出した。

 「あっ………」

 孫香は劉備に取られた自分の左手を顔を赤くしながら見つめる。

 「どした?」

 劉備は不思議そうに聞いてくる。

 まるで手をつなぐ事になんも感じてないようである。

 (これがまえままがいってたじごろってやつなのかな)

 孫香は何か釈然としないまま劉備に手を引かれて歩き始めた。



 男が馬に乗って走っている。

 せっかくセットしたオールバックの髪型が崩れるのも、銜えている煙草から落ちる灰が自分の服に落ちてしまっているのも気にせずにただ走っている。その顔に浮かぶのは焦りと僅かな恐怖。周囲に絶えず視線をめぐらせ、必死に男は何かを探していた。

 男の姓はこう、名はがいあざなこうふくといった。先ほど孫権が西方を捜させていると言っていた男である。

 「公覆殿。そろそろ戻りませんと………」

 黄蓋に併走している数騎の騎馬のうちの一騎がおずおずといった感じで話しかけてくる。

 「うるせぇ!」

 黄蓋は周囲を鋭く見回しながら自分の部下である男に怒鳴った。

 「んな無駄口叩いてる暇あったら姫さんを探せっ! 姫さんに何かあったらどうすんだよ!」

 今馬に乗っていなかったら黄蓋はきっと部下を殴り殺していただろう。それだけ黄蓋は殺気立っていた。

 黄蓋は今年で二十七になる。今探している姫―――孫香の父である孫堅とは黄蓋が十二のときからの付き合いだ。妻帯していない自分にとって、孫堅の子供たちは自分の子供のように見えていた。現に子供たちも彼のことを叔父のような存在として慕ってくれている。

 孫家は男系の血筋なのか孫香以外はみんな男なのだ。

 そんな唯一の少女がいなくなってしまった。それは予想以上に黄蓋に恐怖を与えていた。

 (姫さん――――――どこだ!)

 頭の中に走馬灯のように孫香の姿が浮かび消える。走馬灯。

 (冗談じゃねぇっ)

 黄蓋は頭を振って一瞬頭をよぎった不吉な考えを振り払った。

 「――――――だ………でぇ!」

 そんな時だった。

 微かに声が聞こえた。

 それは聞き間違えようのない、自分が探している少女の声。

 しかし黄蓋の全身は冷や水を浴びせられたように震えた。

 なぜなら聞こえてきた声は、孫香の助けを求める声だったからだ。

 考えるより前に行動していた。

 馬の腹を蹴り駆け出す。

 遠くから微かに、しかしはっきりと聞こえた声の元へと一目散に駆け出した。



 「孫香はさ、この辺に住んでるの?」

 「ううん。いまはろこうぐんっていうところにすんでるの」

 「ろこうぐん? ………あぁ。こうぐんか。………ん? それってこっからだと大分遠くね?」

 盧江郡はようしゅうに位置しており、劉備が今いるゆうしゅうまでは馬に乗っても一週間や二週間ではきかない距離があった。

 そんな劉備の疑問に孫香は頷く。

 「うん。ここまでくるのにいっかげつはかかったよ」

 「………一ヶ月」

 つぶやいて劉備は思う。六歳の子が一ヶ月も馬に揺られて旅をしているのだ。大陸の破滅がもうすぐそこまで来ていることを感じさせた。

 劉備は孫香を助けたあと自己紹介をして次に孫香について尋ねた。こんなところで何をしているのか。親とはどこではぐれてしまったのか。それについてまだ六歳である孫香はたどたどしくもしっかりと、明確に答えていった。

 「うん。いっかげつ」

 劉備の呟きを孫香が繰り返す。劉備が孫香に目線をむけると孫香はえーっと、と視線を宙にさまよわせて説明を始めた。

 「ろこうぐんのじょけんっていうばしょにね、しゅうわんっていうおかねもちのおじさんがいてね。ぱぱがそのひととなかよしでしへいたいをやってるの」

 「………孫香はその意味わかってるのか?」

 「ううん。ぱぱがまえにいってたのをおぼえてるだけ」

 「それはそれで凄いな」

 (えーっと、『しへいたい』っつーのは多分『私兵隊』のことだよな。『じょけん』は盧江郡にある『じょけん』のことだし、じゃぁ『しゅうわん』っていうのも多分、舒県の有力者の一人なんだろうな)

