[1.6] 「諸悪の根源」

 2人の目付きが変わった。これまで「喪失」した人は全くその後も音沙汰無いままか、戻ってきても喪失前後の記憶がない。このどちらかである。

 しかし今回は違うのか。


「数日前の夜道、同僚との飲み会で遅くなった帰り道に何者かに背後から襲われて気を失ったんだと」

「お、おい……まさか……」


 イツキが危惧しているのは、これまでこの失踪事件は直接的でないものだったにもかかわらず、人為的なことではないかという線が出てきたことだ。しかしミシャは首を横に振った。


「いや、話は最後まで聞こうな。ここからが本題だよ。ミカは高校時代の先輩とルームシェアしているらしい。で、先輩の証言によると、いつまで経ってもミカが帰ってこない、連絡もつかない。この時世だから、もし朝になっても音沙汰無ければ警察に相談しようとしていた。しかしミカは朝、何事も無かったかのように自室のベッドから起きてきた、らしい」

「……?」


 レイは眉をひそめる。一見すればミカがテレポーテーションを使ったかのようにも思える。しかし、ミカ自身が何者かに襲われたという本人の証言がある。

 これがミカの狂言ならばまだ笑えないジョークで済む話だが、先輩はミカが自宅に帰ってきている所を見ていない。


「……まだ判別するには材料が足りねえな。起きてきた時のミカの状況は?」

「外傷も盗られたものも一切無し。自宅の洗濯機の横には彼女が前日着ていた服が置かれていた。彼女がいつも使っているシャンプーやトリートメントの香りから自宅の風呂にも入っている。起きてきた時もパジャマだったらしい。先輩と自宅のリビングで鉢合わせしたその時に自身も前日の襲撃を思い出したそうだ。けど何もされていない。わからないのは帰ってきたタイミングのみ」

「ええ……? もうそこまできたらホラーだよ」


 レイは不可解そうに感想を言った。だよなぁ、とミシャも賛同するように呼応する。……ここまで詳しく調べられているのもこれまたホラーな気もするが。


 しかし、確かにこんなことがあれば不気味だ。当人の記憶が無いだけで、いつもの生活のルーティンは乱れていない。まるで記憶が無い間、誰かがラジコンでミカの体を操縦しているかのようである。


「……そういえば、その先輩はその時間は何してたんだ?」

「午前2時頃までは心配で起きていたらしいんだが、次の日もあるからかその後は寝たらしい。仮にもミカも大学生だしな。心配しすぎる歳でもないし」


 本来ならば2時以降に帰ってきたと考えるのが筋なのだろうが、肝心の本人の記憶が無い。


「あ、そうだ。防犯カメラは? シェアしてるのがアパートとかマンションなら付いてる所も最近多いだろ。女2人なら付いてる所選びそうなもんだが」

「流石の慧眼だな、イツキ。午前2時半頃、画質は良くないがミカと思しき女性がバッチリ写ってたらしいぜ」


 しばらく顎に手を当ててイツキは考え込んでいた。


「やはり、何者かに『襲撃』されたのが引っかかるよな。まるで別の誰かに意識を乗っ取られたような」

「そんな、オカルトの世界じゃあるまいし」

「レイが言っても説得力無えぞ」


 いやはや、ごもっとも。

 レイは目線を逸らしておどけてみせる。


「でも、ミカが嘘ついてるって線もあるよね?」

「……まあな。寧ろそれであってほしいが、同居してる先輩の前でわざわざそんなことする必要性は薄いし」


 真剣に考え込むイツキを尻目にミシャは端末を操作している。画面は引き続きメモアプリらしい。

 一見ホストかと見紛うような端正な顔立ちだが、アプリの文面を見ると根っこの部分は真面目で几帳面なタイプらしいという事が伺える。


「で、どう? 何かわかった? 影の名探偵さん」


 レイはイツキを見て明るく呼びかけた。


「いや、オレが知る範囲でのルールを元に仮説は立ててみたんだが、どうしても不可解な場所が残るんだ。喪失の時間帯……そこがまだ納得のいく推論が立たねえ」


 魂のルールを知るイツキはルールを知る者としての推理をする。公には記憶喪失の原因はわかっていない。記憶喪失の被害者の1人として彼女も数えられている。

 記憶喪失状態になっていたとすれば、ルールに則ると霊力が下がっている。しかし翌朝には元通り。


「ミカが何者かに襲われたということが一時的な喪失状態をもたらした原因という可能性は高い。もしかしたら、他の喪失状態になった人たちも覚えていないだけで同様の手口で襲われた可能性もある。それにしても、だ。明らかに今回の一件は回復が早すぎる。オレも調査に向かっていないにもかかわらずな」


