第4話 ヴァストリア連邦ー①
リツとジャックは、ヴァストリア連邦の首都ゼルグラード空港にいた。
エルトリア共和国は、長らくヴァストリア連邦と緊張状態にある。
暗部は、エルトリア共和国の安全保障に関わる障害を排除する事を目的に動いているのだ。
今回の
「敵国の軍司令官、アルバート・ローエン。異名は”ヴァストリアの砦“。」
レンツェオという2カ国間の北側では定期的に小競り合いが起きていた。
その敵の中将が今回の
レンツェオは、致命的な戦いには至らないが、だからこそ勝敗もつかずエルトリアはずっと悩まされているらしい。
ユージンは厳しい表情で告げた。
「彼を排除すれば、敵の前線は崩壊する。普段は前線近くの要塞に籠っているが、首都にいる間は移動も多い。隙を狙え。」
現地での暗殺任務。
これまでで最も危険度が高いものだ。
§
「この服、お前のより地味じゃ無いか?」
軍服で行く訳にもいかず、並んでも違和感が無いように仕立てられた普段着は、まるでリツがジャックのお付きの者のように見える。
「駄犬にはちょうどいいだろう。」
「は?」
「顔は変えられないからな。」
「ちょっと顔がいいからって調子に乗るなよ!」
リツが噛みつくが、どこ吹く風だ。
相変わらず、ジャックは失礼だった。
空港からゼルグラードの中心部まで1時間ほど列車に乗るが、予定通りアルバートも部下たちと一緒にお忍びで乗るようだ。
隣の車両にアルバートが乗り込むのを確認する。
「お前、何もするなよ。」
リツは、ジャックを威嚇するように睨んだ。
「数を数えられない程バカに見えるか?」
ジャックは窓際で頬杖をついていた。
すれ違う女性たちの視線を集めている。
まったくもって、鬱陶しい。
列車は順調に中心街に向かっていた。
最後の橋に差し掛かる。
浅瀬の川に跨る橋を抜ければ、首都ゼルグラードだ。
―――ドガァァァン!
耳をつんざく轟音。
鉄の軋む音と共に、列車が急停止した。
爆発だった。
「…お前か?」
「僕がするわけないだろう⁉」
そう、今度こそ―――絶対に、殺させない。
自分たちの車両に被害はない。
野次馬に交じって
特に追加の敵襲はなく、爆発に巻き込まれたようだが、影響はなさそうだ。
それよりも、一般市民が巻き込まれ、痛ましい
「私たち以外の人間がいるな。」
何も暗部から爆破の予定などは聞いていない。つまり、彼らのあずかり知らぬところで別の何者かがアルバートを狙っているということに他ならなかった。
ジャックはそう言うと興味がなさそうに席へと戻ろうとする。
「おい、お前医者だろ?助けろよ。手伝う。」
「駄犬、任務を忘れたか?」
任務に失敗すれば死ぬ。
今回の任務は要人の暗殺、ターゲットの目の前に赴いてわざわざ目立つ事は避けるべきだろう。だが、目の前で
「お前にも、更生の機会は必要だ。」
リツの表情が変わる。エスターヴァン邸で見た"あの顔"だ。
能面のように感情が見えない。
(少女を殺した、こいつを許したわけじゃない。でも…こいつの腕は確かだ。)
医務室での姿を思い出す。リリスによって患者は男性のみに限られているが、的確な診断で年配の医者からも一目置かれている。
更生の機会は―――皆平等に与えられるべきだ。
自分の命が天秤にかけられている状況での人助け。
リツはこれを良い機会だと考えていた。
「やらなければ死か?」
ジャックは自分の命がかかっているにも関わらず、面白そうに余裕の微笑みを浮かべている。
「ああ。」
「私、相手に?」
何も準備はしていないが、いざとなればリツはやるつもりだった。
「もちろん。そもそも、僕は出来ることがあるのにやらない人間は嫌いだ。」
「………ノブレス・オブリージュか。」
「ああ…施しなんてまっぴらごめんって人もいるだろうけど、何も出来ずに人が死んで行くのを眺める野次馬より、よっぽどマシだ。」
そう言うとリツは「こいつ、医者です!」と言ってジャックを
「トリアージだっけ?やるんだろ?」
ジャックは、溜息を吐く。
「エルトリア式しか知らんぞ。帝国では、フランス式はやらない。」
「お国柄ってヤツか。飛行機だって第三国経由なんだ。留学で学んだ事にすればいい。」
2人は、緊迫する車内へと乗り込んでいった。
§
「あー、疲れた…。」
リツがため息交じりに言葉を吐く。
いつもの悪態はなかった。
ジャックは、空いていたリツの隣に前屈みで座り込む。
前髪を掻き上げる姿は
窓の外を見れば、月明かりで星が霞んでいる。あれから5時間以上経っていた。
足音が近づいてくる。
「君たち、ご苦労だった。」
そう言って現れたのは
