第3話 計画犯になりうるか




どうしてこうなった。アデルは頭を抱えた。

西のエルフの王、エリュシオンがレストリア王国に訪問して早1ヶ月——。


「アデル、森で鹿を狩ってきました」


彼は非常に馴染んでいた。

まるで昔からこの地にいたかのように。




冬のレストリアは雪がよく降る。

しかし最近は春の訪れが近いのか、柔らかい陽射しが窓から差し込むようになった。

雪解けの水が滴り、凍っていた小川も少しずつ流れを取り戻している。空気はまだひんやりとしているが、風の中にほんのりとした暖かさを感じることができた。


エリュシオンは自身の国から持ってきたという愛用の弓を肩にかけ、森へと消えていき、数時間後には獲物をこさえて帰ってくる。動物はを毎日狩るようなマネはしない。

しかし彼は同じく滞在している二人の側近を伴って、日中の時間に一度は森へ出向いているのか、獲物以外にも執務室に篭りがちなアデルに蕾のついた花や咲き始めた植物を持ってくる。森の木々にはまだ冬の名残があるものの、彼が持ち帰る花々は春の訪れを知らせるものだった。


はじめはアデルも「え! ありがとう!」と相手がエルフの王であることを忘れながら、無邪気に感謝を述べていたものだ。

しかしここまでくるともはや餌付けに近い。

デスクの隅には、エリュシオンからもらった植物がいくつも飾られている。


「アデル」


そしてなにより、アデルの心をぐらつかせるもの。


「夕食の時間だ。ほら立って」


頑張ったね、と言いながらエリュシオンはアデルの手をとる。

ねぎらいの言葉と、手をとる肩に触れるといったほのかなスキンシップ。


やれ身なりがどうだ、やれ仕事ばかりだ、と口うるさい様子は一切見せない。身体的な接触を強いる仕草もない。

「これが年上……、」とアデルは時々胸がキュッと縮む感覚に首を傾げていた。

胸がキュンとときめけばいいのだが、そこまでの情緒が彼女のなかであまり育ってはいなかった。


食堂に着くと、机の上には白い湯気の立っているシチューとサラダとパンが置かれていた。

シチューはホロホロと崩れるほど柔らかく煮込まれた肉と、甘みを増した根菜がたっぷりと入っている。ジャガイモは口に入れるとほろりと崩れ、クリーミーなルーと絡み合う。サラダには雪の下で甘さを増した葉物と、酸味の効いたドレッシングがかけられていた。パンは焼きたてで、千切るとふんわりと湯気が立つ。

王族の食事にしては簡素だ。これなら隣国の貴族の方がもっと豪華な食事をしているだろう。しかしアデルは料理長が作る、この素朴な味と国の食材が大好きだった。


「これは……?」


食べ始めてからしばらく経って、アデルはエリュシオンの近くにある皿を見る。

エリュシオンの皿の隣には珍しく、みずみずしい果実が房ごと並んでいる。緑色の葡萄の皮は透き通るように薄く、光を受けてほのかに黄金色を帯びていた。


「西方の、私の国から取り寄せた果物だ」

「そうなんだ」

「食後に食べよう。美味しいよ」

「うん」


エリュシオンの言葉に「うん」と言いながらアデルは頷く。

執務で頭を酷使したからなのか、その仕草はどこか幼い。


エルフは食事の時間を大切にしているらしい。

アデルの斜め前で食事をとる彼は、いつもゆっくりと食べ物を口へと運ぶ。スプーンを持つ仕草は優雅で、食べる動作の一つ一つが洗練されていた。エリュシオンはシチューを一口含むと、丁寧に味わうように目を閉じる。


