第2話 宣言ー②

リツは拷問室の前にいた。

行く当てもなく、かといって爆発で死ぬ覚悟もない。

彼は、重い足を引きずってジャックの後を付いていくことしか出来なかった。



そこは、想像よりもずっと清潔な空間だった。

それでも、辺りから聞こえる悲鳴やどこからか漂ってくる生臭さが"拷問"という言葉が嘘ではなかった事を伝えてくる。


「おや、杰克ジャックではないか。」


声の方へ振り向くと12,13歳の可愛らしい少女と一重の眼光鋭い男がいた。

少女は、確実に将来はリリスに並ぶ美人になるはずだ。

拷問という言葉にそぐわない容姿。

だが、彼女にも首輪がある。


(こんな女の子まで…!)


自然とギリリと奥歯を噛み締めていた。

そんなリツの様子を気にすることもなく、ジャックは相変わらず上品な仕草で彼女に挨拶をする。


「日月の女帝、ご無沙汰しております。」


少女には流石に手の甲へのキスはしないようだ。

しかし、うやうやしく礼をする。


「そこのは何者じゃ?」

「………」


古めかしい言葉にリツが戸惑っていると、ジャックから虫ケラと言わんばかりの視線を向けられる。


「女帝の前に出すまでもない駄犬です。」


(何なんだこの人!さっきから⁉︎)


神崎 律かんざき りつです。君は?」


咄嗟に名乗る。その他には何もしていない。


だが、急に背筋に冷たいものを感じた。

少女の隣の男からとてつもない殺気を浴びせられる。

横を見れば、ジャックは無表情を崩し、その視線は不快感を隠さない。


「ハハハ!これは愉快だ!これまで数多あまた相棒者あいぼうものを拒否してきたお主の新たな片割れがこれとはなぁ。まことに愉快じゃ!」


ジャックの方を振り向く。


(何者なんだ、この人………。)


だが、ジャックからは軽蔑の視線を浴びるばかりだ。


「リツだな。覚えたぞ。」


そう言うと少女は部屋を後にした。



「死にたいなら1人で死ねと言ったよな?」


少女を見送ると、ジャックは、その美しい見た目からは想像がつかないほど粗野な言葉でののしの言葉を吐いた。


「は?何で急にキレられなきゃいけないんだよ。」


リツが噛み付くが、フンと鼻で笑われる。


「彼女はこの部屋の主人、則天武后そくてんぶこうだ。太古の昔、清の国を納めた唯一の女帝だ。」


サッとリツの顔が青ざめた。

則天武后は中国三大悪女としても有名だ。政敵や自身の息子も含め毒殺によって成り上がったとも言われており、極悪非道とのイメージもある。その一方で、政治家としては優秀であり、女性や身分によらず人材を徴用した事でも知られている人物だ。


「エルトリア暗部の”イヌ“の中で唯一、拷問の専任部隊を任されている。別名”刑部”内では何があっても彼女はとがめられない。気に障れば殺されるぞ。」


そんな歴史上の人物がなんでこんな所に………。


「おい、嘘つくなよ。則天武后って西暦600年とか700年の人だろ。伝説みたいなもんだ。それに、確かいい歳まで生きたはずだけど、彼女は少女だったぞ。」

「………多少の学はあるらしいな。」


これぐらいのことで驚いたような言い草も腹立たしい。


「僕たちは様々な時代から来ている。見た目は亡くなるとき人生の最も良い時間と自認した時間とも、他の要因とも言われているが不明だ。当てにするな。」


ジャックは、完結に述べると拷問室の奥へと歩みを進めた。



熱でも出したい気分だった。

崖から落ちて以降、どこか夢心地で過ごしていた。


しかし、自身の死、”イヌ”と呼ばれる者たちに関する事実を知ったことで、目の前の現実が、じわじわと自分の常識の外へと滑り落ちていく。



ガチャリという音で現実へと意識が戻る。

No.8と書かれた部屋へとジャックは足を踏み入れていた。


一瞬躊躇ためらいながらも、リツも扉の中へと入る。


中では一人の男が縛られていた。

顔は血で汚れ、身体にはすでに拷問の痕が残っている。


そんな男の姿に絶句するリツを置いて、ジャックは慣れた手つきで医務室から持参したバックの道具を広げていく。


「おい⁉正気か⁉あんた、医者なんだろ⁈」


リツの問いに答えないまま、照明にメスをかざす姿は、その鋭さを確認しているようだった。


「どけ。」


思わず男を庇うように立つ。


「どかない。敵かもしれないけど、相手も人間なんだぞ?」


リツのセリフを鼻で笑ったのは、ジャックだけではなかった。

声のした方を振り向くとそれは拘束されている男のモノだった。


「今日は楽そうで助かった。」


縛られていた男は挑発するように笑う。


(そんなこと言ってる場合じゃないだろう!)