 確かにそうだ。

 公式発表にある他の喪失状態になった人々はいまだに戻っていないか、イツキが治療に向かったかのどちらか。自力で何事も無かったかのように回復した例は前代未聞である。


「ねえ、イツキと同じ力を持つ『同業者』がいる可能性は?」

「……もちろんある、だろうな」


 レイの問いに一呼吸置いてイツキは答えた。……心なしか一瞬目の奥が澱んだようにも見えた。

 イツキも想定はしていたが、いざ複数人の前で口に出されると言霊のせいか、それが真実であるかのようにも思えてくる。


「仮に同業者がいたとして、そいつが善人であることを祈るがな。増幅もエネルギー転化も、……持ち手次第で変わるんだからな」


 イツキは首元の鍵型の霊石を睨みつけるようにして呟いた。後半は自分自身に言い聞かせるようにして生唾を飲んだ。


「いずれにせよ、今回の事件については詳しく調査した方が良い。近いうちに事件の当事者とその周辺の聞き取りも行う」

「わたしも行く。女相手ならわたしがいた方が何かといいでしょ」

「そうだな。よろしく頼む」


 方向性は固まったようだ。レイは頷いた。


「ミシャは引き続き彼女の身辺調査を頼む。何かしら新事実があるかもしれん」

「OK」

「くれぐれも、逮捕されねえ範囲内でな」


 それまで真面目な口ぶりと顔だったイツキの口元がニヤけた。また始まった。


「だーかーら、んなイリーガルなモンじゃねえって」

「もう、ミシャったら、そんな子に育てた覚えはありません」


 レイは泣き真似をしながらそうボケた。


「俺の母ちゃんか。つーか、2人揃って人を何だと思ってやがる」

「諸悪の根源」

「悪の大魔王」

「はっ倒すぞお前らっ」


 とは言うが3人ともゲラゲラ笑っている。一応彼の名誉の為にも言っておくと、ミシャ本人は至って善人である。

 そんな漫才をしていた所でスパイシーな香りが鼻腔をくすぐった。カレーライスとコンソメスープをお盆に乗せたナナが近づいてきた。


「お待たせしましたぁ、カレーライスとコンソメスープですぅ」


 彼女のフェアリーボイスは相変わらず脳天を突き抜けるようだ。ありがとう、と言ってレイは自分の前にお盆を持ってきた。しかしその量は普段の食事と聞いても差し支え無い。いや、むしろ食の細い人は夕食前だしこんな量食べられない、と言うかもしれない。


「いただきまーす」


 どうぞーと言うナナのフェアリーボイスとどちらが早いか、レイは笑顔で手を合わせてスプーンをライスに付けた。ちなみにレイも自分の分のケーキを頼んでおり、カレーの横でコーヒーと一緒に食べられるのを待っているのである。……本当にそのエネルギーはどこへ行くのだろうか。


「本当にレイ姉はよく食べますねぇ。あたしだったらケーキだけでもお腹いっぱいになっちゃうんですけどぉ」


 この食いっぷりを見て、大多数の感想はやはりそうだろう。そのナナはいつの間にかミシャの横にちんまりと座っている。


「ナナも高校入ったら運動すればいいのに。陸上ならわたしが教えるよ」

(なあイツキ、部活の1、2時間の運動でどうにかなる量なのか? コレ)

(知るかよ。コイツの食い意地は昔からだけどさ)


 食べ盛りなのは良いこと……なのだが。流石にイツキやミシャもこの量は遠慮するようだ。


「いやー、運動は苦手でぇ」

「お店の仕事にも体力使うんだから、基礎体力は付けておいた方が良いよ。ていうかナナ、お店はもう放っておいて良いの?」

「そろそろお父さんの担当時間なんで大丈夫ですぅ」


 確かに客足も今は空いている。この3人分を後で片付けても間に合うくらいだろう。

 なるほどねー。

 そう言ってまたカレーを口に運ぶレイ。これまた美味しそうに食べる。ナナにとっては作り手冥利に尽きるというものだろう。そんなに幸せそうに食べるせいか、それともカレーのスパイスが食欲をそそるのか、ナナも小腹が空いてきたらしい。


「あたしもケーキ食べよっかなぁ。あ、でも全部は……」

「んじゃあ俺のチョコケーキでもちょっと食うか? オレは誰かさんみたいにバカみてーに食い意地張らねえから」


 最後なんだってぇ?

 と言うレイを無視してイツキはまだ手を付けていなかったチョコケーキを差し出そうとした。

 いや大丈夫ですぅ、というナナの返事を聞いたところでイツキは異様に軽い手元の異変に気づいた。


 チョコケーキが忽然と姿を消している。

 ナナが手を滑らせるまでは皿の上に載っていたチョコケーキが綺麗に全て無くなっている。自分はフォークにすら一切手を付けていない。目の前にいるミシャが食べたのなら自分が見ていたはず。ナナはケーキの配膳後カレーを作りに厨房へ。

 そこで横のレイの口元をよーく見てみる。カレーのルーの色とはまた違う、チョコレート色の擦れが微かに残っている。まさか。


「レイお前っ、オレのチョコケーキ食いやがったな」

「えー、制服のピンチ救った分くらい良いじゃん」


 悪びれる様子も無く、あっさりとレイは白状した。涼しい表情のまま、もう残り少なくなったカレーの皿をカチカチ突いている。

 もちろん犯行時間はナナの手が滑ってケーキをぶちまけそうになったあの時かその後のどこかだろう。


「レイ姉、チョコだけにチョロまかしちゃダメですよぉ」


 忘れた頃のオヤジギャグに、ちょうどコーヒーを飲んでいたミシャがまた吹き出した。しかも先程のレイ以上に盛大にむせ返している。


「ミシャさん、だ、大丈夫ですかぁ?」

「ナナちゃん、忘れた頃にそれはダメだぜ……」


 ゲハハハハとテーブルを叩き豪快に笑い転げるミシャ。その間も時折咳き込んでいる。ナナに背中をさすられながら盛大に笑う悪友にイツキも怒る気力も失せたようで、やれやれと肩をすくめた。


 今日の夕方以降の予報では、全国的に晴れ間が広がる一方で、また流星が降る。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 プロフィール

 名前…二つ名

 身長/体重/誕生日/好物

 作者より


 ナナ…「パステルカラーはお年頃」

 156cm/ヒミツ/8月12日/アセロラ

 イツキやレイの幼なじみ。はたまたカフェレストラン「ハーミット」の看板娘。料理はだいたい作れる。ハーミットの裏メニューとしてナナ特製のオムライスがあるというが、真偽不明につき究明求む。

 自分が可愛いことを自覚しているタイプ。お洒落もしたい、イケメンにはときめくお年頃。

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