ちいさな恋の短編集 ep.3「その女優」⑧

   

 放送終了後、京人は東京第一病院に向かった。

 朝からの雨が窓ガラスに滴っている。

(柴さん?)

 廊下の長椅子に佇む、芸能事務所の社長を見つける。


「誰も来ないんだよ。役者仲間とかいっぱいいたのに。事務所から言われてるんだろうけどさ。みんな、薬物中毒かもしれない女に関わりたくないんだよ」

 誰に話すともなく、柴がつぶやく。

 気まずい空気。

 京人は隣に座り、意を決したように告白を始めた。


「柴さん。俺のせいなんです」

「はん、自惚れるな。あんたらの影響力だなんて思っちゃないよ」

「そうじゃなくて。俺、実はひと月ほど前に局内でバッタリまちこに会ってたんです…」



 首都テレビ局内。

 食堂で昼食をとりに来た京人は、不意に背後から声をかけられた。

「マツキヨ!」

 振り返ると、サングラスをかけた深町玲だった。


「何。どうしたの、こんな所で?」

 音信不通だったので当然だが、まちこは京人が業界人になっていることを知らなかった。

「ま…いや、深町さん?」

 その答え方が、まちこには寂しかったようだ。

「あ、うん。15、6年ぶり、とかだもんね。そうよね」

 まちこ、と呼んでほしかったのだろうか?



「それで電話番号交換して、まちこが倒れた夜…」



 

 オンエアの準備を終えた京人は、家で酒を飲んでいた。

(いつまで経っても、慣れへんな)

 本番前日はいつもそうだ。

 それほど、生放送のプレッシャーは大きい。

 携帯電話が鳴った。

 『まちこ』の表示。

「もしもし」


 玲のマンション。

テーブルには、ワインの空き瓶が複数転がっていた。

 大型テレビでは『ティファニーで朝食を』のDVDが流れている。

 玲はバスローブを着て、すっぴんで携帯をかけていた。


「ねえ、マツキヨ。あんたの局って、映画もやってたよね」

―ああ、ドラマに毛の生えたようなやつばっかやで。

「それでもいいからさあ。プロデューサー、誰か紹介してくんないかなあ。私、映画出たいのよ。オードリーみたいに」

―オードリー?何や、それ?

「え!ちょっとあんた。私との初デート、忘れたの?」

―記憶違いやろ。俺は、大スターとデートなんかできる身分やないで。

 

「それどころか、俺は…」

―あんたのことはいいからさあ。紹介してよ。

 カチンときた。

―枕営業でもなんでもするよ。なんなら、あんたとでもいいわよ。

 京人は呆れたように、携帯をを放り投げた。

―…京ちゃん。何、怒ったの?


 玲のマンションでは、受話器を握ったまま玲が号泣する。

「ああ~ん、えらいことしてしもた。友達やのに…初恋やのに…」

  躁状態の時は、調子に乗って余計なことまで喋ってしまう。

 これで、どれだけ信用をなくしたことか。


 かと思うと、一転して欝になる。

「ごめん、京ちゃん。私を見捨てないで」

 意識が混濁していく。

「おとうはん、おとうはん!うちを捨てんといて」


 京人は、鼾をかきソファで眠っている。

 携帯からは、玲の泣き声だけがもれていた。


「ああ~ん。また、友達がいなくなった」

 ひとしきり泣いてから、躁状態に転換した。

「あはは。もう、だ~れもいいひん。えらいこっちゃ」

 急に踊り出したかと思うと、電話を放り出す。

「あほくさ」

 四つん這いで、テレビの前までほふく前進をする。


 画面は「ティファニーで朝食を」のラストシーンになっていた。

「これこれ、ここ!私はこんな安易なハッピーエンド、絶対に認めん!現実はもっと、もっともっと残酷なのよ。シリアスなのよ。オードリー」


 The END


 エンドマークが出る。

「…終り?終りなの?私の人生が?」


 立ち上がり、慌て出す。

「薬、薬」

 禁断症状を起こしたように、薬を探す。

 狂気にかられ、戸棚をなぎ倒す。

 さらに拍車がかかり、部屋中の家具を壊し始める。

 破壊しつくしてから、息を切らせて立ち尽くす。

 バスローブのポケットから薬袋がこぼれ落ちる。


(持ってた?あはは。そんなことにも気づかない、なんて…)

 薬袋を拾い上げ、キッチンへ駆け込む。

 皿の上に薬をまきちらす。

 両手で皿をつかみ、数十個の粒を口に流し込む。

「おかあはん……もう、無理」

 その女優は、絶望の表情で膝から崩れ落ちた。



 

「俺が、ちゃんと話を聞いていれば…」

「だから自惚れだって。あなたが責任を感じる必要なんてないよ。あたしの力不足よ」

「…」

「あの子、ずっと映画に出たがってたの。デビュー作撮った時のことが忘れられないんだってさ」

「ああ、『はつ恋』か。新人賞獲ったんでしたね」

 柴が首を振る。

「あの子のデビュー作は、あんたたちと作った映画なんだよ」

「…」

「やらせてあげたかったなあ。あの子に、納得いくまで芝居させてあげたかった」


 京人が所在無げに窓の外を見ると、病院の向かいの高台に妙なものが見えた。

(なんだ?)

 プラカードと垂れ幕だった。

 柴もつられて見る。

 雨の中、一般の人たちが『玲ちゃん がんばって』というカードを掲げている。

「うそ」 

 社長兼マネージャーが、その意味に気づく。




 その女優に、謝りたいことがある……


 プラカードを持つオバさんは、元々深町玲のファンだった。

 ところが大物歌手Gとの不倫報道以降、ママ友の間でファンを名乗ることができなくなった。村八分、いやママ八分にされるからだ。


(今日初めて知ったよ。不倫報道なんて、J事務所が流したデマだったんだね。ごめんね、玲ちゃん。自分かわいさに、信じてあげられなくて)

 だから今は彼女を応援する。

 もう迷わない。


 こちらでも若い女性達が

 『生還して、夢を演じて』

 『日本のオードリー・深町玲』

 『銀幕に戻って、また戦うのだ!』

 そんな垂れ幕を掲げている。


 この女性たちは過去の舞台降板会見を見て、「深町玲=悪女」のイメージを持っていた。


(今日の放送で知った。深町さんは、誠心誠意謝ってたじゃない。それも重い病気を隠して。それなのに、あのレポーター連中ときたら!私たちは、絶対に深町さんを支持するんだ!)


 さらに雨具を着た高校生の吹奏楽団が、何かを演奏し始める。

 京人に聞き覚えのあるその曲は…。

(…ムーンリバー?)

 驚いた。

 まさか。

 自分の番組を観て、ここに集まってくれた人たちなのか?

 自分の言いたかったことが伝わったのか?


 病室から大声がした。看護師の声だ。

「深町さん、深町さん!」

 京人と柴は顔を見合わせ、病室に駆け込んだ。



 看護師が患者に呼びかけている。

「どうしたの?」

「今、動きました。先生を呼んできます」

 入れ替わるようにベッドの傍らに立った柴が、玲の耳元に語りかける。

「玲。聞こえる?外の声。みんながあんたに、頑張れって」

 かすかに唇が動いた。

「あんたも女優なら、カーテンコールに応えなさい!」




つづく

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