第39話◇入院◇

「……ん……ここは……ごほっ!」


 気が付くと、真っ白な光景が目の前にあった。


 格子状に模様の入ったそれは天井の模様であることが分かる。


 見知らぬ天井という奴だ。どうやら意識を失って病院に運ばれたらしいことが分かる。


 窓のカーテンの隙間から太陽の光が漏れている。


「お父さん……?」

「ああ、友梨佳か……おはよう」


 声のした方を振り向いてみれば、どこか現実味のない顔をした友梨佳がこちらをぼんやりと眺めている。


 見ると友梨佳は制服のままだった。

 どうやらそれほど時間は経っていないらしい。



 しかしその表情が現実を認識し始め、彼女の目尻にウルウルと大粒の涙が浮かび上がってくるのが見えた。


「びぇええええっ!! おとうさ~~んっ!!」

「おごふっ!?」


 案の定涙目の友梨佳が俺の胸にタックルダイビングを仕掛けてくる。


 体重のたっぷり乗った友梨佳の身体が鳩尾に直撃し、再び意識が刈り取られそうになる。


 点滴の針が腕に食い込み、中々にエグい痛みが走った。


「よがったよぉ~~っ!! 心配したんだから~~っ!!!」


 泣きじゃくる友梨佳の頭を撫でながら自身の不甲斐なさを反省した。


「ごめんよ友梨佳。心配掛けたね。やっぱり休んでもらえばよかったかな」

「うえぇえええんっ!! だから言ったのにぃ!!」


「ああ。お父さんが悪かった。この通り大丈夫だから泣かないでくれ」


「あ……お父さん……」


 友梨佳のドリンクを買ってきたのだろう。ジュースのペットボトルを数本抱えた瑠璃が部屋に入ってきて、こちらに目を向けながら瞠目していた。


「目が覚めたんですね。良かったです……」


 彼女は動揺することなく手に持ったペットボトルを台座の上に置き、脇に置いてある椅子に腰掛ける。


 未だに泣きじゃくっている友梨佳の傍らに座り、複雑そうな顔ではにかみながらこちらをジッと見つめる。


「心配かけてすまなかった」


「……はい……、ッ……」


 段々と、ゆっくりと、瑠璃の表情も崩れていく。

 感情を制御しようと必死になって自分を律しているが、徐々に我慢が出来なくなって来ているようだった。


「おいで……」

「ッ!! お父さん……ッ!! 心配、しました……ッ!」


「うん、ゴメンよ」


 片腕が点滴の針で塞がっているため友梨佳を撫でている手を離して瑠璃も一緒に抱き寄せる。


 ボロボロと涙を流す瑠璃は静かに泣きながらこちらにしがみ付いてくる。


 申し訳なく思いながら二人の頭を交互に撫でてしばらくの時が流れた。


 ◇◇◇◇◇



 事の経緯はこうだ。

 案の定、友梨佳と瑠璃は学校を早退し、午後に差し掛かるとどうかと言う時間に帰宅した。


 するとどうだろう。玄関入ってすぐのところに俺が仰向けに、それも誰がどう見ても普通ではない格好で倒れているではないか。


 パニックになった友梨佳は俺に駆け寄り、必死になって呼びかけたが返事がない。


 あまりに狼狽ぶりに、瑠璃の方は却って冷静になり、すぐに救急車の手配を行ったそうだ。


 どうやら俺が気を失って程なくして帰宅したらしく、発見が早かったのが幸いだったらしい。


 医者の話では軽い脳しんとうと高熱が相まってそれなりの時間気絶していたらしい。


 点滴を打って安静にしていれば問題無く回復するだろうということだ。


 ただ、転倒する際に頸椎と背骨を連続で強打しているため、精密検査の結果が出るまでは入院することになりそうだ。




 友梨佳も瑠璃も側から離れたくないと聞かなかったので、二人が宿泊しても問題無いように個室に移動させてもらうことにした。


 一泊の入院宿泊費が中々にエグいことになりそうだが、数日の間なら大丈夫だろう。


 家計のやりくりにうるさい友梨佳でも何だかんだでまだ高校生なのでそこら辺の事情までは頭が回らないらしい。


 幸いにして会社がお勧めしてくれた保険のおかげで入院宿泊費については相殺できる算段は付いているためそれほど心配はしていない。


 実はこの間の役員昇進によって社長の計らいで良い保険に特別枠で入らせてもらったのだ。


 一般人が利用する保険商品とは一線を画しているVIP専用のラインナップであり、保証内容も桁違いだ。


 その分だけ月の値段もかなり張るが、給料の一部に保険費として手当が付くようになっている。


 果たして他の会社でここまでのことをしてくれる場所があるかどうか、というくらい特別な措置を執ってくれた社長には感謝しかない。


 ◇◇◇◇◇


 数日後には点滴もなくなり、熱も順調に下がって喉の腫れもかなり引いてきている。


 精密検査の結果、麻痺などの深刻な症状はなさそうなので、あと数日で退院して問題ないらしい。



