5. 禁呪・冥刻殲煌《ゼヴェル・ノクス》

 飛ばせるか!


 俺は再度、剣をその腹部に突き立てた。


『小癪な真似を』


 首刈りの雷帝が俺を見下ろす。だが、必殺の斬撃は落ちてこなかった。


命令シムドに縛られているんです。今なら反撃を受けませんよ、ギャレス』


 ハイエラールの念話パシスが頭の中で響く。カネアとの戦いの中のどこにそんな余裕があるのだろうか。


 だが、そういうことなら話は早い。この魔神は今は以外の行動を取れないということだ。


 俺は左手の剣を投げ捨てると、右手の剣を両手で構えた。そして思い切りその羽の半ばに叩きつけた。


『!』


 甲高い金属音と共に、首刈りの雷帝がよろめいた。


『カネア、命令シムドを解け!』

「させませんよ」


 ハイエラールが無数の光弾をカネアに叩きつける。その炸裂によって生まれた輝きで、周囲が昼間以上に明るくなった。


 俺もボケっとしていたわけじゃない。ハイエラールがかせいでくれている時間を無駄にはできない。


「消えろ、魔神!」

『ほざけ、ケダモノ!』


 ファイランとの距離を詰められない魔神は、その一番上の鎌腕を輝かせ始める。魔法を撃つ気だ。


「雷帝、その獣人を殺すのよ!」

『ッ!』


 あるじもてあそばれてでもいるのか、蟷螂カマキリの魔神……。


 だが助かった。今魔法を撃たれたらファイラン生存は厳しかった。エルフがファイランのそばに移動していたが、攻撃手段を失った今、何もできることはなかっただろう。


 ……とはいえ、今度は俺の生存が危うい。腹の下に潜り込む作戦はもう使えない。警戒されているからだ。


 俺は前に跳びつつ地面を転がる。川岸の岩たちも、俺の分厚い毛皮の前には大したダメージにならない。この魔神は方向転換に難がある。羽も傷ついていたし、腹部から脚部へのダメージも馬鹿にならないはずだった。


 魔神は俺を追いかけてくる――というか命令シムドによってそうせざるを得ないのだ。そして脚力は互角。俺はハイエラールとの間にカネアを挟み込むような位置に移動した。首刈りの雷帝も律儀に距離を詰めてきた。


 ……案外間の抜けた奴らだ。


「ハイエラール!」

くらき霊帝、背明はいめいつるぎ――罪咎ざいきゅう烙印らくいんを掲げ、闇律あんりつことわりに従え。死人しびとなげきの刻まれし、破戒はかいの祈りを捧げよ!」


 単語ごとに生み出されていく光の文様に、カネアと首刈りの雷帝はとらわれていた。


「まさか、これは、禁呪……!」


 驚愕するカネア。今やカネアは飛行能力を奪われ、河原に落ちていた。そしてハイエラールの詠唱は止まらない。


顕現けんげんせよ、晦冥かいめいやいば!」


 ギリギリで横に逃れた俺にも、ハイエラールが行使した魔法が清く正しいものではないことは理解できた。それほどまでに怖気おぞけはしるような空気が生み出されていたからだ。


「きゃぁぁ!」


 カネアの悲鳴が上がる。しかしカネアはまだ倒れてはいない。全身から信じがたい量の血液を噴出しながらも、カネアは立っていた。


「雷帝、退くわ!」

『承知』


 濃厚な血煙を残して、カネアと魔神は姿を消した。 


「逃げられちゃいましたねぇ」


 ハイエラールはすっかり静寂を取り戻した河原に座ると、大きく息を吐いた。その口調とは裏腹に、顔には影があった。疲労したということだろうか。


「あの魔法は禁呪の一つの冥刻殲煌ゼヴェル・ノクス。本来目にした人たちには死んでもらわなきゃならないんですが、まぁ、いいでしょう」

「そんなもんなの?」


 エルフの女がファイランを連れてやってきた。


「アタシはミシェ。盗みをしない盗賊さ。どうあれ助かったよ」

「ギャレスだ。こっちこそ助かった。お前は魔法使いじゃないのか?」

「エルフは少なからず魔法は使えるけど、そういう意味では落ちこぼれレベルさ」


 ゼンダリオに立ち寄っていたところを、あの魔導師カネアによって襲撃されたのだという。どうにか逃げ出しはしたものの、首刈りの雷帝に見つかってしまい、ここまで逃げたということだ。


