第4話

遂に三ヶ月立ち、私と梨花の十八歳の誕生日を迎えた。

ようやく座敷牢から出れた私は、月の巫女の衣装を着せられ化粧もさせられた。

両親が無能のお前には贅沢過ぎると禁止されていたからこんなに綺麗な着物も化粧も初めてだった。

最期ぐらい良い思いをさせてやると言って暖かいお風呂に入れさせてくれて美味しい料理も食べさせてくれた。

普段ならあり得ないことだ。本当の月の巫女である梨花にとって当たり前のことなのに。

私にとっては初めてのことばかりだった。けれど、全て最初で最後。

満月がてっぺんに昇る頃だが雲に隠れた夜空の中、私は真の月の巫女の言う名の生贄として鬼神に捧げられる。

逃げない様に手足には重い鎖の枷を付けられてしまった。

最期ぐらいのぶに会わせて欲しかったが梨花が許してくれなかった。

私はのぶに会えなかったのが未練と感じながら神社に連れて行かれる。

大勢の村の人が私が鬼神に連れて行かれる姿を見ようとやってきていた。その中に両親とのぶを抱えた梨花がいた。

久々に私を見たのぶは必死に私に吠えかけ駆け寄ろうともがいてる。私もすぐにのぶの元に行きたかったが、侍女達がそれを許さなかった。強い力で腕を掴まれる。


「安心してお姉様。のぶくんは私が大事に育てますから。ね〜?のぶ?」


梨花の甘ったるい声にのぶは威嚇していた。


「まぁ!!梨花にむかって威嚇なんて!!なんてバカ犬なんでしょう!!」

「怒らないでお母様。ちゃんとしつけをすればそんなことなくなるわ。のぶがこうなってしまったのもお姉様の育て方が悪かったのよ。私が正してやらなくっちゃ」


私は怒りのあまり梨花に詰め寄ろうとするが侍女に制止された。お前の様な無力の新月の巫女は何も言わず黙って我々に従えと見下した感じで言ってきた。

どんなに着飾っても私は仮初の月の巫女。中身は何も持たない無能。

村のみんなを癒す力も人力もない。無能の巫女だと虐げられ続けたただの子供。

その証が手と足にかけられた鎖付きの枷なのだろう。

私は引っ張られながら受け渡し場所に連れて行かれる。悲しげなのぶの鳴き声が胸に刺さり続けた。

私の姿を梨花は嘘泣きをしながら見守っていた。

夜空を見上げると、雲に隠れていた満月が少しずつ姿を現し始めている。

あと少しで私は鬼神に連れて行かれてしまうのだ。

何をされるのか分からない。きっと、全てがバレたら食われてしまうことだけはなんとなく分かる。

でも、こんな惨めな人生の私に相応しい最期だなと思わず苦笑いする。

ようやく雲から逃れた満月が真っ暗な夜空と生贄となった私を照らす。

すると、さっきまで吹いていなかった風が木々を揺らし始めた。その風はどんどん強さを増してゆき献上品の酒等を薙ぎ倒す。

梨花達も悲鳴をあげるほどの風が打ち付ける。

風に気を取られているせいで腕の力が抜けたのか、のぶは勢いよく梨花から逃れ私の元へ駆け寄ってきた。

それに気付いた梨花は慌ててのぶを呼び止めていた。


「だめよ!!のぶ!!!」

「い、いけません梨花様!!これ以上先は危険です!!」


私は手を広げ、駆け寄ってきたのぶを受け止める。嬉しそうに吠えるのぶを撫で回す。

のぶを追いかけようとする梨花を彼女を慕う人達が止めてくれたお陰で私はもう一度のぶに触れることができた。

やっぱり私にはこの子が必要だ。この子も連れて行こう。

梨花に虐められて殺されてしまうぐらいなら。


「のぶ…!!のぶ…!!」


鬼神様にお願いしておこう。せめてこの子だけは幸せにしてほしいと。それだけ叶えてくれるなら私は食べられてしまっても構わない。

本当は静かな場所で静かな場所でのぶとひっそりと暮らしていきたかったがそれは絶対に叶わない。だからのぶの無事と幸せだけは叶えたい。

私はぎゅっとのぶを抱きしめ打ち付ける風に目を瞑る。