あの場にはアルバート以外、要人と呼ばれるような人物はいなかった。つまり、狙われたのが自身である事は明白にも関わらず逃げなかったようだ。
(流石、ヴェストリアの砦…なのかな。)
中将であるにも関わらず、前線を退かない彼を変わり者と言う者もいるようだが、敵ながら武人としては尊敬できる人物に見えた。
爆発の後、停止した列車に到着した部隊が乗客を降ろす際の陣頭指揮を取っており、軍病院まで着いてきたらしい。
「おい、この方は中将だぞ。立たないか。」
アルバートの部下に言われ、渋々立ち上がろうとするとアルバートが止める。
「いや、いい。それより大活躍だったそうだね。」
あの後、ジャックのトリアージをひとしきり手伝ったのち、リツは他の車両から名乗り出た医者たちを集めるなど救護に奔走していた。
「軍は、ぜひ君たちの事を表彰したいと言い出すだろう。」
「お気持ちは嬉しいですが、当然の事をしただけなので…。」
リツの遠慮がちな言葉にアルバートは面白そうに目を細めた。
「ほう、謙虚だな。親御さんも喜ぶと思うが。」
「………。」
(母さん、
故郷の母と妹を思い出す。
2人ともリツの死を悲しんでいるだろうか。
辛い思いをさせたのではないかと思うと胸が張り裂けそうだった。
「私は、親とは絶縁していますし、彼の両親は異国に。」
ジャックからの思わぬ助け船だ。
「ふむ、そうか…では、代わりと言っては何だが、後日、私のタウンハウスでの食事会でもどうかな?」
「中将!どこの馬の骨とも分からん奴等ですよ?」
「私が良いと言っている。どうだい?ケン・ドミトリー、エドワード・バトラー君。」
誘っているようだが、脅しにも聞こえる。
それにもう、こちらの身元は調査済みのようだ。
だが、偽造身分証がちゃんと軍相手でも機能することが分かった。
計画には無かったが、虎穴に入らずんばなんとやらだ。
「ええ、お邪魔させていただきます。」
リツは立ち上がると返事をした。
§
その日は暗部が用意したホテルまで送ってもらい部屋に傾れ込む。
経費削減のためかツインルームだった。
やっと、体を横にすることが出来た。
何となく手持ち無沙汰になり、本を開く。
それは、この任務の直前にリリスから勧められたものだった。
一つ気になるのは、その本の中に『アルバート』と言う登場人物がいると言う事だ。しかも、彼は最初は主人公の敵だが、話が進むと考えを変え主人公の味方になる。
「訓練で習った暗号解読方法は全部試したんだけどな…」
何か意図があるのではと思って本を調べていたが、解読は行き詰まっていた。
「返せ!」
「うるさい。駄犬。」
気分を切り替え、シャワーから上がるとジャックが本を読んでいた。
「…追加書類は?」
リリスから書類をもらった記憶はない。
「セシリアさんから追加調査の内容は貰ったけど…。」
「情報分析官の彼女か。見せろ。」
「そんなの敵地で持ち歩く訳ないだろう!」
仕事に関する情報は直ぐに燃やす決まりだ。
「医療記録に関して覚えている点は?」
「目立った持病はない。入院は昔は数え切れないぐらいしてたみたいだけど…。」
「病名は。」
「流石に全部覚えてる訳ないだろ!医者じゃないんだから…。」
―――チッ。
(舌打ち………⁈)
今日、多少見直したのだ。彼は“更生”を選択した。
ランドルフがいい例だが、人は楽な方へと流れる。中々出来ることでは無い。
それに何より、客観的に見て、医者としての彼は優秀だと言える。爆破現場では、取り乱す事なく年長の医者たちにも的確な指示を出していた。
列車内での働きに免じて、怒りを押し殺して資料の内容を思い出す。
「先に言っとくが、こっちは医者じゃないんだ。けど、覚えてるのは、大昔、捕虜としてエルトリア共和国側のレンツェオの病院に運び込まれた事はあったみたいだけど。」
「年度と病名は?」
そこからは早かった。
「お前、本当に頭良かったんだな。」
「これぐらい普通だ。」
ジャックは、リツでも分かるような有名大学の医学部を19世紀後半に首席で卒業していた。あくまでリツが閲覧できる資料を見る限りではの話だが。
彼は、リツの渡した情報をもとに暗号解読を瞬時に済ませてしまった。
―――“守れ”。
たった二文字。
暗号の解読結果とは思えない程短い。
「どう思う?」
「任務に反する。実現不可能だ。」
「でも、リリスさんが無闇にこんなことするか?」
沈黙が落ちる。
「死にたいなら一人で死ね。」
そう告げるとジャックは困惑するリツを残して眠りについた。
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