第2話 新しい常連客
夏の陽射しがまぶしい午後、花屋『花ことば』には穏やかな空気が流れていた。
梅雨が明けてから数日、店先には夏の花が並び、歩く人々の目を引いている。
「……やっぱ、夏場は花の持ちが悪いっすね」
カウンターで伝票を整理していた陽向が、ぼそりと呟いた。
この時期になると、どんなに丁寧に管理しても花の傷みは早くなる。
「ええ。気温が高くなると水も腐りやすいですから、こまめな手入れが大切ですね」
朔夜が優しく微笑みながら、花瓶の水を入れ替える。
涼しげな表情で手を動かす彼を横目に、陽向は店内を見回した。
今日は比較的客足が落ち着いている。週末は贈り物用の注文が増えるが、平日の昼間は常連客がのんびり花を選ぶ姿が多い。
「……っと」
陽向はふと、ガラス戸の向こうに人影を見つけた。
店の入り口近くに立ち、ちらりと店内を覗き込む女性――しかし、すぐには入ってこず、どこかためらうような仕草を見せている。
(……なんか、妙に警戒してるっすね)
興味はありそうだが、入るのを迷っている様子。
陽向は軽く首を傾げながら、さりげなくカウンターの位置を整える。すると、意を決したように女性はそっとドアを開けた。カラン、と柔らかなベルの音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
朔夜が優しく声をかけると、女性は僅かに目を伏せながら店内に足を踏み入れた。
二十代半ばくらいのすらりとした長身。黒のノースリーブのトップスに、ダークグリーンのスカート。その容姿はクールな雰囲気を纏っている。しかし、その表情はどこか落ち着かず、視線を泳がせているのがわかる。
(……なんか、花屋に慣れてない感じっすね)
陽向は内心でそう思いながら、適度な距離を保って様子を伺う。女性はしばらく店内を歩き回った後、ふと足を止めた。
「……あの」
控えめな声で朔夜に話しかける。
「お花を見てもいいですか?」
「ええ、どうぞ。ゆっくりご覧になってください」
朔夜の穏やかな声に、女性は小さく頷きながら棚の花々を見つめ始める。だが、じっと見つめているだけで、なかなか手を伸ばそうとしない。
(……なんか、やっぱりちょっと不思議っすね)
普通、花を買いに来た客なら、すぐに店員に相談するか、自分の好みで選び始める。だが、この女性は何かを探しているようで、そうではないような――。
「……お探しの花があるんすか?」
気になって声をかけると、女性は一瞬驚いたように目を見開いた。
「え?」
「あ、いや、別に。なんか、探してるっぽかったんで」
陽向が軽く肩をすくめると、女性は少し視線を逸らす。
「……別に、探してるわけじゃないです。ただ、なんとなく……」
曖昧な返事。しかし、その声にはどこか含みがある。
「でも、せっかく花屋に来たなら、何か買っていったらどうっすか?」
「……」
女性は沈黙する。そして、ほんの少し迷った後――ぽつりと呟いた。
「……人に花を贈るのは、好きじゃないんです」
その言葉に、陽向は少しだけ眉をひそめた。
(花を贈るのが好きじゃない……?)
――なら、どうして花屋に?