 入院生活というのは退屈なもので、昼間は友梨佳達も学校へ行っているので話し相手もいないのだ。


 個室であるため一人だからナースコールでも使わない限り定期検査で訪れる見回りの看護師さん達としか話す機会がなかった。


 あまりにも暇なので鈍らないように筋トレをしつつ、友梨佳に買ってきてもらった小説を読みながら時間を過ごす。


 トントンッ……



 そんな時間を持て余していた時、不意に扉がノックされる。


「はぁい♡ 定期検診の時間ですよ~」


 ギクッ……。


 そう、この退屈な時間でも平和なのでまだマシなのだ。


 本当に辛いのは、用もないのに部屋へとやってくるとある人物である。


「さ、さっき検温したばかりですよ……?」


「念のためですよぉ♡ それじゃあお熱計りますねぇ」


 入って来たのはこの病室エリアを管理する看護師長さん。

 年の頃は50代の後半頃だろうか。


 恐らくかつては美人さんだったのであろう片鱗は見て取れる。


 しかし、看護師には恐らく必要ないであろう厚めの化粧とキツい香水が鼻を刺激する。


 最近旦那と別れた、なんて話を聞かされている。

 最初は俺が慣れない入院生活に辟易しているのを見かねて冗談を言ってくれているのかと思ったが、どうにもそうじゃないことが見て取れる。



 彼女は何故だか俺に熱い視線を送ってくることがあるのだが、どういう意味を込めているのかは聞かない方がいいだろう。


 何故だか股間を凝視して頬を赤らめてくるのだ。


 ギラついた視線が突き刺さるのが辛いが、一時の気の迷いであると思いたい。


「それじゃぁ検温しますねぇ~」



 性欲を持て余した熟年女性は、何かと検診と称して俺の部屋へとやってくる頻度が高い気がする。


 なんぼなんでも午前中だけで3回も検温したりはしないだろうに。


 最初の1日2日くらいは気のせいかと思っていたが、日に日にその頻度は増してきており、段々とプライベートの話や、挙げ句にスリーサイズまで教えてくれるようになった。


 優しい人ではあるが、どうにもこちらにギラついた視線を送ってきており、身の危険を感じることもしばしば。


 チラチラと俺の股間を盗み見しながらさり気なくボディタッチをしてくるので少々困っている。


「か、看護師さんッ!? 検温なのにどうしてズボンを脱がそうとしているのですか!?」


「はぁはぁ……最近の検温は下半身で行うんですよ~!! 大丈夫、その立派なロケットランチャーを触診するだけで計れますから~~っ!」


「そんな検温あるわけないでしょ! っていうか誰がロケットランチャーですかっ!! ちょっ、脱がさないでっ! 落ち着いてくださいってばっ!!」


 獰猛な肉食獣のような目つきで衣服を脱がそうとする妙齢の看護師さんに必死になって抵抗する。


「大丈夫ッ、すぐに終わりますからッ! ほんの数分ッ! 天井の模様を数えている間だけですからねぇ!」


「それって数千個あるんですけどっ!! ちょっ、ホントに脱がす気満々じゃないですかっ!?」

「中の広さには自信があるんですよ~~っ!!!!!! 先っちょだけっ! 先っちょだけですからっ!!」

「いつの時代の言い回しですかっ!? いやぁ!! ホントにやめてぇえ」

「大丈夫ッ!! 腰使いには自信がありますよッ!! 目を閉じてれば天国に連れてってあげますからぁんっ♡♡」


 鍛え込まれている筈の俺の腕力でも中々振り払うことの出来ない獰猛な肉食獣は、鬼気迫る勢いで俺の肉棒を捕食しようと迫ってきた。


「おっほんっ!!」


「「はっ!?」」


 突如部屋に響く咳払いによって、俺は窮地を脱したことを悟ることができた。


 どうやら定期検診に回ってきた別の看護師が異変に気が付いて警備員さんを呼んでくれたらしい。


 ギリギリのところで看護師長は若い看護師の人達に連行されていった。


「た、助かった……」

「すみません。あの人男運が悪くて、かなり飢えているみたいで」


「ははは……ま、まあパートナーに恵まれない辛さは分かりますから、こちらから何か言うのはやめておきますよ」


 あんまり続くようならクレームを入れざるを得ないが、直接の実力行使は初犯なので、取りあえず不問に付すことにした。


 後で聞いた話では看護師長さんは担当エリアを配置換えになったそうで、この部屋にやってくることはなくなった。


「はぁ……早く退院してウチに帰りたいな……」


 正直俺もかなり溜まってきている。

 早く友梨佳や瑠璃と抱き合いたいもんだ。


 あの人夜中に襲撃してこないだろうな……?


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