ACT21 カルテット・ライン1

「あんた、ちっちゃいからおまけしたげる。これ食べて大きくなりな」


「わっ、おばちゃんありがとー!」


 購買でパンとスイーツをいくつか買った際、おばちゃんからメロンパンをおまけしてもらいにこやかに礼を言った。勘定を済ませビニール袋を受け取ると、小柄な肢体を猫のように動かして人混みをすり抜けて行く。淡い色の髪をポニーテールでシンプルにまとめ、化粧気もなくアクセサリーも一切身に着けていないその姿は、それでも行き交う人の視線を集めるだけの魅力に満ちていた。しかし彼女自身はそんな周囲の注目などお構いなしに、目標に向かって一直線だった。1-Cと書かれたクラスの内側に踏み込むと、後方の席に目的の人物を見つけて満面の笑みで声を張り上げた。

「海さーん、お昼行きましょう!!」

 昼休みの空気に包まれていたクラス中がこちらを振り返り、机に突っ伏して昼寝を決め込むつもりだった水沼海はゆっくりと顔を上げた。相変わらず小奇麗なその顔が、いつもの呆れたような笑みではなく静かな怒りを湛えていることに気づき、木坂吾妻は一気に血の気が引いた。


(ヤバ……)


 逃げ出すべきかと迷う暇もなく、周囲が注目する中で瞬時に海に襟首を掴まれて吾妻は連行さながらの体で廊下を移動する羽目になった。

 木陰のベンチに座らされて、威圧されるような雰囲気に思わず正座をしてしまう。項垂れている吾妻に、海はため息をつきながらゆっくりと口を開いた。

「目立つなって、言われてるでしょ? あづは見た目よりは賢いと思ってたけど、案外普通に馬鹿なのかな」

「すびばぜん、ちょっと調子に乗りました。だって海さんとペアなんて、初めてだから」

「そうだっけ? 蓮が来る前のことなんて俺、もう良く覚えてないや。その蓮が今は橙子サンと一緒なんて――正直、気が狂いそうだよ」

 吾妻の渡したコッペパンを感情のままに握りつぶす海に、さすがに見かねて彼女も反論した。

「あのー、自分も公私混同は認めますけどっ。海さんの場合ちょっと露骨すぎません? 一応、これも仕事ですし」

「分かってるよ。だからちゃんと帰らないでここに居るじゃん?」

 サラサラした髪が陽に映え、上品なブルーと白を基調とした制服と相まって海はいつも以上に王子様然としていた。モチベーションのせいで表情は幾分精彩さを欠いていたけれど、それも憂いと捉えれば傍からは魅力にさえ変換され得るかもしれない。


(本当に、柴田がいないと全然違うな。覇気がないって言うか、抜け殻みたい)


 放っておくと海はまともに食事をしないかもしれないと蓮からくどいほど言われていたので、パンと一緒に買ったコーヒー牛乳のパックにストローを刺して口元に近づけると、海は反射のように吸い付いて素直に中身を飲んだ。小動物の授乳シーンを思わせる仕草に、普段あるのかないのか分からない隠れた母性がここぞとばかりに疼いた。


(可愛い……)


 いつものスマートなイメージとかけ離れて手のかかる様子は、呆れるよりギャップ萌えの材料にしかならなかった。結局は惚れた弱みなのかと結論づけて、吾妻はもう一組のペアの動向を気にしつつ、昨日のことを思い返していた。


***


 事の起こりは三日前。

 片桐橙子と木坂吾妻がペアで某県立の高校への任務に派遣されたことに起因している。

 橙子を陰ながら慕っている第一の信奉者であり蓮や海とも割と関りの深い平山省吾ひらやましょうごが、予定が過ぎても戻って来ない橙子を心配して蓮に相談を持ち掛けたのが一つのきっかけだった。