疑問を抱きながらも、陽向はそれ以上言葉を挟まなかった。しかし、女性は視線を落としながら、小さく続ける。
「……でも、花を見るのは、嫌いじゃないんです」
そう呟いた女性は、棚に並ぶ花々をじっと見つめていた。
ひまわりの鮮やかな黄色、トルコキキョウの柔らかな紫、ガーベラの元気なオレンジ――それらを目で追いながらも、どこか戸惑っているように見える。
(人に花を贈るのは好きじゃない、でも、花は嫌いじゃない……)
陽向は女性の言葉を反芻する。
一般論では花屋に来る客は誰かに贈るためか、自分で楽しむために花を選ぶ。だが、この女性はどちらでもないように思えた。
「……まぁ、別に買わなくても、見るだけでもいいんじゃねぇっすか」
軽く肩をすくめて言うと、女性は意外そうに陽向を見た。
「え……それでもいいんですか?」
「いいんじゃねぇっすか? 別に、うちは見物料取る店じゃねぇし」
そう言うと、女性はふっと小さく笑った。ほんの一瞬だけだったが、その表情は少し柔らかくなったように見えた。
「……ふ、変わったお店ですね」
「そうっすかね?」
陽向は首を傾げる。だが、店長である朔夜は微笑みながら静かに会話を見守っていた。
「お花屋さんには、いろいろな方がいらっしゃいますよ。買われる方もいれば、ただお花を眺めに来られる方もいます」
朔夜の穏やかな言葉に、女性は少し考え込むような仕草を見せた。しかし、すぐに視線を花々に戻し、ゆっくりと歩き出す。
「……このお花、綺麗ですね」
彼女が指先でそっと触れたのは、白いカラーリリーだった。すらりと伸びた茎の先に、シンプルで上品な花を咲かせている。
「カラーリリーっすね。結婚式とかでもよく使われる花っすけど、シンプルでカッコいい感じもあるんで、単品でも映えるっすよ」
「そうなんですね……」
女性はぼんやりと花を見つめながら、静かに呟く。
「この花は、なんだか……強そうですね」
「強そう?」
「はい。凛としていて、周りに流されない感じがするから」
その言葉に、陽向はカラーリリーをじっと見つめる。
確かに、この花にはどこか独特の存在感がある。派手ではないが、すらりと伸びる姿には強さが感じられる。
(……なんか、この人自身と似てる気がする)
花を贈るのは好きじゃないと言いながらも、花屋に来ている。人と距離を置きたがっているようで、でもどこか寂しげな雰囲気もある。
「……カラーリリーの花言葉、知ってるっすか?」
ふと問いかけると、女性は小さく首を振った。
「……いえ」
「『華麗なる美』『乙女の純潔』……まぁ、清楚なイメージの花言葉が多いっすね」
「華麗なる美……」
女性は少し驚いたように、再びカラーリリーを見つめた。まるで、その意味を確かめるように。
「……そんなイメージがあるんですね」
どこか納得したような表情を浮かべた彼女に、陽向は少しだけ興味を抱く。
「……で、結局買ってくんすか?」
「え?」
突然の問いに、女性は一瞬戸惑ったように瞬きをする。
「だから、そのカラーリリー。気になってるみたいっすけど、買うかどうかはまだ悩んでるって感じだったんで」
陽向がそう言うと、女性は少し口元を引き結んだ。迷っているのが図星だったのか、視線を花に落としながら考え込む。
「……自分のために花を買うなんて、考えたことなかったから」
「別にいいんじゃねぇっすか? 自分で飾るのもアリだし」
「……そういうものなんですね」
そう呟きながら、女性は再び花を見つめる。そして、ゆっくりと決心したように口を開いた。
「……一本、ください」
「かしこまりました」
朔夜が優しく微笑みながら、カラーリリーを一本丁寧に包む。淡いラッピングペーパーで軽く巻き、リボンを添える。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
そっと受け取った花を見つめながら、女性はふっと息を吐く。
どこか安心したような、そんな表情だった。
「……じゃあ、また」
そう言って店を出て行く彼女の背中を、陽向はじっと見送った。カラン、とドアベルの音が軽やかに響く。
「……なんか、ちょっと変わった人だったっすね」
陽向がぼそりと呟くと、朔夜は静かに微笑んだ。
「ええ。でも、きっとまた来られますよ」
「え?」
「お花を贈るのは好きじゃない、と言いながらも、あの方はとてもお花に惹かれていましたから」
朔夜の言葉に、陽向は思わずカラーリリーが並ぶ棚を振り返る。女性がじっと見つめていた白い花は、今も変わらず静かに咲いていた。
(……また来る、か)
なんとなく、そんな気もする。
「……ま、次に来たらもう少し話してもいいかも」
ぽつりと呟きながら、陽向はカウンターの上に残った包装紙を片付け始めた。夏の午後の穏やかな風が、静かに店内を吹き抜けていく――。
* * *
それから数日後。
閉店間際の花屋『花ことば』に、再びカランとドアベルが鳴る音が響いた。陽向が顔を上げると、そこには――あのクールな雰囲気の女性が立っていた。
「……こんばんは」
「あ、いらっしゃいませ。また来てくれたんすね」
やはり、彼女は再びここを訪れたのだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます