ホワイトノイズ

かしわもち

第1話 ずぶ濡れの非日常

痛い。苦しい。やめて、止まって、止まって…うるさい!やめて!……呼吸が苦しい…意識が飛びそう…誰か助けてよ…ねえっ...…やっぱり、私なんかがこんなところに来ちゃいけなかったのかな…せめて誰の邪魔にもならない所で…


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はあ…今日もつまらない一日が終わる。別に友達もいないわけじゃないし、成績も悪いわけでもない。でも、ただ「普通」。それが一番だけど、それだけじゃちょっとつまらない。急に降ってきた夕立のせいでこの交差点を走り抜ける人々もみんな私と同じように「普通」の人生を送っているのだろうか、と考える。

あーあ、何か特別なことが起きてくれないかな。あ、人が死ぬとか怪我するとか不幸になるとか、そういうのはなしで。


傘を差しながら歩く。ふと、裏路地に目が向いた。べつに何か用事があるわけじゃないけど、なんとなく。いつも通ってない道を通ってみたら何かあるかもしれないし、と思ってそちらに足を向ける。


裏路地はビルが雨風を防いでくれていて、案外快適だった。普段は光が当たらないから少しじめじめしていていい雰囲気ではないけれど、こんな日はいいかも。なんて思いながら傘を下ろし歩く。次の角を曲がったらもうアパートが見える。高校生になったら家を出ようと前から思っていた。高校生は流石に早すぎるのではないかという至極まっとうな反対をする親を何とか言いくるめて始めた念願の一人暮らし。始めてから2年経つけど何とかやっていけてる。家を出る前に家事を叩き込んでくれたお母さんに感謝。

さて、家に帰ったら何をしようか。ああそうだ数学の課題をやっておかなきゃ、と思い出す。少し憂鬱になるけれどあるものはある。仕方ないと切り替え角を曲がる。


刹那、物音。そして目に入る倒れた女の子。


「え?ちょ、ちょっと貴女、大丈夫?」

つい大きめの声を出してしまう。女の子に駆け寄る。

私と同じくらいの年。私に反応して顔を上げたりはしない。急いで最近保健の授業で習った脈の確認をする。脈はある。息もかすかにしている。とりあえず生きているらしい。ほっと安堵する。保健の授業の内容なんてどこで使うんだなんて思ってたけれどまさかこんな早く使うことになるとは。とにかく覚えておいてよかった。


改めて女の子を見る。ぼろぼろな上に濡れた服。やせ細った体。保健の授業で習ったくらいの知識しかない私だけど、明らかにまずい状態。低体温症になったりするかもしれない。とりあえず声をもう一度かけてみる。


「ねえ貴女、大丈夫?」


…起きない。次は少し体を揺すってみる。ただ寝ているだけならばこれで起きるはず。…やっぱり起きない。ただ寝ているだけではないようだ。このままだとほぼ確実にこの子は命を落としてしまうだろう。だったら私ができることは一つ。女の子を抱きかかえてアパートの部屋まで走ることだ。


幸い女の子は軽くて、けっこう非力な私でも持ち上げることができた。いわゆるお姫様抱っこの形で持ち上げ走り出す。なるべく揺らさないように、なるべく早く。

私の部屋のドアの前に着いた。この際自分の服の汚れは気にしない。いったん地面に座ってから、この子を膝の上に寝かせてカバンの中から早急に鍵を取り出す。鍵を開けて、もう一度女の子を抱きかかえ、足でドアを開ける。だいぶ品がないけどそんなことを言ってる場合ではない。心の中でお母さんに謝っておく。

そのまま靴を脱いでベットへ直行し女の子を寝かせる。いったんブランケットをかけておいて、まずはこの服をどうにかしないといけない。

タオルと私の服を持ってきて、なるべく見ないようにしながら服を脱がす。濡れた体を拭いてから服を着せる。少し大きめの服だけれどないよりはましだろう。これで今やれることはやったはずだ。

家の鍵を閉め、机に座って考える。この子が起きたらとりあえず色々聞かなければならない。ああそうだ、お粥でも作っておこうか。そう思い鍋に水と米を入れる。衰弱しているときはご飯も食べずらい、と保健の先生が言っていた気がする。お粥でも何も食べないよりはましだろうと思う。


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とりあえず悩んでいても仕方ない。私にはこの子のほかにも数学という目の下のたんこぶがあるのだ。…そういえば、何か特別なことが起きてくれないかななんておもっていたっけ。図らずとも一瞬でその願いが叶ってしまったが、私は他人が不幸にならないという条件付きで特別なことを願ったのだ。全く神様が見ていて叶えてくれたのだとしてももう少し考えてほしい。…なんてことを考えながら数学の問題集を開く。


もちろんこんな状況で数学に集中できるわけない、というかできる人がいるなら教えてほしい。実際私は一桁の掛け算を間違えるというとんでもないミスをしてしまった。そしてそれに気づかないまま計算を続行し無意味な計算を重ねることになってしまった。反省。


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「んぅ…」

「っ!起きた!?」


「うっ…貴女は?」

「あっごめん、うるさかったよね。私は響。貴女が路地裏で倒れてたから、勝手に私の家に連れてきて寝かせちゃったんだけど…ああそうだ、お粥食べる?作ったんだけど…」

「そうだったんだ…ありがとう。この服も…お粥もいただいていいかな?」

「もちろん!ああそうだ、謝らなきゃいけないことがあって…その…濡れた服を変えて体を拭いたんだけど…その時に…」

「ああ、別にいいよ、同性だしね。服を着替えさせてもらっちゃってむしろありがとう」

「はいお粥…それで、食べながらでいいんだけど…貴女は何であんなところで倒れていたか教えてくれる?」

「うん…モグモグ…まあ簡単に言うと家出…だね。モグモグ…それで路頭に迷ってあそこで倒れてた…って感じかな」

「ああ、家出だったんだ…なら倒れても仕方ないね…まあ、今は疲れてるだろうし暫くここにいなよ」


「…家出の理由は聞かないの?」

「私だって今家出してるようなもんだし…家出の理由も人それぞれあるから無理に言わせたくないんだ。」


「…なるほどね…ああ、お粥ご馳走様でした。」

「お粗末様でした…それで、気分はどう?」

「まだちょっと頭が痛いけど…全然マシになったよ。」

「ならよかった…頭が痛いなら寝るのが一番だし、まだ寝れそう?」

「うん、実を言うとまだ結構眠いんだ…それじゃあ、もう少し眠らせてもらおうかな…」

「ああ、それは起こしちゃってごめんね…それじゃあお休み、電気消しておくから…」

「うん、お休み…」


…そういえば、この子の名前聞き忘れたな…起きたら聞いておかなきゃ。さて、私は数学をやらなきゃいけない。もうひと踏ん張りするか、と気合をいれて机に向かった。




かくして、家出少女二人は何の縁か巡り合った。その中に隠された秘密に気づくのはそう遠い日ではないのかもしれない。

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