第6話

弘乃の屋敷を出て二ヶ月。

私は偶然が重なり野宿生活ではなく、無事山奥の一軒家でのぶと共にのんびりと暮らし始めている。

周りには沢山の山菜と川には魚がいてそれを取ったり、猫の額程度の小さな畑で野菜を育てたりして食べる物には今のところ困っていない。

少し困っていることがあるとすれば、重い物を動かす時とあの猫の妖の子が作ってくれたお菓子が食べられないことぐらい。

でも、ようやく静かな生活をひっそりと送り始めたし少しずつ落ち着いてきた。

誰か屋敷の人が迎えに来るのではないかとひやひやしていたが全くその様子がなく少しほっとしているが少し寂しい思いもしていた。

きっとこの二ヶ月の間に弘乃は寧々さんと再び婚約をしたのだろう。つまりそれはもう私は用済みということ。

だから迎えに来たり追ってこなかったのだろう。

彼女の言う通り私は浄化の異能を発現できていない。彼の足を引っ張るだけ。

だからこれで良かったのだと無理矢理言い聞かせている。

でも、山奥でひっそりと大好きなのぶと暮らすことは私の長年の夢であった。それを叶えられただけで御の字だ。

この立派な家も本当に偶然だった。

屋敷を出て間もなく、行く頭なく山を彷徨っていた私を此処で住んでいたお婆さんが迎え入れてくれた。

私が子犬を抱えて彷徨っている姿が可哀想に見えたので落ち着くまで此処で暮らしなさいとご厚意を受けた。

事情を話すと、お婆さんは"実は息子夫婦が帝都で一緒に暮らそうと誘ってくれたことでこの家をもう少ししたら手放すつもりだった"と話してくれた。

だから、貴女が代わりにこの家を貰ってくれないかと提案されたのだ。

勿論私は二つ返事。お婆さんに此処での暮らし方を教わりそして活用している。

少し前にお婆さんは迎えに来た息子さん夫婦と共に帝都へ引っ越して行った。

本当に偶然が重なって私とのぶは幸せに生きている。

あの屋敷みたいに広くはない。けれど、とても落ち着くこの家を私はとても気に入っていた。

ずっとこの幸せが続いてほしい。のぶが自由に走り回れるこの場所での暮らしがいつまでも続いてほしい。

のぶがわんわんと吠えながら私に飛びつく。ふわふわの小麦色の毛を撫でて改めて幸せを噛み締める。

私に鬼神の花嫁は荷が重過ぎる。きっとあの寧々さんならやってのける筈。

私はのぶを撫でながら今日のお夕食の献立を考え始めた時だった。


「さてと、今日のお夕食はどうしようかな〜?」

「今日はいわなが食べたいかな」

「いわなは昨日食べ……ん?!」


気が覚えがある声がすぐ近くで聞こえてきた。此処には私とのぶしかない。

私は慌てて声がした方に身体を向けるとそこには弘乃が立っていた。とても爽やかな笑顔で私を見ていた。

私は突然のことでびっくりしてしまい腰が抜けてしまいそうになった。


「な、な、なんで此処にいるのよ?!!」

「なんでってこう見えても僕は鬼の神様だからね〜。誰が何処に言ったかなんてお見通しだよ?」

「わんわん♪」


のぶが私の腕から飛び出し、弘乃の元に嬉しそうに駆け寄る。飛びついてきたのぶを弘乃は嬉しそうに受け止めていた。


「のぶ〜♪久しぶり〜♪元気だった?」

「わん♪」

「元気だったじゃない!!なんでここにいるって聞いてるの!!手紙読んだでしょ?!」

「読んだよ?あれを見て真弥のことを諦めると思った?」


私は確かに貴方の花嫁にはなれないと書いた。その理由もしっかり書いたつもりだ。

だが、彼はその手紙を読んだだけでは諦めてくれない。勝手に彼から姿を消しても。

久々に弘乃の姿を見て嬉しくないと言ったら嘘になる。

あの手紙と私の身勝手行動を目の当たりにしてもこの人は私を花嫁にすることを諦めていなかった。

此処に来たのもきっと私を連れ戻しにしたのだろう。でも、差し出された彼の手を払い除けなければ。

私のせいで鬼神・弘乃の行く道を阻む訳には行かないのだ。


「帰ろ?みんな待ってるよ?」

「無理よ。私は此処で暮らすって決めたの。手紙にも書いてあったでしょ?私は無能のままなのよ」

