第11話 ホワイトデーの約束

 冬の名残をわずかに残しながらも、街は少しずつ春の気配を帯び始めていた。

 商店街の飾りも桃色や薄緑が混じり、ひな祭りの名残とともに、やわらかな空気が漂っている。『花ことば』の店内にも、春の花が少しずつ並び始めていた。スイートピー、チューリップ、ラナンキュラス――冬の白に代わり、淡いパステルが棚を彩っていた。


 そんな中、陽向はある贈り物のことで頭を悩ませていた。


(――ホワイトデー、どうすっかな)


 先月、朔夜からもらったチョコレート。

 感謝の気持ちというさりげない言葉と共に渡されたそれは、陽向にとって思いがけず大きな出来事だった。


「……うーん……」


 作業の合間、陽向はスマホでギフトサイトを覗いては閉じ、また開き……を繰り返していた。


(チョコ返し……は、味気ないよなぁ。……花は誕生日でも渡してるし、雑貨は……)


「うーん……」


 どれも何かが違う気がして、決めきれないでいた。



 その日の午後、陽向は少しだけ早めに休憩を取り、カフェ『サンク・リーブル』を訪れた。

 ガラス越しに見える店内では、慎がカウンターの奥でコーヒー豆を選んでいる。最近では困ったことがあるとつい寄ってしまう。不思議と彼を頼る自分がいて。


「おや、陽向くん。いらっしゃい」


「……ちょっと相談があって」

「うーん、そうだねぇ……もしかして、恋の話?」


 からかうような口調に陽向はむっとしながらも、否定しなかった。


「まあ……バレンタインのお返し、何がいいかなって思って」


 慎はカウンター越しにコーヒーを淹れながら、ふっと穏やかに笑う。


「へぇ、初めて会った頃と違って素敵じゃん。気持ち、ちゃんと伝えたいんだね」


「……そうっすね。感謝には感謝で、ってだけっすよ」

「ふむふむ。でもさ物より気持ちが伝わる方が、きっと嬉しいよ。君らしさが感じられるもの、探してごらん?」


 店を出た陽向は、近くの雑貨店を何気なく覗いた。


 そこで、ふと目に入ったのは――ガラスドームに収められた、淡い色合いのプリザーブドフラワー。白を基調に、ほのかに紫が差し色として入ったその小さな世界は、静かに春の訪れを予感させていた。


(……店長が好きそうな色)


 そう思った瞬間、手が自然と伸びていた。手のひらサイズのガラスドームは、華美すぎず、だけど確かな存在感がある。


(……これでいこう)


 店を出たとき、陽向の胸の中には、少しだけすっきりとした気持ちがあった。



 翌日、店内での作業中に晴が陽向に話しかける。


「桐島さん、なんだかスッキリした顔してますねー。もしかして、ホワイトデーの準備とか?」


「……お前、なんでそんな勘いいんだよ」

「えっ、当たった⁉」


「……まあ、一応決めたよ。ちょっと花っぽいやつ」

「へぇ、見たいですー!」

「はぁ⁉ 何で佐伯なんかに……断るに決まってんだろっ!」


 にやにや笑う晴に陽向は頭を軽く叩きながら、それでもどこか照れたように口元を緩めた。


「お前の分はホワイトチョコでも用意しとくよ」

「えっ、本当ですか⁉」


「……阿呆、冗談だ」


 そんなやり取りに、思わず朔夜がカウンターの奥で微笑む。


(俺なりに、ちゃんと返したい――その気持ちだけは、ちゃんと伝わってほしい)


 陽向は、静かにカバンの中の小さな包みを確認した。



* * *


 三月十四日――ホワイトデー当日。

 『花ことば』には春を思わせる装飾が加えられ、店先の花々もどこか明るく見える。陽向は、いつもと変わらぬように作業をこなしながらも、胸の奥には静かな緊張を抱えていた。


(タイミング……どうすっかな。つーか、前にもこんなことあったよなぁ……)


 渡すタイミングを、ずっと考えていた。

 昼休憩中も、棚の整頓中も、頭の片隅でずっと――。



 そして、閉店間際。

 夕方の柔らかな光が店内に差し込む頃、朔夜がレジの締め作業に入っていた。陽向は深く息を吸い、覚悟を決めて口を開く。


「店長。ちょっと……いいっすか」


 その声に朔夜が顔を上げる。やわらかな光の中で、その眼差しがまっすぐに向けられると、陽向の胸は自然と高鳴っていた。


「はい。どうかしましたか?」


「……あの、これ。ホワイトデーのお返しっす」


 カウンターの奥から、陽向は包みを取り出した。


 小さな紙袋に入れられた、手のひらサイズのガラスドーム。

 朔夜がそっと受け取ると、袋の中から丁寧にラッピングされたそれを取り出す。ドームの中には、白と淡い紫のプリザーブドフラワー。まるで春の光を閉じ込めたような、静かで優しい色合いだった。


「……とても、綺麗ですね」


 静かに呟いた朔夜の声に、陽向の肩がわずかに緩む。


「店長が好きそうな色、選んだんすよ。……花屋っぽいし、俺っぽいっちゃ、俺っぽいのかもしれないけど」


「……ええ。陽向らしい、とても素敵な贈り物です」


 微笑みながらそう言った朔夜の指先が、ガラスの表面をやさしくなぞる。その仕草すら、丁寧で美しかった。


「本当に、ありがとうございます。大切にしますね」


「……ま、まあ。俺も……チョコ、すげぇ嬉しかったんで。そのお返しっていうか……」


 途切れそうな言葉に、朔夜はそっと目を細めた。


「気持ちは、ちゃんと伝わりましたよ」


 その一言に、陽向は思わず視線を逸らす。


(やべ……なんか、変に意識してきた)


 昂る感情。今なら聞ける気がした。だから――自然な声を装いながら、ぽつりと口を開く。


「……その、答えられるならでいいんすけど。……店長って今、誰かを想ってるんすか?」


 ほんの少しの間があった。朔夜は手の中のドームを見つめたまま、やがてふっと微笑む。


「それは――」


 そして、陽向の方をまっすぐに見て、言葉を紡いだ。


「ご想像に任せますね」


 その言葉と、その笑顔に、陽向の胸がじわりと熱を帯びる。

 はぐらかされたようにも思える。けれど、不思議と不快ではなかった。むしろ、その想像の余地を与えられたことが、どこか心地よく思えた。


「……ずるいっすね、店長」

「ふふ、かもしれませんね」


 互いに視線を交わし、微笑んだその瞬間。空気がやわらかく、少しだけ春めいていた。

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