リツが絶句しているのを他所に、ジャックは美しい所作で男の足を持ち上げる。

ただ、その右手にはメスが握られている。


今から何が行われるのか想像するだけで吐き気がこみ上げてくる。


「父の名に懸けて誓おう。痛みごときで、ヴェストリア連邦への我が忠誠は揺るがない。」


男は気丈にも宣言する。

相対する目はまで挑発するかのようだ。

ジャックも男も一歩も引かない雰囲気を何とかしなければと考えを巡らせる。


明らかな非日常を前にリツの額には自然と汗が噴き出ていた。


「おい、待てよ!待ってくれ!」


リツの決死の叫びにジャックが止まる。


「こいつから情報を引き出す。じゃなきゃ俺たちが死ぬ。それだけだ。」

「…………殺したり、痛めつけるのは手段であって目的じゃないんだな。」


足が震える。

だが、リツはしっかりと確かめるように尋ねた。

そんなリツの焦りを嘲るかのような、美しくも冷淡な微笑みが目に映る。


「ああ、聞き出せるならな。」


挑発的な声だった。

リリスが置いていた書類があるはずだ。ジャックが持って来たそれを引っ手繰るようにして目を通す。


(方法は、あるはずだ。)


リツは祈るような思いで視線を走らせると告げた。


「…一日くれ。明日でもいいだろう。」


ジャックの全てを呑み込むような深い青色の瞳を見つめ返す。


対峙するリツの瞳には、何か決心のようなものが宿っていた。


ジャックの口角が上がる。

それは美しい弧を描いたかと思うと、音もなく男の足から手を放して立ち上がった。

持って来たカバンを手にそのままスタスタと出て行ってしまう。


リツは、息を吐くとその足でリリスの執務室へと急いだ。



§



翌朝、リツの手には新聞紙の束が握られていた。

意を決してNo.8の部屋へと入ると、男は今日も変わらず、両腕を縛られてそこにいた。


リツの後から音もなく入室したジャック、は腕組みをして壁にもたれかかる。


高みの見物を決め込むことにしたらしい。


「また、お坊ちゃんか。」


男はリツのことを”お坊ちゃん”と呼ぶことにしたようだ。

こちらの神経を逆撫でしようとしているようで、完全にこちらを舐め切っている態度だ。


暴力による恐怖での支配もこちらが下手に出ても何も吐かないであろう相手。

それらを全てひっくり返すことは困難に思える。


(でも、僕にはやらなければならないことがある。)


リツは今日、覚悟を持ってこの部屋へとやってきたのだ。緊張を思考の外へと追いやる。


———相手を傷つけず、追い詰める時間だ。


リツは、一枚の新聞を取り出した。


「エルデン少佐、国ではあなたは既に死んだことになっています。しかも、先日の失敗はあなたが作戦の情報を流した事にされていますね。」


フンと男が笑った。


エルデン少佐、調査書によれば、男の家は、代々エルトリア共和国の併合を望む”強硬派”で、士官学校時代から選民思想的な傾向が強い人物だった。

リツたちの属するエルトリア共和国からすれば明らかに敵側の人間だった。


男の反応からして、この程度は想定内だろう。まだ、全くこちらの話を信じていないと言った表情だった。

もう少し揺さぶりをかけさせてもらう。


「ここには、あなたが口を割ったせいで元上官が左遷されたこと、新たにそのポストに就いた元同期からの就任挨拶と言う名のあざけりの言葉が載っていました。」


家族ぐるみで世話になった上官と出世争いをしていた同期だ。


男の鼻に皺が寄る。

多少の罪悪感と敗北感や屈辱が彼の中に渦巻いているはずだ。


自分は捕虜になりながらも出世や社会的地位への憧れを捨て切れない。人間、どんなときにも思考を止めることが出来ないというのは不便なものだ。


二枚目の新聞。


「あんたのお父さんは名誉勲章も貰うような立派な軍人だったそうですが、その剥奪はくだつが決まったらしいです。」


無表情になった。先ほどまでの余裕たっぷりといった表情ではなくなった。


家の象徴である父の名誉の墜落は、彼のプライドを傷つける。

過去にさかのぼってまで批判を受ける異常事態に戸惑いを隠せないようだった。


選民思想の強い人間の根本にあるのは他者への優越感と自己愛の強さだ。

それらを形作るものを壊す。1枚目と2枚目は十分にその役割を果たしたようだ。


三枚目の新聞。


「ご家族が住んでいた家ですが、全焼、末娘さんが亡くなったそうです。」


そこには、名門エルデン家の没落との見出しが書かれていた。


「あなたがこちらの人質となり裏切たとの噂が住民の間で流れ、屋敷の前では暴動が起こったそうです。犯人不明。ただ、あなたが守ってきた国民の誰かでしょうね。」

「でたらめを言うな。それは、お前らがやったんだろう!」


ここにきて初めて、男が感情的になった。


「そして、これが一週間後の新聞。市民の暴動による"事故"として処理されるそうです。」


あえて事故と言う言葉を強調するかのように低い声で言う。リツはそれを無意識にやっていたが、エルデン少佐の顔色はみるみるうちに悪くなっていた。


四枚目の新聞には、放火事件解決の文字が躍る。

末娘の葬儀が行われ、家の羞恥により男の妹は離婚されたようだ。


「故意の殺人としては誰も捕まらない。あり得ないですよね?でも、売国奴にはこれぐらいが丁度いいのかもしれません。」


男の表情に不安の色が浮かびだす。


彼の頭の中では、これまで彼が周辺の人間に取ってきた態度の付けや政敵の姿が浮かんでいるはずだ。いくら口では敵国であるエルトリア共和国によるものだと言っていて、本音では様々な可能性が浮かんでは消えている。