「だから何?僕が真弥が異能待ちだから選んだとでも言いたいわけ?僕の邪魔になるから?」

「そうよ。貴方はこれからもっともっと凄い神様になる鬼。そんな人の足を引っ張る様な存在にはなりたくないの。私のせいで嫌な目で見られる。そんなの嫌。だから…」


だから私を諦めて。貴方にもっと相応しい人は近くにいるのだから。その人と幸せになって。

そう言おうとしたのに喉につっかえてしまう。目頭が熱くなって涙で視界が滲んでゆく。

のぶとの今の生活はとても大好きで充実している。でも本当は何かが足りない。

その足りないものが何なのは分かっているけれど私はわざと知らないふりをしてきた。それが何なのか分かってしまったら私はきっと愛する人に会いたくて仕方なくなってしまうから。

私は、ぼろぼろと両目から流れる涙を必死になって拭う。

本当は彼の傍に居たい。彼とのぶと一緒に静かにひっそりと暮らしたい。月の巫女でも鬼神の花嫁としてではなく私自身として。

弘乃はのぶをそっと降ろすと、勢いよく私を抱き締めてきた。彼はもう二度と離さないという意思を私に伝えるように優しく私に触れる。

私はまだこの人に触れる資格がないと感じて手を回すことができない。

涙が弘乃の肩を濡らしてゆく。


「僕は真弥に助けてもらった時から君を花嫁として迎えに行くと決意してた。能力がないだけで虐げられてきた真弥を助けに行きたくて仕方がなかった。こんな風に抱きしめたかった」

「弘乃…」

「君が寧々のせいで居なくなったって聞いた時は気が狂いそうになった。月の巫女とか浄化の異能とかどうでもいい!!真弥自身を愛しているんだ。他に僕に相応しい女なんていない!!真弥じゃなきゃ嫌だ!!」

「っ…!!」

「二か月間、君が幸せそうにのぶと暮らしている様子を見て安心した。このままでもいいと思った。でも、君の笑顔を見るとやっぱり真弥が僕の傍にいない生活なんて耐えられない。虚しさしかなかった」


この人も私と同じで何かが足りなかったのだ。それは私。

私にとって足りなかったものは私を大事に抱きしめてくれているこの人。

のぶとのひっそりと山奥な住むという夢は叶っても貴方がいない。弘乃も再会の約束を果たしても私の身勝手な行動で虚しさしか残らなかった。

きっと、私達はあの桜の樹の下で出会った時から見えない何かに結ばれていたのだ。

私は意を決して彼の背中に手を回し力をそっと込める。

私は震える声で彼に確認する。


「っ…本当に私で良いの?力を取り戻しても何もできないこんな私が貴方の花嫁になっていいの?」

「言っただろ?真弥じゃなきゃ嫌だって。僕が鬼神になったのは真弥がいたからなんだ。一人前になって君の前に現る為に必死に。もう僕には真弥が居ない世界なんてあり得ない。もし君がまた消えたら今度こそ僕はおかしくなってしまうよ」

「弘乃…」


お互いの想いをぶつけ合い今度こそ結ばれる。

私達は目を瞑りゆっくりとお互いの顔を近付けようとしていた時だった。


「ふざけるな!!!!弘乃は私のモノなのに!!!!私が弘乃の妻になる運命なのに!!!!どうしてお前がぁー!!!!」


突然の怒号に私達は声がした方に顔を向ける。のぶも声がした方に唸り声を上げていた。

そこには銀髪を振り乱しよれよれの着物を着た寧々さんがいた。私が最後に見た美しい鬼の女性ひとは変わり果てた姿になっていた。

私に指を差し憎しみがこもった目で私を睨みつける。


「ね、寧々さん…!!!」

「やっとあの屋敷からお前を追い出せたのに!!!どうして!!どうしてよぉ!!!!」


叫ぶ寧々さんを弘乃は鼻で笑う。


「無様だな寧々。お前の今までのやらかしと僕の大事な花嫁を陥れた罪で親父さんに勘当されたくせにまだ懲りてないの?」

「貴方が間違った情報を教えたからでしょ!!!全て貴方の為にしてきたことなのに誰も分かってくれない!!それどころか私をこんなにして…!!!全部あの女のせいよ!!!無能のくせに!!!何も持ってないアンタが弘乃の隣にいるんじゃないわよ!!!」