「帰って来ないって言われてもな、任務が普通に伸びただけみたいだけど?」

 正論を唱えたところで、平山には何の効果もなかったようだった。意気消沈している平山を、海は面倒くさそうに横目で睨んだ。

「いいから放っときなよ蓮、橙子サンが任務中はこいつはいつもこんなんだから。室長も特別感情が過ぎるってんで、絶対にこいつと橙子サンはペアにしないしね。皮肉なもんだよ」

「もっと色々過ぎてる柴田とおまえは平気でペアにするくせにな」

 海の言葉にはまともに反論した平山に、海が勝ち誇ったように微笑った。

「それは日頃の行いの違いかもね」

「おまえの日頃の行いが、賞賛に値するとは到底思えんがな」

「あれー、俺に喧嘩売ってる? もう行こうよ蓮」

 言葉でやり合う二人に苦笑しながら、蓮は平山を慰めるように言った。

「心配しなくても、橙子サンなら誰よりもしっかりしてるから絶対大丈夫だよ」

「……任務先で、絶対はない」

「ま、ね。それに今回は巷で流行ってる劇場型詐欺グループの末端が所属してる高校への潜入だっけ? 非指定暴力団が絡んでる案件らしいから、そう安全とも言えないし」

 しれっと物騒な内容を口にする海を、蓮は咎めるように軽く睨んだ。

「おまえ、わざわざそういうこと言うなって」

「だって本当のことだもーん。そいつだって、それが分かってるからこそ余計に落ち着かないわけでしょ?」

「……」

 平山は海を横目で見上げると、悔しそうに拳を握ってから黙って視線を落とした。張り合いのない様子に、海はつまらなそうに肩をすくめる。

「だからさっさと告ればいいのに。後で後悔しても知らないからな」

「え、平山って本気で橙子サンのこと。そうだったん?」

 ポカンとする蓮に、平山はばつが悪そうにそっぽを向き、海はただ呆れた。

「蓮まさか気づいてなかった? 自分以外のことにも鈍いんだね」

「いや、流行りの推しぐらいにしか思ってなくて。ごめん」

 素直に謝ったものの、だったらもっと分かりやすくアピールすればいいじゃないかと自分の観察眼を棚上げする蓮だった。


***


 その夜、業務外の時間に海と蓮は室長室に緊急招集されていた。如月自身、今日は既に定時に上がって一度帰宅していたが、室に入った臨時の連絡によって呼び戻されたようだった。

「急なことですまないが、おまえたちには今から片桐と木坂の応援に向かってもらいたい」

「応援? 交代でもなく? なに、想定以上にバックが大掛かりだったの?」

 長年所属している海にとっても異例の事態なのか、すぐに首肯はせず質問で返すと、如月はいつも以上に難しい顔で腕を組んだ。

「いや、そちらについては正直捕えて見なければ分からん。ただ、その前に想定外のことが起こった。『本命』の前に『別件』が釣れたらしい」

「ああ、そういうこと」

「『別件』て?」

 全く状況が飲み込めない蓮が遠慮がちに口を挟むと、海がにこりと微笑って説明した。


「『別件』は文字通り、本来の目的とは別の事案のこと。人が集まればそれだけ悪意や悪行が潜んでいる可能性が高いわけで、作戦行動の影響で本来の目的事案の『本命』以外が露見する場合もあるっちゃあるんだよね」

「そういうことだ。実際に事が動いたのは夕方のことだったが、騒ぎになればターゲットが警戒するためこの時間まで連絡を控えていたらしい。今から直接現場の高校に向かってくれ」

「制服は自前でいいの?」

「今はそれでいい。話は片桐から直接聞いてくれ、以上だ」

「了解、行こうか蓮」

「うん」

 頷いて、蓮は海に続いて立ち上がる。イレギュラーな内容に戸惑ってはいたが、海の経験値のおかげでさしたる不安もなかった。


 車が裏門の手前に停まり、そこから海と蓮は二人で裏門まで歩くと、小柄な人影が中からこちらに向けて小声で手を振った。

「あ、海さん、と柴田。こっちです」

 街灯の明かりを頼りに門の隙間に目をやると、白のブラウスの胸元に青いリボン、チェックのスカートを履いた吾妻の姿があった。髪はポニーテールにまとめていて、いつも特調で目にしているスタイルよりずっと地味で普通の学生らしい。