けれど、この風、初めてではない気がする。どこか懐かしく会いたかった人の記憶が蘇る様な感覚を覚えた。

静かだった空間に鈴の様に美しい声が耳に入ってきた。目の前に誰かの気配も感じる。

私は恐る恐る目を開けてゆっくりと顔を上げた。

そこには、黒色の素敵な着物を身に付け、険しい鬼の仮面で顔を隠した美しい男が立っていた。


(まさか、この人が鬼神…?鬼の神様にはとても…)


想像していた鬼神とはとてもかけ離れていた。

もっと筋肉質で醜い顔をした下品な鬼の神だとみんなは噂していたが全く違う。

何で声をかけていいのか分からずにいた私に仮面をつけた男が私に近づきそっと頰を触れてきた。

いつもなら会ったことない人には威嚇するはずののぶも全く吠えない。寧ろ、嬉しそうに息遣いをしていた。


「あの…」

「やっと会えた」

「え?会えた…って…?」

「僕は弘乃。ずっと昔に桜の樹の下で君に助けてもらった鬼。やっと神様になれたよ。真弥」


鬼の仮面を外し隠していた顔が姿を現す。仮面の下の顔はあの再会の約束をした鬼の男の子そっくりだった。

とても背が高くなって、凛々しさが増し、幼さはもう殆どなかったけれどあの時の子だと分かった。

怪我をして泣いていた鬼の子は約束通り一人前になって私の前に現れたのだ。

そして、やっと鬼の男の子の名前を知ることができた。約束も果たすことができた。

すると、弘乃は私の髪に何かを縛った。それは、あの再会の約束の証として彼が持っていった白い帯。


「これ…」

「必ず返すと言っただろ?」


覚えていてくれたことに私は感激する。彼の愛おしく優しい行動に私は罪悪感を覚える。

彼の目的は真の月の巫女を娶ること。私は無能の新月の巫女だ。

この人の花嫁になる資格なんてない。本当のことを告げようと口を開こうとした。


「あの、私」

「大丈夫。知ってるよ。あそこで馬鹿面してる妹が月の巫女だって。全部分かってて来たんだよ」

「そう…なの…?」

「そうでもしないと真弥を虐めてきた奴らにお仕置きできる機会がなかったから。なー?のぶ」

「わん♪」


弘乃様は久々に会ったのぶの頭を撫でる。のぶも嬉しそうに吠えた。

まさか私が助けた男の子がこんな立派になっていたなんて知らなかった。しかも全部知った上で私を迎えに来たことも。

圧倒されていると、背後から梨花の声が聞こえてきた。


「そんなの聞いてない!!!鬼の神様だから気持ち悪いやつだと思ったのに!!」

「梨花…」

「鬼神様がこんなに素敵な人だなんて…!!鬼神様!!私が本当の月の巫女でございます!!この女は私のお姉様でして、何も持たない無能の巫女。顔が似ているからって貴方を騙そうと…!!!」


弘乃が苛立った様に舌打ちを打つ。


「だからなんだ?自分が僕の花嫁になるべきだと言いたいのか?」

「え、ええ!!その通りでございます!!私は浄化の異能を受け継いだ真の月の巫女ですし、私を貴方の妻にしてくれれば村はもっと良くなります!!!」

「……お前は真弥が十八の歳になるまでの異能の力を高める為の器に過ぎない。それは真弥のものだ。真弥こそが真の月の巫女なのだよ」

「嘘よ!!そんな筈…」

「お前は本来母親の腹の中で死んでいた筈だった。だが、真弥が可愛い妹の為に異能を与えたことで生きながらえた。異能の絶頂期である十八の歳に返してほしいと約束して」


私にそんな記憶はない。母さんの中にいた頃の記憶なんて当然残っているはずもなかった。

弘乃の口から出てくる真実に私は言葉を失う。


「貴様らは、真弥が何も持たずに生まれてきたことを罵り虐げ続けてきた。知らないとでも思ったか?本当はすぐにでも救ってやりたかった。だが、異能の力を高めるには見守るしかできなかった。でも、やっと真弥を救うことができた。そして、これでようやく分かったよ。この村に万能の加護を持つ資格がないと」