寧々さんの怒号に私は言葉を失う。恐怖で弘乃の着物の裾をぎゅっと握ってしまった。

怯える私を守る様に弘乃は抱きしめる。その姿が余計に寧々さんの怒りを増幅させる。

全ては彼女の言葉が私が家出した原因だった。

弘乃から本当の想いを聞いていなかったらまた私は諦めてしまっていただろう。

でも、今は違う。彼の言葉と抱きしめられて伝わる彼の体温と心音がもう逃げなくて良いと安心させてくれる。

小さいのぶも勇敢に立ち向かっている。私も勇気を振り絞らなければ。


「真弥ぁ!!!アンタを殺す!!!アンタを殺して私が弘乃の妻になるのヨォ!!!」


寧々さんの頭に生えていた角と爪が伸び目が赤くなってゆく。

その瞬間、寧々さんは凄い速さで私に近付き飛び掛かろうとした。だが、弘乃が打った火の玉が彼女のお腹に当たると、勢いよく跳ね飛ばされ地面に転げ落ちた。

のぶも吠えながら寧々さんの首筋に向かって飛びかかりガブリと噛みついた。


「このクソ犬!!!あっちいけぇええ!!!!」


悲鳴を上げながらのぶの首根っこを鷲掴み引き剥がすと、のぶの小さな身体は家の壁に強く打ち付けられた。打ち付けられた途端小さな悲鳴を上げたのを見て私は愕然とした。


「いや…そんな…いやぁ!!いやよ!!のぶ!!のぶー!!!」

「ほんっと躾がなってないクソ犬。だからああなるのよ!!あはは!次はアンタよ!!真弥!!」

「……"俺"の大事な妻を貶すだけでは飽き足らず、彼女の大事な親友まで傷つける貴様に俺の妻を名乗る資格はない!!」


私を抱きしめていた弘乃の手が鬼のそれに変わる。この手で寧々さんを仕留めるつもりだ。

彼の手をあんな女の血で穢されるなんて嫌だ。

あの綺麗な爪で私の大事なのぶを傷付けたあの女の肉を引き裂くなんて嫌だ。絶対許さない。

今まで感じたことがなかった感情が全身に駆け巡る。

怒りなのか、殺意なのか、それとも梨花から取り戻した浄化の異能がそうさせるのか分からない。


「素敵よぉ弘乃ぉ!!絶対に貴方を私の婿にするわ!!その前にこの女を八つ裂きにしなきゃねぇーー!!!!」


再び寧々さんは私に飛びかかってきた。弘乃はいつ近づいてもいいように既に構えていた。

私は抑えられていた何かが放たれるのを感じ彼女に向かって両手を翳した。

その時だった。眩い白い光が私の手から解き放たれた。


「あれは浄化の異能…!!真弥…!!」

「な、何、この光は…?!え…?そ、そん、な、まって」


白い光をもろに受けた寧々さんの腕が黒い煤の様になって消えてなくなっている。まるで寧々さんをこの世から消そうとしている。

私は緩めることなく光を放ち続ける。その光は傷付いたのぶにも当てられてゆく。


「やめ、やめてぇ!!お願い!!あやまるからぁ!!!」

「もう遅い。貴様は月の巫女を完全に怒らせた。そして、貴様が俺を手に入れたいがあまりに大勢の無実の者を殺めた。その者の仇でもある」

「そんな、わた、し、どうなるの?わたしの、うで消えてる…」


消されてゆく寧々さんの口調がおかしくなってゆく。弘乃はその様子を楽しそうに眺めていた。


「お前は肉体だけでなく魂まで消去される。ちなみにこの世とあの世に生きる全員から忘れ去られる。貴様は完全に死ぬのだよ」

「ひぃ!!いやぁ!!ぞんなのいあよぉ!!たずげてぉ!!」

「ああ!忘れてた!輪廻の鎖もバラバラになるからもう生まれ変わることもできないから。残念♪」

「だずげてぇ!!おねがいしましゅ、おねがいじまじゅ!!!」

「ふふ。流石"僕"の真弥♪なんて素晴らしい人を娶ってしまったんだろう。幸せ者だなぁ♪」


私は許せない"誰か"を完全に消し去った後も光をすぐに緩めることができなかった。まだ力の加減ができていないからだろう。

