[1.10] 「鈴の音」

 そして時間は翌週の金曜日へと移る。

 桃色の桜の花びらは散って、緑色の葉っぱが木を覆い始めようとしている、そんな時節。


 今日はいつものアンロックの作戦会議の日である。場所はもちろん「ハーミット」の一角。

 しかし今日の3人は皆かなり真剣な面持ちである。先々週のような冗談を言い合って和気藹々といった雰囲気はどこへやら、むしろ殺伐とした様子。コーヒーカップも3杯あるが、既にイツキとレイは飲み干しており、ミシャもほぼ底が見えている。


「何てこった……。ミカの件はあくまで序の口だったってことか?」


 ミシャは額に掌底を押し当て、やれやれといった様子で首を振る。

 レイは少し疲れた様子で、腕組みをしながら背もたれに上半身を乗せている。……そういえば以前スズとしてミカに会った時には髪を短く切っていたレイだが、もう先々週の会議の頃の長さに戻っている。

 そしてイツキは中空を見つめ、顎に手を当てて既に熟考モードに入っている。が、話題が切れたのを見るや、イツキは一旦熟考モードを止めて口を開いた。


「ひとまずわかっていることをもう一度整理しようか」


 この2週間の間、世間としてもアンロックとしても色々な情報が動いた。


 一つ、ミカのような、今までとは違う記憶喪失になる人間が他にも続出したのである。その数は少しずつ増えており、アンロックが個別に調査するだけでは最早不可能な数字になっていた。

 しかし重要なのは症状もそうだが、これまでの数ヶ月はこういった症状の報告例は無かった。つまり、この数日で突然新たな症例が出始めたのである。実際にウイルスや病原菌も突然変異を起こしてこれまで対応できた薬に耐性を持ったりということはままあるが、まさにそういった状況だ。


 そして二つ。

 あれからしばらくレイがミカのことを張っていたのだが、こちらも新事実が発覚した。

 何でも、意識や記憶がはっきりしたり曖昧になったりと不安定だという。この2週間、変装してレイともスズとも違う姿で尾行や調査をしたが、ぷつっと糸を切ったかのように崩れ落ちるように意識が途切れたり、かと思いきやしばらくすると普通に友人や家族と喋っている様子が見て取れたり。


 法則性があるとすれば、崩れ落ちた時には意識や記憶が飛び、しばらくするとまた戻る。そして戻ってしばらくするとまた記憶や意識が飛ぶ。この繰り返し。

 そして一時的に記憶を取り戻した者が共通して言うキーワードがある。


「……やはり、鈴の音、か……」

「イツキは、鈴の音に何かある、と?」

「いや、その音がこの事件に関係しているであろうことはほぼ確かだが、どう関係しているかまではまだ……」


 そこまで言うとイツキは顔を上げてレイに訊く。


「レイ、最近の調査でのミカは?」

「そうそう、ミカさんのことあれからしばらく調査してみたけど、同居してる先輩もいるからかさっきの忘れて戻ってのループが激しいみたい。思い切ってアパートの部屋の近くまで近づいてみたんだけど、先輩に大きな声で心配されてるみたいだったし……」

「監視カメラがあるのに堂々と住居侵入か」

「あ」


 うっかり存在を忘れていたらしい。敷地内に不当に入ったなら、場合によれば住居侵入に抵触する場合もある。

 何より、アンロックはダークヒーローなのだ。正体がバレることは良しとしない。少し焦った表情でレイはもみあげをくりくり回す。


「よ、夜に行ったし画質悪いらしいから大丈夫だよ……たぶん」

「尚更怪しいわ」


 いやはや、ごもっとも。

 そこまで正論を突きつけられては敵わない。レイもゴメン、と手を合わせて不注意を詫びた。


「まあ良いが。いずれにせよ、ミカについてはオレももう一度調べた方が良いかもな。ここまで大事になりゃ、原因が何か突き止める方が先決だ」


 明日にでも、オレはミカの家を再度訪ねてみようと思う。

 イツキは次の方針を口にしよう、とした時だった。

 電話の着信音。

 音源はミシャのバッグからだ。ミシャは眉を上げた。それはミシャが普段私的に使っているものとは違う携帯電話だ。


「……お前宛だ、『アンロック』」


 つまりイツキではなく、アンロックとして電話がかかってきた。イツキは何か、直感でピンと来た。首から提げた鍵を象ったアクセサリーに埋め込まれた霊石を発動させ、念のためスピーカーにして電話を繋げた。


「お電話ありがとうございます、探偵社アンロックでございます」


 2人には誰に化けたのかすぐにはわからなかったが、レイはイツキの喋り方でわかったようだ。

 イツキの声と重なって聞こえる女性の声。この声は聞き覚えがある。電話の先は少し焦った様子の女性だった。


「ハル……さんでしょうか? 突然すみません、私はマナミと申します。先日は後輩がお世話になったようで……」

「はい、こちらこそお世話になりました」


 この明るい口調と喋り方は「ハル」のものだろう。イツキは口の前で人差し指を立てて「静かに」のジェスチャーをする。幸い今店内にはナナの他には自分たち3人しかいない。


(なんてタイミングだ)


 イツキ、いやハルは心の内でそうこぼしながら変わらず明るく続けた。


「ミカさんの件でしょうか? 本日はどうかされましたか?」

「やはりミカに調査に来たというのはあなたなのですね。……それが……後輩が最近変で……。突然記憶が無くなったり、そう思ったらケロッとしてたり……。私も何度か警察か病院に相談に行くよう促してはいるのですが、本人が嫌がっておりまして……」


 レイが調査した通り、ミカは記憶喪失と復帰を繰り返している状態のようだ。レイは「わたしが調査してきた通りだね」と言うように無言のまま頷いている。


「それで、以前貴社の名刺を見つけてから、ここなら話しても良いと本人が申しておりまして……。申し訳ありませんが、後輩に相談? に乗っていただけないでしょうか?」


 願ったり叶ったりというべきか、思わぬ申し出である。3人は思わず目を見合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る