 劉備は孫香の話から何とかわかる単語を拾って整理した。たどたどしく、しかも見事に棒読みなため酷く理解しづらい。

 「でも私兵隊だってんなら何でこんなとこにいるんだ? その『しゅうわん』とかいうやつを守ってなきゃいけないんじゃないのか?」

 「ぱぱがいうにはね、このあたりのちあんがわるいからしゅうわんおじさんにたのんでへいをださせてもらったの。ぱぱ、いっぱいおねがいしたっていってた」

 孫香の顔には自分の父親に対する尊敬がありありと浮かんでいた。

 「そっか。そいつは―――」

 凄いな。と続けようとして劉備は腹部に衝撃を受け、真横に飛んだ。

 一瞬遅れて地面に叩きつけられる。

 「が、―――はっ」

 呼吸が止まり、しかし慌てて起き上がる。

 「おい、お前」

 起き上がった劉備に掛けられる声。劉備がさっきまで立っていた孫香の隣にはオールバックの中年男が立っていた。

 「姫さんを攫った罪、万死に値する。生きて帰れると思うなよ」

 オールバックの男はタバコの煙を吐き出しながら劉備を指差して言った。



 孫香は驚きの表情で劉備を蹴った男を見上げ、次いで蹴り飛ばされた劉備の方を向いた。

 「りゅうおにいちゃんっ!」

 叫んで劉備に駆け寄ろうとする孫香をオールバックの男―――黄蓋が抱きかかえて制した。

 「はなして、おじちゃんっ。りゅうおにいちゃんっ、だいじょうぶ!?」

 劉備に向かおうとする孫香を、黄蓋は抱きとめてその行動を阻止した。

 「姫さん。無事で何よりです。姫さんは下がっててください。この賊は俺が始末しますんで」

 孫香にそう言って黄蓋は劉備に向き直る。しかし孫香は黄蓋のその言葉を聞いて顔を青くした。

 「ちがうの、おじちゃん。りゅうおにいちゃんはね―――」

 黄蓋は孫香の言葉が終わる前に劉備に向かって駆け出した。

 「せぇっ」

 掛け声と共に繰り出された足払いのけりを劉備は後方に飛んで避ける。

 その速さに一瞬黄蓋は目を剥くも、怯まずに劉備の追撃を始めた。

 「あ、あぁ。りゅうおにいちゃん………」

 孫香は頭を抱える。考えうる限り最悪の展開だった。黄蓋は父・孫堅に使えている武将の中で最も孫香たち兄弟と仲が良かった。ここで迎えに来たのが兄や他の武将だったなら問答無用で劉備に切りかかることはしなかっただろう。良くも悪くも黄蓋は忠義心が強いのだった。

 さらに悪い事は連続する。

 孫香は劉備とまだ別れたくない一心で家族が待っているはずの方角とは別の方角へと歩いていた。黄蓋からしてみれば劉備が孫香をどこかに連れ去ろうとしているように思えたのだろう。

 (ど、どどどどうしよう)

 「ちょこまかと、おとなしく縛につけや。このガキっ」

 孫香が声のほうを向くと黄蓋が腰に下げている棍棒を右手に持ったところだった。

 「おおおおじちゃん!? そこまでしなくても―――」

 「姫さんは黙っててください。この『てつべん』で痛めつけりゃぁ、ちょっとは反省するでしょ」

 『鉄鞭』。一見棍棒の様に見えるそれは木ではなく鉄で作られた重さ十数キロにもなる鉄の塊だった。さらに、表面には無数の突起があり、殺傷能力を高めている。

 「じょーだん。そんなん食らったら骨が折れるとかじゃ済まんわ」

 劉備は苦笑し、鞘に入っている二振りの剣のうちの一本を取って構えた。

 (さて、ど~しよう)

 今までの孫香の叫びと黄蓋のセリフから、どうやら誤解が生まれているらしい事を劉備は勘付いていた。

 けれど向かい合って劉備は黄蓋の強さに圧倒されていた。劉備の特技は早く動く事である。早く動いて相手の急所を切る。劉備にできるのはそれだけだった。力がものすごく強いわけでも相手の攻撃を見切ることができるわけでもなかった。それどころか、筋トレは苦手だし見切りはそこらへんのごろつきの動きを見切るのが限度。つまり、受けに回ると圧倒的に不利になってしまうのだ。

 (………かといってな~)

 攻撃に転じても相手はどうやら孫香の従者。相手の武器を奪う事もできない強さだし、ましてや喉を剣で掻っ切るのは持っての外だろう。

 黄蓋の鉄鞭が劉備の頬を掠る。黄蓋も劉備の速さに目が慣れ始めているのだ。

 「まっずいなぁ」

 思わずつぶやいた瞬間。

 「ぜぁっ」

 鉄鞭がまたしても振られる。それを劉備はギリギリでかわす。

 「まだま、だぁっ」

 体制を崩した劉備の体に、黄蓋の容赦のない蹴りが入る。

 「ご、う」

 劉備はまたしても蹴り飛ばされ、今度はろくに受身も取れずに地面に叩きつけられた。

 「が、」

 目の奥がチカチカとし、酸素を求めて口が開かれるが痛みのせいで上手く空気が吸えず、咳き込む。

 黄蓋は無様な劉備の姿に笑いながら止めを刺すために鉄鞭を握り、劉備の方に歩いてくる。

 「おじちゃん! もうやめて!」

 黄蓋と劉備の間に孫香が入り説得を試みる。

 しかし、黄蓋は孫香を手で押しのけると鉄鞭を振りかざした。

 孫香はため息をつくと、

 「やめなさい。こうふく」

 静かに、しかし凛とした声で黄蓋に命じた。



 時が止まったように感じられる。しかしそれも一瞬。

 「し、しかし姫さん」

 黄蓋が我に返って孫香に詰め寄る。

 「こいつは賊だ。姫さんを攫おうとしたんだろ? さっき悲鳴が聞こえてきた」

 「おくそくでものをいうのはおやめなさい」

 「で、でもよっ」

 「こうふく。わたしのはなしをききなさい」

 静かに、たどたどしい声にその場が支配されていく。

 (―――この子は………いったい………?)