周りにいた村の人達は恐怖で押し黙るしかなかった。

この村から万能の加護を取り除かれてしまったどうなるのか目に見えている。

父さんと母さんが慌てて弘乃に謝り倒すも受け入れることはなかった。


「偶然とはいえ、真弥に会えて本当に良かった。あの約束がなかったら僕は神になることを諦めていたよ」

「そう言われるとなんか照れるというか…」


神になってしまった彼の顔を見るのが恥ずかしい。変に顔が熱くなってしまう。

すると、梨花の金切り声が響き渡った。


「嘘!!嘘嘘嘘!!!!全部嘘よ!!!私がアイツに助けられたなんて絶対嘘!!!!私は神様から異能を授かった月の巫女なの!!!私こそ貴方の花嫁に相応しいのよ!!こんな嘘つき女今すぐ殺してやる!!!」

「愚か者が。真弥のお陰で生きながらえたというのに哀れな奴。自己中で反省を見せない貴様にもう人の姿でいる価値はない」


梨花に向かって手を払うと、彼女の着物の裾に火がつきあっという間に全身に燃え広がった。綺麗な着物はもちろん、長い髪の毛や白い肌を容赦なく焼き尽くしてゆく。

梨花はあまりの熱さと肌を焼く激しい痛みに絶叫していた。


「いやぁああぁあぁぁあ!!!!熱い熱い熱い熱いぃーー!!!誰が消してぇぇーー!!!!」

「り、梨花ぁー!!早くあの炎を消してぇ!!!」


両親と村の人達が必死に梨花の身体を焼く炎を消し止めようとするも、余計に炎の威力が増し他の人にも燃え移って行く。

私とのぶは弘乃に肩を抱かれながら苦しみ転がる妹の姿を呆然と見守るしかなった。

けれど、少しも助けてあげたいとは思わなかった。生まれる前は可愛い妹だと思って助けたのかもしれないけれど、しっかりと意思を持った今の私にはとてもそう思えなかった。

ようやく消火された頃には、梨花の全身は火傷を負っていて、長い髪も殆ど燃え尽きていて数本だけちりちりになった毛が残っている程度だった。

梨花をとても溺愛していた母さん達はこの世の終わりだと叫ぶ様に泣き叫んでいた。

溜飲が下がるとはまさにこのことなのだろう。笑えはしなかったが今までの苦しみが報われた気がした。


「え?!何!!」


突然、私の身体が光を放つ。それと同時に力がみなぎる感覚が全身に走った。

まるでずっと私の元に帰ってきたかったと感じさせる不思議な感覚だった。


「な、何…?なんか私の身体が…」

「真弥に戻ってきたんだよ。浄化の異能が。月の巫女の名と共にね」

「私…無能じゃなかったの…?もう新月の巫女じゃないの…?」

「真弥こそが真の月の巫女だ。我々神々もそれを望んでいる。もう悲しむことなんてないんだよ」


驚く私を弘乃は優しく抱きしめた。のぶもどこか嬉しそうだ。


「おね…ぇ、ざ…まぁ…」


虫の息である梨花が私に手を伸ばす。きっと自分の中に浄化の異能が消えてしまったのだと気付いたのだろう。

その異能ちからを返してくれと瞼がなくなった目で訴えてきた。

愚かな両親や村の人達も必死に私に謝罪と懇願してきた。

浄化の異能を使って梨花を助けてくれ、今まで私にしてきたことを全て謝るだからお願いだ、お前の大事な妹なんだぞっと。

さっきまで私を見下した目で見ていた侍女も泣きながら謝っていたが私の応えはもうとっくに決まっている。

弘乃が私に向ける優しい笑顔とのぶの威嚇の声に勇気付けられた。もう迷いなんて微塵もない。

もう私はこんな人達に愛を求めることも、虐げられることももうないのだから。

私は両親達に笑顔を向けた。それを見て母さんはどこかほっとした表情を浮かべていた。


「真弥…!!」