「やっぱり、ここの料理は美味しいね」

「そう? よかった」


アデルもスプーンを手に取り、シチューを口に運ぶ。

ほっとするような温かさが喉を通る。

エリュシオンはそんな彼女の様子を微笑ましく眺めていた。


食べ終わると給仕の使用人が皿を下げた。

アデルとエリュシオンの間には、宝石のようにキラキラと輝く緑色の葡萄が置かれている。薄い皮の下に詰まった果肉が、燭台の揺れる灯りを受けて透き通るように輝いていた。

それを一粒、エリュシオンは指で摘まむ。その動きすら無駄がなく、まるで一つの儀式のように見えた。


「アデル」

「ん?」


ふにゅっと唇になにかがあたる感覚。

瞬間、アデルの肩がぴくりとなって止まる。


「食べて」


いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべて、エリュシオンがアデルの口元へと葡萄を一粒差し出す。


「エリュシオン? えっ、ちょ、」


なにをしてるの、という抗議の声をあげるために口を開くと、 エリュシオンの指と間に挟まれた葡萄が、するりとアデルの口に入る。

ぷちっとした食感とともに、甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。 香り高い蜜のような甘みが舌に残り、思わずアデルの目が瞬いた。


「……っ、」


アデルは慌てて手で口を覆い、エリュシオンを睨む。

しかし彼はどこ吹く風といった様子で、満足げに微笑んでいた。


「ほら、美味しいだろう?」


からかうような声音に、差し出した自身の指を舐める仕草。

真っ赤な舌が動く度に、心の中で何かが弾けそうになった。いやに扇状的だ。

アデルの頬がじわりと熱を帯びる。


「あのねぇ、」と使用人や臣下の前でなにを、と恥ずかしさに顔をしかめながらも、言い返そうとした瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。


「女王様っ!」


ドタドタと音を立てながら入ってきたのはリンデルであった。その手には手紙があった。


「どうしたの、リンデル」


アデルは先ほどとは打って変わり、すぐに為政者の顔となった。まるで一瞬前までの恥じらいを忘れたかのように。

その姿にエリュシオンは感心すると同時に、どこか悩ましげに思った。アデルの顔は赤らむと、最初はほんのりと頬が染まり、次第にその色が深く広がる。

自身の心を満たしてしまう彼女はまさに劇物に等しかった。


走ってきたのだろう。

リンデルは息を整え、手紙をアデルに差し出した。


「ウィルザード王国、サブリナ・ウィルザード様からお手紙です」


その名前が告げられると、部屋にいる全員の空気が一変した。

エリュシオンとその臣下以外の、部屋にいる使用人を含め、かすかに殺気と緊張に似たようなものが漂った。


「見せて」


アデルが冷静に言うと、その凛とした声に、部屋の空気が一層静まり返った。

手紙を開く音だけが響く。

最初にアデルが口を開いたのは、意外にも「ふふ、」という含み笑いだった。その笑みは、少しだけ冷ややかに見えた。


「エリュシオン。もしかしたらあなたを巻き込んじゃうかも」


彼女の声は一変して、弾んでいて楽しげな響きがあった。まるで今までの緊張感が一気に解けたかのように。「もちろん巻き込んでもいいよね?」と強気で、是非を問う様子がないあたり、彼女はまさしく王族だった。

しかしその目は鋭く、何かを隠すように伏せられている。


「構わないよ。……君にそんな熱烈に思われる人間か、妬けるな」


エリュシオンは、いつものようにサラッと告げた。

しかしその好意的な言葉も、いまのアデルには聞こえていないようであった。

彼女の態度にエリュシオンは「おや?」と思いながら少しばかり目を開く。

普段であれば、アデルは慣れていない様子で、こんな場面では少し照れくさそうに「う、うん」とか、「そうなの?」と言って恥じらいの色を見せるのが常だった。

しかし、今の彼女にはそのような感情はまったく見えなかった。


「サブ……なんだっけ」


エリュシオンが、あえて興味がないかのように、手紙を送ってきた人間の名前を尋ねた。


「サブリナ・ウィルザード。喧嘩をふってきたのよ」


その一言は、まるで誰かを思い出すかのように、深い影を落とした。

アデルの顔には一切の表情の変化もなく、ただその事実だけがぽつりと告げられる。


「買ってやろうじゃない」


彼女の楽しげに揺れる言葉が部屋に落ちた。



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