ちいさな恋の短編集 ep.3「その女優」⑤

 

 ふたりは、大衆的なおでん屋のカウンターで話をした。


「映画の話はないのかい?」

「今この国に、映画産業なんて存在しないの。あるのはメディアミックスとかいうロ

ーリスク・ローリターンの映画もどきだけよ」

「みんなレンタルDVDで観るからな。でも、きみの毒舌は相変わらずだな」

「アッコさんだから言うのよ」

「アキオだって」

 冗談を言い合える関係だ。

 もしかすると玲は、和田に父親の面影を観てるのかもしれない。


「そうだ、和田さん。うちの母にお見舞いのお花送ってくださって、ありがとうござ

いました」

 しおらしく頭を下げる玲を、和田が父親の目で見る。

(礼儀正しくてシャイ。どこがスキャンダル女優なんだ?)

 この頃既に、深町玲はスキャンダル女優の烙印を押されていた。


「おかあさん、具合はどう?」

 玲が沈み込む。

「もう、無理みたい」

 そう言ってバッグから薬を取り出し、コップの水で口に流し込んだ。

 和田は、袋に書かれた薬品名を盗み見る。

 『ジプレキサ』

 そう書かれていた。



「確かに芸能人の中には薬物に溺れる者もいる。だから心配になってね。薬の名前を知り合いの医者にぶつけたら、双極性障害の薬という答えだった」

「そうきょ…?」

「いわゆる、躁鬱病ってやつさ」

「躁鬱…まちこ、いや深町玲が?」


「彼女は強い精神安定剤を常習していたんだよ。病院に緊急搬送された日も、ジプレキサを誤って大量摂取したそうだ」

「…」

「病人が薬を飲むのは当たり前のことだ。それを薬物中毒と非難するのなら、『病人は薬を飲むな、死ね』ということなのかね?」

 京人の名刺を見た時から、和田が言いたかったことだ。

 根拠もなく「薬物中毒」という見出しを打って、まるで麻薬でもやっているかのような印象操作をしたこのディレクターに。


「…すみません」

 自分はあの見出しに反対だった。

 だが結局、反対し切れなかった。

 同罪なのだ。


「この病は、ある意味俳優の職業病なんだ。近年では、凝り性で有名なメル・ギブソンとかキャサリン・ゼダ=ジョーンズとかがカミングアウトしている。演技に対してひたむきであればあるほどかかりやすい病、ということだろうね」

「…」

「きみも彼女の演技をよく見てごらん。きっとこう思うはずだ…なぜ、これほどの女優が脇役なんだ?ってね」

「…」

「ひたむきな者ほど、脇に追いやられる。それが、今の日本の芸能界なんだよ」



 サブⅮの仕事はオンエアの指示だけではない。

 番組中に流すVTRも制作する。

 京人は懺悔でもするかのように、プレビュー室で深町玲のビデオを観まくった。


(やはり、俺は何も知らない。嫉妬に駆られて、知ろうとしなかった)


 デビューから数年は主役を張っていたが、やがて敵役や脇役が増えてくる。

 その時期は、彼女のスキャンダルと相関関係にあった。


 例えば、この「信長の野望と絶望」という歴史ドラマ。

 このドラマは去年深町玲が、初めての時代劇で織田信長の妻・濃姫を演じたときのものだ。


 桶狭間の戦いの前夜、決心がつかない信長に詰め寄る濃姫。

 信長の襟をつかみ、活を入れるという鬼気迫る演技。

 ただ、セリフのある出演シーンはここだけだった。

(これだけ?…いや、しかし…すごい。ずっと、目の裏に残る演技だ)

 京人はじっと考え込んだ。


 ADがビデオテープを持ってきた。

 このドラマを編集用にダビングしたものだ。

「ダビング上がりました。でも、使用許可の方は…」

「やっぱ、ダメか。他局だもんな。いいよ、そっちはなんとかするわ。お疲れ」



 翌日。

 京人はTBAというテレビ局のラウンジに、居心地悪そうに座った。


「おう、マツキヨ。単身敵地に乗り込むとは、お前意外に図太いな」

 北条というワイドショーのⅮと、平というドラマPが席に着く。

「連れてきたよ、ドラマ制作部の平プロデューサー」

 挨拶と名刺交換。

「さっそくだけど、これ」

 茶封筒を北条に差し出す。

 中には、京人が編集したVTRと構成表が入っている。


「ライバルにネタ譲って、大丈夫なのか?」

「関係者のインタビューは全部角度変えて撮ってある。参考までにナレーション原稿も入っているから」

「ひゃあ、いたれりつくせりだな。で、見返りがうちのドラマの使用許可?」


 平が口を開く。

「去年の時代劇スペシャルだったね。でも彼女は確か、ワンシーンしか出てないはず

だよ。なぜあれを?」

「深町玲の決意表明、ですから」

 京人が観た忌憚なき感想だ。


「…おもしろいことを言うね。確かにあのときの深町くんはギラギラしてたね。眉毛も全て自分で抜いて、体重を七キロ落として臨んだらしいよ」

「ワンシーンのためにですか?」

「戦国時代の女性はストイックだったはず、とか言ってたなあ。そうそう。彼女撮影に入るひと月前から、家でもずっと着物着てたらしいね。夏の暑い盛りにさ。見上げた役者魂だよ」

「…ありがとうございます」

 平が首をひねる。

「俺、同じ業界にいながらまちこのこと何も知らなくて。いや、避けてたんです。有名人になった、かつての仲間を見るのが嫌で」

「…」

「そういや、お前言ってたな。深町玲のおかげでワイドショーの仕事もらったとか、やらされてるとか」



 某制作会社で、京人は採用面接を受けた。

「ほう、深町玲と友達なの?きみ」

「親友、もしかすると恋人…ま、そこらへんはご想像におまかせします」

 他愛もない見栄を、面接官はさらりと受け流した。

「ドラマ志望、ってあるけど、うちはドラマはもうやらないんだよ。コストがかかりすぎるからさ」

「そ、そうなんですか?」

 映画監督になるのをあきらめて、テレビドラマの助監督からやり直そうと決心したばかりだった。

「ね、ワイドショーはどう?首都テレビからずっと催促されてんだけど、あれみんなやりたがらないんだよね。それに深町から、他の芸能人も紹介してもらえるんじゃない?きみにピッタリだよ」

(ええ~)

 中途採用のため、ほかに選択の余地はなかった。



 北条と平は、京人の身の上話を聞いてくれた。

「それからは俺は『どうせやりたくもない仕事だから』と自分に言い訳しながら、上っ面をなぞるように仕事をこなしてきました。まちこが、深町玲のような努力の人が一番嫌う生き方です」

「…」

「でも、一度くらいあいつに恩返しがしたい…いや、謝りたいんです」


 平が黙って書類にサインする。

「許可するよ。深町くんには、必ず戻ってきてほしいからね」

「マツキヨ、俺も協力するよ。深町玲再評価キャンペーン。実は俺も、彼女の演技好きでさあ。他の女優にはない、深みを感じるんだよなあ」

「ありがとう。恩に着るよ」

「深町君は、いい友達を持ったね」

 

 局内に戻るふたりを見送りながら、京人は思う。

(いえ。俺なんか…最低の友達ですよ)

 自己嫌悪はまだ止まらない。




つづく

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