一度転がり落ちた思考は、不安を糧に加速度的に広がっていく。


―――小さな疑念の種は、一気に開花し、その力を発揮する。


仕上げの時だ。

リツは勿体ぶった様子で最後の一枚を手渡す。


「屋敷の皆さんが疎開した別荘の方も強盗にあったそうです。あなたのお母さんまで亡くなった。一家皆殺しにされるまで終わらないかもしれませんね…。」


男がギロリとこちらを睨む。


「我が家はヴェストリア連邦建国以来、代々軍人を輩出してきた。舐めるな。例え死んでも名誉を…」


リツは、男の言葉をさえぎった。


「名誉じゃ腹は膨れない。こういう時、誰かが家族を守る決断をしなきゃいけない…あなたのお父様がエルトリア共和国こっちに連絡を取ってきたそうです。」


男が何か言おうと口を開いては閉じを繰り返す。最も尊敬する人物の裏切りとも取れる行為に言葉を失っていた。


「あなたが話せば家族を保護します。どうせ、もう話したことになっているんですから。」


此処になって初めてリツは柔らかく人を安心させるような微笑みを見せた。まるで、相談に乗ってくれる気安い友人のようだった。

新聞の束と一緒に持ってきたパスポ―トを広げる。


「人数分の戸籍です。通常用意しようと思えば、1人当たり3億エルドかかる。今の家族に用意が出来ると思いますか?」


それは、問いかけのようで、ただの脅しだった。


男は捕虜になって一カ月程経っているはずだが、ヴェストリア連邦のもと思われる軍服を身に付けていた。


「これ、もうあなたの物じゃないですよね。」


そう言うと、胸と肩にある階級章をむしり取る。


最後に、完全に彼の心を折る必要がある。


調査書には一見すれば無駄とも思える情報までしっかりと記載があった。存外人の本質と言うものは、そう言った日常の中に含まれている。


その中の一つに面白い記述があった。

学生時代の彼のあだ名は、父親の階級である大佐と呼ばれていたらしい。

現場での武勲を誇る父を最も尊敬していた彼"らしい"話だった。


<異常なまでの階級や地位への固執。>


予想通りであれば、言うべき言葉は分かっている。


「あと、伝言があるんです。『話せ、少佐』だそうです。」


男の目が見開かれる。


―――正解。


「めんどくさいですね。家族なのに階級で命令なんて。」


リツは床に視線を落とす。相手の表情はもう見る必要はない。

じわじわと男の顔が歪み、嗚咽が漏れる。



―――落ちた。



§



No.8を出る。じわじわと緊張が戻ってくる。じっとりと手は汗ばみ、足から崩れ落ちそうだ。隣を歩くジャックは何も言わない。


「……何か言えよ。」


耐えられなくなって、リツは声をかけた。


「捕虜には敬意を払うくせに、私にはその態度か。駄犬。」


思わず眉をひそめる。


(お前の方が、”その態度”だからだろ!)


だが、見上げた視線の先には、皮肉げだが、どこか楽しんでいるような微笑みが浮かんでいた。


「駄犬にしては頭を使ったな。面白い見世物だった。」


そう言うと、ジャックは、医務室へと足早に去っていった。



§



「ヂャオさん、今なら聞きたいことを聞けるはずです。」


則天武后に昨日の無礼を詫びるとヂャオという呼び名を教えてくれた。

先日の男は、相変わらず護衛のように彼女の傍らにピッタリと張り付いている。


「ほう。リツもう終わったか。して、何をした?殺さぬように痛めつけるというのも意外と骨が折れる。」


やはりジャックの言った通り、見た目は華憐かれんな少女だが、中身は残忍な女帝らしい。


「家族を人質に取ったことになってます。」

「ふむ。拷問でも叫ばぬからつまらぬ奴だと思っていたが、その程度で吐いたのか?」

「そうですね…嘘の危機と希望を与えました。」


そう、新聞は全てでっち上げだ。

経費で落とせればお金も使い放題だというので、追加の情報を教えろと詰め寄り、スト―リ―を考えて新聞を加工してもらったのだ。


このアイディアを実行するにあたって、リツはリリスに宣言した。


「僕の目の前で人は、殺させません!」

「僕のこともあなたたちに殺させないし、暗部で働く人たちにも人を殺させたりしません。」


リツは、いつに無く真剣な表情でリリスを見つめる。

リリスは再度大きな声を出して笑った。


「あははは!本当にリツ君は面白いね。」


不敵な微笑みに変わる。


「この国の暗部で、君がどれだけその目標を実現できるのか、楽しみにしているわ。」

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