でも、幸せに浸る弘乃に耳元で「もういいよ」と囁かれた途端、私はようやく我に帰り光を止めることができた。


「あ…れ…?私…今…」

「真弥!!やったよ!!やっと浄化の異能を発現させられたんだよ!!」

「嘘…今のがそうなの…でも、私、誰かに襲われて、その人にのぶを…っ!!のぶ!!!」


私は急いでのぶが倒れている場所に急いだ。

のぶがどんな状況になっているか知るのが怖い。

どうしよう死んでしまっていたら、酷い傷を負っていたらといろいろ頭を巡る。

のぶが打ち付けられた場所に行くとそこにすくっと立ち上がった成犬の柴犬が立っていた。

その柴犬は私を見るなり、嬉しそうに私に向かって走ってきた。


「真弥様!!真弥様!!」

「え……?まさか…のぶ…?え?え?待って、喋ってるし、大きくなってるし…」

「はい!!間違いなくオレでございます!!貴方の浄化の異能によってようやく成長することができました!!」

「え?ええーーー!!!!嘘?!本当にのぶなの?!」

「はい!オレです♪」


のぶは嬉しそうにくるんとした尻尾を揺らす。あまりの出来事に頭の整理が追いつかない。

そこに私を追ってきた弘乃がきた。成長して喋れる様になってしまったのぶを見ても驚く様子を見せなかった。


「やっぱり。のぶ、君は神々が真弥のために送った守護の式神だよね?どうりで成長しないと思った。成長するには浄化の異能の光を浴びなくちゃいけないから。これで合点がいったよ」

「ごめんなさい、真弥様、弘乃様。騙すつもりはなかったのですが、子犬のままだと話せなくて」

「仕方ないよ。そういう習性だしね」


突然の真実に困惑しっぱなしだけど、のぶが大きくなっても私の親友だってことは変わらない。寧ろ頼もしくなったと言えよう。

以前の様に軽々と抱っこすることは難しくなってしまったけれどぎゅと抱きしめることはできる。

私を守ってくれるために勇敢に戦ったのぶをぎゅっと抱きしめてあげた。嬉しいのか尻尾を振る速度がまた上がった。

すると、弘乃が私を呼んだ。私は立ち上がり彼に向かい合った。


「真弥。君を苦しめるものは失くなった。もう君が悩む必要なんてない」

「ええ。そうね」

「これからまた君を脅かす輩が出てくるかもしれない。でも、その時こそ君を守り切ってみせる。二度と悲しみで僕の前から消える様なことも絶対にさせない。必ず幸せにする」

「うん…」

「真弥。改めて言わせてくれ。僕の花嫁になってくれないか?」


もうずるいなぁっと目頭を熱くなるのを感じながら溢れてゆく涙を拭う。もう分かってるくせに意地悪だ。

でも、こうでもしなきゃ本音を言い合えなかった。本当の私の力ものぶのことを知り得なかった。

私こそ幸せ者だ。こんなに素敵な神様に娶られてしまったのだから。

私は口で応えを言う代わりに弘乃の唇に口付けをした。


「真弥…!!」

「幸せにされる側だけじゃ嫌。私も貴方を幸せにしてみせるわ。弘乃」


私達はのぶに祝福されながら深い口付けを交わし愛を確かめ合った。

そして、弘乃は私が置いてきた白い帯を取り出し、私を迎えに来てくれた時の様に結んでくれた。


「大きくなった今でも似合うよ」

「ありがとう弘乃。愛してるわ」

「僕も愛してるよ」


再会の約束を交わした幼い私達は成長してから結ばれた。

神様と人間の婚姻がどうゆう末路と辿るのか分からない。けれど、私達には幸せしかない人生が待っていると信じている。

お互いに叶った夢は希望の光へと変わり、私達が歩んでゆく道を明るく照らしてゆくのだった。

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