「おかげでファイランが助かったとも言えるな」

「あ、あ、ありがとうございます」

「いいよ。結果論だ」


 ミシェは肩までの金髪を風に揺らし、ハイエラールの隣にどっかりと腰をおろした。


「アタシ、今夜はもう動かないよ」

「同感です」


 ハイエラールが同意する。やはりおそろしく消耗したのだろう。その赤い目に力がない。


「あ、あの、私、ご飯作ります」

「干し芋しかないぞ、ファイラン」


 俺が言うと、ファイランは露骨に落ち込んだ。


 俺たちは黙々と干し芋を口に運び、順番に横になった。そして夜明けが近くなった頃に、俺はミシェに声をかける。


「ミシェ、起きれるか」

「問題ないさ。ふぁぁ」


 盛大にあくびをして、ミシェは身体を起こす。そして脱いでいた革の鎧をいそいそと着け始める。


「あんたさ」

「うん?」

「女王の何?」

「……」

「さっき、あの魔導師が言ってたじゃん。角狼人ヴァルガルに、聖剣ガルンシュバーグ……。まさか、その女がそうか――とか。世情にうといアタシにだってわかるよ、ガルンシュバーグのことくらい」


 ミシェの瞳が、き火の明かりを受けて揺らめいている。おそらくは若葉色の瞳だろう。エルフはだいたいがそうだからだ。


「俺は女王の護衛を任されていた」


 俺は短くそう言った。それ以上を言うつもりもなかった。


「ふぅん」


 しかしミシェはそれ以上いてはこなかった。


「これからどうするつもり?」

「ジグランス公爵に会う」

「会ってどうするのさ」

「ゼルデビットを倒す力を借りる」


 俺が言うと、ミシェは小さく吹き出した。


「何がおかしい」

「だっておかしいじゃん。なんでジグランス公爵がゼルデビット辺境伯を倒すのに手を貸すの?」

「ゼルデビットは簒奪者さんだつしゃだぞ。それにジグランス公爵は女王陛下の従兄いとこだ」

「だから?」

「助けるのが大義というものだろう」

「はぁ?」


 ミシェは片眉を上げる。


「おめでたいよ、あんたのその考え方。物事、そんな簡単なわけないじゃん。大義って言うけど、大義には見返りが必要なんだ。無償の奉公なんてどんな力関係でもありえないって!」

「しかし、王国が滅ぶんだぞ」

「知ったこっちゃないさ、貴族様連中のほとんどには。王国が滅ぼうと、自分はより都合の良いところと手を結び、自分の領地を守れればいいってみんな考えてる」


 ミシェの辛辣しんらつな言葉には、しかし、説得力があった。というより、俺は完全に言い負かされている。この女とは頭の回転の速さが違うのだろう。


「じゃぁ、どうすれば王国が滅びないで済む」

「滅んだんでしょ」

「滅んでいない」

「現実を認めなきゃ」


 ミシェは立ち上がり、川岸へと向かった。俺もその後をついていく。


「アタシ的にはジグランス公爵は頼らない方が良いと思う」

「しかし、他にあてはない」


 王国の味方となってくれた貴族の大半も、今となっては怪しいものだ。ゼルデビットが「寝返れば領有権を保証する」と明言した瞬間、ほとんどの貴族は反旗をひるがえすだろう。そのくらい俺にでもわかる。


「あんたらに助けられた身だし、あんたらが良ければ一緒に行くけど。ファイランのためにも女の一人くらい同行したっていいだろう?」


 そこでミシェは大きく吹き出し、声を上げて笑い始めた。どうしたのかとその視線を追うと、ファイランが凄まじい寝相で熟睡していた。まともな語彙ではとても表現できない寝相だ。


「さすがに女の子でこれはないわぁ」


 お嫁にいけなくなるじゃないかとミシェは言い、ファイランの寝相をとりあえず見れたものに直してくれた。


「寝相はともかく、よく寝れるな、あの後で」


 この娘、意外と豪胆なのかもしれない。

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