第一巻 第八章 - もう一人じゃない



正義基地


病室は薄暗い光に包まれていた。


クジョーは腕を組み、ステファンのベッドのそばに座りながら、呆れたように首を振っていた。


「お前ってほんとにアホだよな」彼は言った。「お前の身体はあと何発弾丸を受ければ、自分がこの物語の主人公じゃないって理解すんの?」


ステファンは鼻で笑い、だるそうに片手を上げると、中指を突き立ててニヤリとした。


「クソ食らえ」


クジョーはニヤリとしながらも引き下がらず、肩をすくめた。


「まさか味方に撃たれるとはな… まぁ、あいつが“味方”だったかどうかは別の話だけどよ」


「さぁなぁ… 次はせめて、変態殺人鬼とかだったらいいんだけどな」


「おいおい、縁起でもねぇこと言うなって、ケッ」


二人は笑い合った。傷の痛みはまだ残っていたが、空気は少しだけ和らいだ。



---


その頃、包帯を巻いた手で、マリはゆっくりとシロウの病室のドアを開けた。


薄暗い光が彼の青白い顔を照らしていた。彼は天井をじっと見つめ、まるでこの世に存在しないかのように静かだった。


マリがベッドに近づくと、彼はようやく視線を向けたが、その目には何の感情もなかった。


「…何の用だ?」


その声は低く、疲れ切っていた。


マリは肩をすくめ、ベッドの端に腰を下ろした。


「ただ、話したくて」


「何の話だ?」


マリは少し考え、慎重に言葉を選んだ。


「君のこと。どうして、こんな風になっちゃったのかって」


シロウは鼻で笑った。しかし、それは嘲笑でも皮肉でもなく、ただの虚無感だった。


「お前、心理学者かよ」


「違うけど… 私も、全てを失うのがどんな気持ちか知ってる」


シロウは黙ったまま、彼女をじっと見つめていた。そして、何かを決めたかのように深く息を吐き、虚空を見つめながら語り始めた。


「…俺が七歳のときだった。普通の家に住んで、普通の家族と一緒に、普通に暮らしてた。親父、母さん、姉貴、そしてトラブルメーカーの俺。ケンカばっかして、成績も最悪。友達もいなかった。俺はいつも、一人だった。


…唯一の救いは、姉貴だった。姉貴だけが、俺の味方だった。俺たちは一緒に遊び、ふざけて、料理して、笑い合った。姉貴は俺にとって、闇の中の唯一の光だった」


シロウは少し間を置いた。そして、低い声で続けた。


「ある日、姉貴は帰ってこなかった。突然、消えた。そう言われた。あの日の母さんの涙は、今でも忘れられない。


何年も経ってから、本当のことを知った。あの日、雨の降る帰り道で、知らない男に襲われた。奴は姉貴を犯そうとした。でも、姉貴は最後まで抵抗した。だから、奴は姉貴をナイフで滅多刺しにして、逃げた。


…その瞬間、俺は決意した。この世界を汚れたクソどもから浄化しなきゃいけないって。俺は狩りを始めた。姉貴を守れなかった。でも、他の姉貴たちを守ることはできる。


どんな兄貴も、俺と同じ喪失の苦しみを味わうべきじゃない」


マリは目を伏せた。


「…私も、大切な人を失ったことがある」


シロウは彼女をじっと見つめた。


マリは小さく息をつきながら、話し続けた。


「…私、本当は日本人じゃない。両親の同僚に引き取られて、その姓を名乗ってるだけ。本当の両親は、ロシアの諜報員だった。彼らはアメリカの新兵器を盗もうとして… 殺された。


私はそのとき、まだ二歳だった。両親の顔すら覚えてない。ただ、もう二度と会えないってことだけは分かってた」


マリはかすかに笑った。


「でも、今の私は幸せだよ。新しい家族がいるから。その家族に愛されるために、私は努力した。勉強でも、スポーツでも、芸術でも、誰よりも上を目指した。でも、気づけば… 私の周りには誰もいなかった。


…ずっと、寂しかった」


彼女は一呼吸置いて、明るく笑った。


「でもね! ある日、学校の帰り道で、不良たちに絡まれてる二人の少年を見たの。怖がってる彼らを見て、心が締めつけられた。見過ごせなかった。だから、私はカバンからフライパンを取り出して…」


「ちょっと待て!」シロウが吹き出した。「フライパン!?」


マリも笑った。


「そう! だって、いざという時の護身用に持ち歩いてたんだもん!」


二人はしばらく笑い合った。


「で、その二人って、あの二人か?」


「そう!」


「…お前、すごいな」


「そうかな?」


「いや、マジで」


シロウは少し考えて、目を伏せた。


「…でも、俺にはもう家族なんていない」


「なら、私がなればいいじゃん」


シロウの目が大きく見開かれた。


「…は?」


「シロウ、私が君のお姉ちゃんになってあげる」


彼は言葉を失った。


「…俺… そんなこと言われたの、初めてだ」


シロウの目から、涙がこぼれ落ちた。


「…いいのか?」


「もちろん! だって、私たちはもう家族だもん!」


シロウは震える声で叫んだ。


「…あぁ!!」



---


オマール組織・テロリスト基地


シャワー室の中、少女は包帯の巻かれた腰をさすりながら、熱い息を漏らしていた。


「シロウ… シロウ… シロウゥゥ…っ…!!」


彼女の身体が震え、やがて静寂が訪れた。


シャワーの音だけが響く。


ユリコはシロウの顔を思い浮かべながら、微笑んだ。そして、もう一つの顔が脳裏に浮かぶと、その笑みは歪んだ。


「マリ…」


彼女はガラスを叩き、不敵に呟いた。


「また会おうね、クソアマ」


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