 劉備の頭にはそれしかない。

 先ほどまではただの六歳だった。表情はころころと変わり、にっこりと笑った顔はひまわりを連想させるもの。そんな六歳児らしい『少女』だった。

 今は、喋り方こそ六歳児のままだが雰囲気が一変していた。そこに見えるのは明らかに『上に立つもの』の威厳だった。そんな少女を劉備は呆けながら見るしかなかった。

 「かれはわたしのいのちをたすけてくれたのです。たくさんのおとこにかこまれてつかまってしまったわたしを、たぜいにぶぜいのじょうきょうでわたしを、たすけにきてくれたのです」

 「え………。なら、あいつは………」

 「あいつなどとよぶのはやめなさい。わたしのいのちのおんじんですよ? かれにはりゅうというちゃんとしたなまえがあります」

 「あ………、はぁ」

 「あなたのちゅうぎしんはみとめます。しかしあなたはわたしのいのちのおんじんにやいばをむけたのです。あなたはそんけのなにいのちのおんじんをころすいえだとどろをぬるつもりだったのですか!」

 「いや、とんでもありません」

 それは異質な光景だった。

 一人の男が自分の腰にも満たない少女に言いくるめられている。

 そして黄蓋は孫香の言葉が終わると膝をつき、頭を下げた。

 「申し訳ございませんでした」

 「わたしにあやまってもしようがないでしょう」

 そんな黄蓋を孫香は冷ややかに見つめる。

 黄蓋はそれを受けて劉備の方を向くと、

 「済まなかった」

 言って頭を下げた。

 「あ、あぁ。いや。オレは、別に………」

 劉備は圧倒されながらも手を振って答える。

 「それとこうふく」

 そこに孫香の声が割って入った。

 「むかえにきてくれて、ありがとう」

 そこには先ほどまでの凛とした表情はなく、ひまわりのような笑顔があった。



 「いやいやいや。いいですって、そんなの」

 「そう言わないでくれると助かるんだがなぁ」

 黄蓋が先ほどの侘びに、と劉備を自分の主のところへ連れて行くと言い出したのだ。

 「侘びだけじゃなくってさぁ、姫さんを助けたんだ。褒美だってあるかもよ?」

 「そんなもんが欲しくて助けたんじゃないですよ!」

 「なにかようじがあるの?」

 そこに孫香が割ってはいる。

 「ようじがあるんだったらむりにひきとめられないけど………」

 その顔に浮かぶのは明らかな落胆。それは劉備の良心を揺さぶる。けれど、

 「用事っていうかなんていうか。友達の誕生日があるんだよ」

 「いつ?」

 「…………………………一週間前」

 「へ?」

 「オレ、むしろ織りやってるんだけど、出掛けでトラブルに巻き込まれてさ。大幅に遅れちゃってるって訳」

 「そこまで遅れてんだったら、あとニ、三日はいいじゃねぇか」

 「っていってもあまりへそを曲げられると後が大変なんすよ」

 「――――――もしかして女か」

 劉備の物言いにピンと来た黄蓋が聞くと孫香がものすごい勢いで振り向いた。

 「そ、孫香?」

 「お、お、女の子なの!?」

 その迫力に若干ビビリ、一歩後ずさった劉備に孫香が詰め寄る。

 「女の子なの!?」

 質問を繰り返す孫香の目には危険な光が宿っていた。

 「そ、そうだよ」

 劉備が肯定の返事を返すと、

 「そう…………………なんだ」

 孫香は俯いて喋らなくなってしまった。

 「ありゃま」

 俯いてしまった孫香、うろたえる劉備、その両者を見て黄蓋は苦笑する。

 (姫さん、初失恋)

 煙草を銜えながら思う。身分が違いすぎる上に女持ち。孫香に軍配は上がらなそうだった。

 「ま、とりあえず。うちの大将に会ってけよ。姫さんを落ち込ませた罰、ってことで」

 黄蓋はニッカと笑うと部下に劉備の馬を用意させた。もともと孫香を見つけたときのために一等余分に連れて来ていたため黄蓋が孫香を抱き抱えて乗れば劉備も馬に乗る事ができた。

 「さ、姫さん。行くぞ」

 黄蓋が孫香を抱きかかえようとすると、孫香は逡巡を見せ、その後頬を上気させながら小さな声で「りゅうおにいちゃんにのせてもらう」と呟いた。

 (あれま)

 黄蓋は孫香の申し出を聞いてこちらをちらりと見てくる劉備に頷きながら思う。

 (親離れ………かね)

 孫香を乗せた劉備は駆け始める。孫香は劉備に抱きかかえられ顔を真っ赤にしながら何かを話している。

 二人で乗っている馬は温かそうだった。

 黄蓋は馬に乗った。

 駆け出すと身体に当たる風が妙に寒かった。

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