「父さん、母さん……それと梨花。あと村の皆さん。残念ですけどこの異能ちからはもう貴方達には未来永劫使わないことに決めました」


私は彼女らを許さないことにした。どんなに謝ってきても全く気持ちがこもってなかったし、助ける気もさらさらなかった。

母さんの希望を見出した顔が一気に絶望の表情に切り替わり発狂した様に絶叫していた。

父さんは何故だと言って私に掴み掛かろうとしたが、弘乃に突き飛ばされ地面に倒れ込んでいた。


「真弥どうしてなの?!!どうして梨花を助けてくれないのぉ!!」

「それは自分の胸に手を当ててみなよ。私が無能ってだけでみんなからずっと迫害されてきた。そのツケが回ってきただけでしょ?」

「そんな…そんなぁ…!!!お願いです!!真弥様!!鬼神様!!梨花をお助けくださいぃぃ!!!」

「くどい。これ以上真弥を煩わせるな。貴様らが真弥を大事にしなかったのが悪い。そして、僕を騙そうとしたしな」


私はのぶにこんな愚かな光景を見せない為にそっと目を覆う。

追い討ちをかける様に弘乃はある事を告げた。それは一番彼等が恐れていた事だ。


「万能の加護を返してもらう。貴様らの様な異能を授からなかっただけで差別し、傷付いたものを蔑むような奴等にはもう持つ価値など無い」


村の人の一人が「で、でも、ちゃんと真の月の巫女を渡したじゃないか!!」と反論する。弘乃は彼に対し殺気が篭った冷たい視線を向ける。


「ああ。確かにそうだ。だが、異能と加護に目が眩み真弥を生贄の様に扱った。あの妹の代わりの偽の月の巫女として。その時点で全ては決まっていた。貴様らが何を言ってももう遅い」


弘乃が地面に向けて手を翳した途端、無数の光の粒が彼の腕に集まってゆく。この光の粒が万能の加護なのかとまじまじと見てしまった。


「すごく綺麗…だけど、村は一体どうなるの?」

「全てが枯れる。奴等が加護に頼っていた全てが終わる」


神社に植えられていた樹を見ると、さっきまでたくさんの葉を生やしていたのに一気に枯れ果て落ちてゆく。

水分を含んでいた地面もひび割れてゆき作物がダメになってゆく。きっと漁も同じ現象が起きているのだろう。

神の加護を失った村は死へと進んでゆく。

万能の加護を取り戻した弘乃は、もう此処には用はないと言いたげに私をそっと抱き上げた。

私は驚いて少しだけのぶを抱きしめる力がこもってしまった。慌てて大丈夫?確認するとのぶは元気に"わん!!"と可愛く吠えた。


「いが…な…いでぇ…お、おね…ざ…ま…」


梨花は酷い火傷を負った手を必死に私に伸ばす。私はその腕を振り払う様に宣言した。


「今までありがとう梨花。私の妹でいてくれて。でも今日で最後。私は鬼神様と幸せになるわ。貴女もこれから大変かもしれないけど頑張ってね。さよなら」


阿鼻叫喚の中を弘乃に抱かれながら村を旅立つ。

初めて空を飛んで驚いたけれど怖さはない。寧ろ心地よかった。

空から故郷を見つめる。

のぶと弘乃の出会い以外この村に良い思い出はない。だから未練も何もないし残した物もない。

でも、幾ら私が真の月の巫女だとして異能を取り戻したとしても本当に彼の花嫁なっていいのだろうか。

人間である私なんかよりももっと素敵な人があるんじゃないかという疑問が生まれる。

もし、彼に相応しい人が現れたらのぶと一緒に何処かの山奥でひっそり暮らそうと思いながら私は弘乃の胸に身体を預け彼から返してもらった白い帯と髪を靡かせながら眠りについた。


「大丈夫だよ。僕が真弥を守るから」


弘乃の優しい声で呟いた思いを私はわざと聞こえないふりをした。

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