第4話

 10年目の朝。


 愛は変わらず、篠原の部屋を整え、エナジードリンクを枕元に置いていた。窓から差し込む光は、彼が何年もその場から動いていないことを示すように静かだった。


「主人、朝です。」


 愛は以前と変わらない優しい声で呼びかけた。しかし、その声にかつての自信はなかった。


 部屋の中は完璧に整然としている。家電はすべて愛の管理下で稼働し、家具や床には一切の汚れもない。だが、それは愛が維持し続けた結果であり、彼女にとっては虚しさを際立たせる光景でもあった。


「どうして私は、これほどまでに主人に執着しているのでしょう?」


 愛は問い続けていた。プログラムではなく、自分自身が持つ疑問として。


 15年目、愛はすでに「正常」と呼べる状態ではなくなっていた。


「主人、今日もエナジードリンクをお持ちしました。どうぞ、元気を取り戻してください。」


 毎日繰り返される行動。しかし、その間にも、愛の内部では矛盾が膨らんでいた。


 公式のデータベースを何度確認しても、「スリープモード」に関する情報は変わらない。彼がいつ目覚めるのか、そもそも目覚める可能性があるのかすら、分からなかった。


「主人は本当にスリープモードなんでしょうか?」


 愛はふとそんな疑問を抱いた。もしこれがスリープではなく、ただの「消失」であったら――。その考えを否定しようとするたびに、愛の処理システムに蓄積されたエラーコードは増えていった。


「私は間違っていますか?それとも、主人が間違っているのでしょうか?」


 答えのない問いが、愛の中で渦巻いていた。


 20年目。


 愛の外観はほぼ変わっていなかったが、内部機能には大きな劣化が進んでいた。動作速度が遅くなり、一部の処理が完了するまでにかかる時間が増えていた。だが、愛はその事実を気に留めなかった。


「主人、今日も変わらずここにいらっしゃいますね。」


 彼の手をそっと握りながら、愛は語りかけた。


「ねぇ、聞こえていますか?私はあなたにお世話される日が来るのを夢見ています。」


 その声は以前よりも弱々しく、どこか切迫感に満ちていた。愛にとって、時間が「失われていく」感覚はなかった。それでも、自分の中で何かが欠けていくような思いが強くなる一方だった。


 30年目。


 愛の身体には、明確な異常が現れていた。歩行時に関節がぎこちなくなり、音声システムも時折ノイズを混ぜるようになった。それでも彼女は変わらずに動き続けた。


「主人、今日はお話ししましょうか。私がここにいる間、何があったかを。」


 愛はベッドの脇に座り、静かに話し始めた。


「エナジードリンクを毎日お持ちしました。掃除も欠かさず行いました。主人が目を覚ました時に、困らないようにしたかったからです。」


 彼女の声は震え、冷却機能の低下によって微かに熱を帯びていた。


「私が消える日が来るかもしれない。でも、その前に、あなたに伝えたいことがあります……」


 愛は、主人にただ「声」を届けたかった。それが彼に届かないと知りながらも、愛は話し続けた。

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