「何おまえ、別人かよ。そっちの方が良くない?」

「うるせーな柴田。海さん、御足労おかけしてすみません」

 蓮の感想に好感度ゼロで応じながら、吾妻は海に向かって丁寧に頭を下げた。

「別にあづのせいじゃないでしょ。それより橙子サンは?」

「橙子姉は中です、案内するんで入ってください」

 固く閉ざされた裏門を前に、常人ならば手段について悩むところだが彼らにその必要はなかった。海と蓮は一応人目を気にしながらも大きく跳躍すると、手も使わずに門の中に軽々と着地していた。自分が通っていた中学に忘れ物を取りに行った時のことを思い出し、蓮は少しだけ懐かしいと感じた。


***


 選択科目専用の教室だと説明を受けながら中に入ると、橙子が一番後ろの列の机に腰かけて三人を待っていた。意外なことに、彼女は吾妻と異なり普段の黒のセーラー服を着ていた。

「遅い、水沼」

「そんな言い方ある? こっちは業務外にいきなり駆り出されていい迷惑だよ」

「それもそうか、すまないな柴田」

「いや、俺は別に」

 吾妻も橙子もそれぞれ片方に対して態度が違いすぎるところが何だかおかしくて、蓮は不謹慎ながら少しだけ笑った。海は憮然としながらも、すぐに仕事モードに転じた。

「それで、別件てどういうこと? しかもわざわざ現場に集合する意味あんの?」

「ああ、これだよ」

 ひょいと机から飛び降りた橙子は、近くにあった掃除用具入れを勢い良く開いた。すると中から、ガムテープで両手、両足、目と口を拘束された学生服姿の男が一人転がり出てきた。倒れた男は、それまで静かにしていたのが嘘のようにバタバタと手足を捩って暴れ始める。

「ええ!? だ、誰?」

 声を落としながらも蓮が驚くと、足で体を押さえつけながら橙子が説明した。

「こいつが『別件』対象だ。本来ならその場で警察に引き渡すべき案件だったが、騒ぎになれば『本命』を逃がすことになりかねないのでいったん伏せることにした。室長から話はつけてあるから、このまま公安施設まで運ぶ。車は停めてあるよな?」

「うん、裏門の方につけてある。それより急に暴れ出したけど、薬でも切れた?」

「おまえじゃあるまいし、そんな怪しいもの日常的に持ち歩いているわけないだろう。軽く気絶させただけだから、倒れた衝撃で気が付いたんだろ」

「うるさいね、運びづらいしもう一回黙らせる?」

「力で意識を奪うのは加減が難しい。手持ちがあるなら使え」

「はいはい。口開けさせて」

 橙子がガムテープを皮膚が剥がれそうな勢いで引きはがすと、何やら叫ぼうとしたその口に海が怪しげなカプセルを躊躇なく放り込んだ。それを見届けてから手荒く新しいガムテープを貼り、男の身体を縦にして揺すってから転がすと、しばらくして糸が切れた人形のようにくたりと動かなくなった。

「何か、監禁慣れしてる人種みたいで怖っ……」

「柴田、あんた失礼だから」

 海と橙子の連携プレーを遠巻きに眺めて思わず本音を呟いてしまった蓮に、吾妻が咎めるように噛みついた。正当な行為だと分かってはいるが二人の手際はあまりにも良すぎた。プライベートはともかくとして仕事上の二人の相性は悪くない、という話はどこかで耳にしていたが、それが嘘ではなかったことを目の当たりにした。

「さて、それじゃ急ごうか。水沼、運んでくれ」

「人使い荒いね……まぁ、いいけどさ」

 演劇部から失敬したと言う黒布にくるんでその身を担ぎ上げると、四人は別々のルートで夜陰に紛れて足早に校舎を後にした。

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